昨日は大騒ぎだった裁判員制度を利用した裁判がようやく終了したようだ。
なんでも大騒ぎする日本のマスゴミ。
今回もちょっとな・・と思ったのは、あまりにも内容を事細かに報道しすぎ・・ということ。
今回は幸いにも、裁判員の質問が及ばなかったけど・・もし、今回のような事件で被害者家族以外に、被害者の日ごろの性格なんかを聞かれたら・・つまり証人などにだが、果たして正直にこたえる事が出来るのか・・あんなマスゴミの注目の中で・・と疑問に思ったのだ。
一般的に日本人は『死者に鞭打つ』ようなことは嫌われる。だから、たとえホントに被害者が酷い性格で(あ、今回の場合をいっているのではありません。あくまでも一般論)あっても、それを関係者以外の前で堂々と言えるような教育を受けた覚えがない・・と思ったkおばちゃんです。
そのオブラートに包んだような状況の中で果たしてホントに判断が出来るのかとおもったのです。
今回の報道があまりにも細かすぎたから・・ともおもいますけどね。
裁判員になるよりも、証人になるのがイヤになるんじゃないかと思った次第です。
さてさて。。
○6月27日(土)
モンマルトル墓地をあとにしたkおばちゃん。
墓地の上の道を通って、向こう側に渡ります。
道路の上からはほら、お墓が望めますね。
kおばちゃんの知っている日本の墓地だと、中に公共道路がとおっていたりするところは知っていますが、こういう立体的に通っているところは知りません。
渡りきったところを墓地に沿って右に歩くと、kおばちゃんの目的地の近くです。
そう、今回のおパリの滞在のメイン・・かもしれません。でも・・・べついに見学するような所じゃないんですよね。ただ、佇んでいたいな・・ってナ程度ですけど。
あったこの通りです。
レピック通りRue Leoicこの通りです。48番・・ここではありませんkおばちゃんの目的地は。
レピック通りRue Leoicの・・・54番地です。あ、ここだ!!ありました。
そんな事言ったって・・コレがなんなんだ・・って感じですよね。
このレピック通りの58番地がどうしたんだ!!ってことですよね。ここはほら、建物入り口にプレートがかけてありますね。
このプレートですがここに書かれている通り、ゴッホVincent van Gogh氏が1886年から1888年まで弟テオTheo van Goghとともに住んでいた場所なんですって。
ゴッホ氏のパリ滞在は、それまでの画風から色彩のある、あの独特の画風になったと聞いています。当時パリで流行していたジャポニスムJaponismeに触れて、あの画風が開花した・・と聞いています。ちょっと代わり者の兄さんに、ジャポニスムに触れるきっかけを与えたのも弟テオだと。
今年の1月にはブログにも書いた通り、ロンドンのゴッホの足跡を尋ねてみたkおばちゃんですが、ロンドンで失恋の痛手をうけその青春が光を刺さなくなってしまった感じのするゴッホ氏の世界に、あの色彩を与えたパリ生活の一端を覗いてみたくなったんです。
レピック通りというのは実は他のことでも近年有名になっているみたいなんですけど、その場所とゴッホ氏の住宅のあった場所はちょっと違います。
モンマルトルの一角ということを思い出させるように、昨日見かけた観光列車が通過して行きました。
さあ、これでkおばちゃんのおパリの観光はお終いです。24時間にもなってないかしらね?
でも、欲張りは禁物!だってkおばちゃんの旅行は始まったばかりですからね。
そうそう、ゴッホ氏の住居のあった一角はこんな感じのところですね。
さーーて、コレからどうしようかな・・まだ少々時間があります。
なんでも大騒ぎする日本のマスゴミ。
今回もちょっとな・・と思ったのは、あまりにも内容を事細かに報道しすぎ・・ということ。
今回は幸いにも、裁判員の質問が及ばなかったけど・・もし、今回のような事件で被害者家族以外に、被害者の日ごろの性格なんかを聞かれたら・・つまり証人などにだが、果たして正直にこたえる事が出来るのか・・あんなマスゴミの注目の中で・・と疑問に思ったのだ。
一般的に日本人は『死者に鞭打つ』ようなことは嫌われる。だから、たとえホントに被害者が酷い性格で(あ、今回の場合をいっているのではありません。あくまでも一般論)あっても、それを関係者以外の前で堂々と言えるような教育を受けた覚えがない・・と思ったkおばちゃんです。
そのオブラートに包んだような状況の中で果たしてホントに判断が出来るのかとおもったのです。
今回の報道があまりにも細かすぎたから・・ともおもいますけどね。
裁判員になるよりも、証人になるのがイヤになるんじゃないかと思った次第です。
さてさて。。
○6月27日(土)
モンマルトル墓地をあとにしたkおばちゃん。
墓地の上の道を通って、向こう側に渡ります。
道路の上からはほら、お墓が望めますね。
kおばちゃんの知っている日本の墓地だと、中に公共道路がとおっていたりするところは知っていますが、こういう立体的に通っているところは知りません。
渡りきったところを墓地に沿って右に歩くと、kおばちゃんの目的地の近くです。
そう、今回のおパリの滞在のメイン・・かもしれません。でも・・・べついに見学するような所じゃないんですよね。ただ、佇んでいたいな・・ってナ程度ですけど。
あったこの通りです。
レピック通りRue Leoicこの通りです。48番・・ここではありませんkおばちゃんの目的地は。
レピック通りRue Leoicの・・・54番地です。あ、ここだ!!ありました。
そんな事言ったって・・コレがなんなんだ・・って感じですよね。
このレピック通りの58番地がどうしたんだ!!ってことですよね。ここはほら、建物入り口にプレートがかけてありますね。
このプレートですがここに書かれている通り、ゴッホVincent van Gogh氏が1886年から1888年まで弟テオTheo van Goghとともに住んでいた場所なんですって。
ゴッホ氏のパリ滞在は、それまでの画風から色彩のある、あの独特の画風になったと聞いています。当時パリで流行していたジャポニスムJaponismeに触れて、あの画風が開花した・・と聞いています。ちょっと代わり者の兄さんに、ジャポニスムに触れるきっかけを与えたのも弟テオだと。
今年の1月にはブログにも書いた通り、ロンドンのゴッホの足跡を尋ねてみたkおばちゃんですが、ロンドンで失恋の痛手をうけその青春が光を刺さなくなってしまった感じのするゴッホ氏の世界に、あの色彩を与えたパリ生活の一端を覗いてみたくなったんです。
レピック通りというのは実は他のことでも近年有名になっているみたいなんですけど、その場所とゴッホ氏の住宅のあった場所はちょっと違います。
モンマルトルの一角ということを思い出させるように、昨日見かけた観光列車が通過して行きました。
さあ、これでkおばちゃんのおパリの観光はお終いです。24時間にもなってないかしらね?
でも、欲張りは禁物!だってkおばちゃんの旅行は始まったばかりですからね。
そうそう、ゴッホ氏の住居のあった一角はこんな感じのところですね。
さーーて、コレからどうしようかな・・まだ少々時間があります。
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