今日はやけに寒い。
その割りに、朝の通勤時の男性の服装が・・また薄物のウールの背広のみが圧倒的に多いようだ。
伊達の薄着・・と言う訳ではなく、単に感覚がついて来てないのかな?なんせ急に寒くなったもんね。
そういうkおばちゃんだって・・毎度の言ながら着る物に苦労する。ただでさえないのに・・
いつまでも終わらない夏の旅行・・
○7月4日(木)
再び町中に繰り出したkおばちゃん・・さっき通った魚市場を通り抜けて向った先は・・
このようなところ世界遺産でもあるブリッゲンBryggen地区。
ブリッゲンとはノルウェー語で『埠頭』という意味らしい。
ヴァイキングの時代から海洋貿易が盛んだったここベルゲンは中世後期には、北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占たヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟、いわゆるハンザ同盟Hansaenのメンバーだったようです。北欧圏ではこのベルゲンの他はヴィスビー(スウェーデン) 、ストックホルム 、トゥルクだったそうだ。
そのころのドイツ人街だった地区に、カラフルで奥行の深い木造倉庫が並んでおり、現在も商店やレストラン、ミュージアムとして使用されている地区が世界遺産となっているということだ。
直ぐ上の写真はそのさわりの部分。本物は左下の方。下の写真の地区である。
木造のため、1702年の火災をはじめ何回かの火事にはあっている。
港に面したところは、カフェやレストランに改装されているため、丁度夕食前で大賑わい。
でも、本当のこの地区のみどころは・・・京都の町屋じゃないけど、奥に入ったところ。奥行きが非常にある建物なのだ。
こういう猫の道の ような路地というか建物の間を・・・勝手に入って行きました。
建物と建物の間は非常に狭く・・これじゃ火事はひとたまりもない。
裏手に回るとここにもカフェが・・
この辺の裏手はさっき通った所に比べると比較的整備されていますね。
それもそのはず、こんな看板が掲げてありました。
『The Bryggen project』ということで、ホルダラン郡評議会、ベルゲン市評議会、オーナーとノルウェー国家との連携で再生作業を行っている・・ということらしいです。
京都の町屋再生みたいですね。
港に面した表の喧騒とはちょっと違う佇まいがここにはあります。
普通に生活している人がいるのか・・
レースの窓越しに おじさんがみえました。
真夜中はどうか分りませんが、いつでも自由に散策できるみたいです。
こんな石組みの土台だけが残っているところもありました。
それにしても表と違もう、夕暮れの姿ですね。
裏を一通り回ったら表のはずれに出ました。このブリッケン地区に面した埠頭はクルーザーの繋留場所になっているようです。
さっきの裏とは全然違う顔のブリッケン地区がそこにはあります。
席の空きを探すのはちょっと無理・・てな感じで賑わってます。
夕方とはいえ、陽射しは強烈な西日です。
このブリッゲン地区の外れにはBergenhus要塞とホーコン王の館とローセンクランツの塔があるのですが、当然のことながらもう閉館してますし・・体力もないので・・やめておきました。
港の向こう側は明日kおばちゃんの乗るお船の場所です。
賑やかなカフェとは反対側の海沿いを歩いていたら
こんな看板を見つけました。どうも、温泉施設があるようですね・・まあ『鉱泉』かもしれませんけど。行って見たいけど・・時間がまったくないのが残念なkおばちゃんです。
繋留している船の中も夕食時のようです。
皆楽しそうに、飲み食いしてます。メニューはさっき魚市場で売っていた、海の幸(海老など)をボイルしたものとワイン・・のようです。さすがに、kおばちゃんはお食事の内容をカメラに納める度胸はありませんでした。
それと、もうひとつまともに写せなかったもの・・
ものすごーーく高そうなクルーザー(シートが白いそう革張り)があり、結構な若い家族が食事中でした。うーーんあれはロシアの小金持ち、いえ金持ち??なんて思っちゃったkおばちゃんです。たくましい想像力でしょ?
ブリッゲン地区観光もお終いです。
魚市場とブリッゲン地区を結ぶところにこんなオブジェがありました。
こんな年号1914-1918がみられまからこれは 第一次世界大戦に関係したものでしょうかね。
かっこうのお休み所となっておりました。
さあ、魚市場まで 戻ってきました。
それにしても、クルーザーの花盛りですね。
さてさてお次にkおばちゃんの向うところは・・
その割りに、朝の通勤時の男性の服装が・・また薄物のウールの背広のみが圧倒的に多いようだ。
伊達の薄着・・と言う訳ではなく、単に感覚がついて来てないのかな?なんせ急に寒くなったもんね。
そういうkおばちゃんだって・・毎度の言ながら着る物に苦労する。ただでさえないのに・・
いつまでも終わらない夏の旅行・・
○7月4日(木)
再び町中に繰り出したkおばちゃん・・さっき通った魚市場を通り抜けて向った先は・・
このようなところ世界遺産でもあるブリッゲンBryggen地区。
ブリッゲンとはノルウェー語で『埠頭』という意味らしい。
ヴァイキングの時代から海洋貿易が盛んだったここベルゲンは中世後期には、北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占たヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟、いわゆるハンザ同盟Hansaenのメンバーだったようです。北欧圏ではこのベルゲンの他はヴィスビー(スウェーデン) 、ストックホルム 、トゥルクだったそうだ。
そのころのドイツ人街だった地区に、カラフルで奥行の深い木造倉庫が並んでおり、現在も商店やレストラン、ミュージアムとして使用されている地区が世界遺産となっているということだ。
直ぐ上の写真はそのさわりの部分。本物は左下の方。下の写真の地区である。
木造のため、1702年の火災をはじめ何回かの火事にはあっている。
港に面したところは、カフェやレストランに改装されているため、丁度夕食前で大賑わい。
でも、本当のこの地区のみどころは・・・京都の町屋じゃないけど、奥に入ったところ。奥行きが非常にある建物なのだ。
こういう猫の道の ような路地というか建物の間を・・・勝手に入って行きました。
建物と建物の間は非常に狭く・・これじゃ火事はひとたまりもない。
裏手に回るとここにもカフェが・・
この辺の裏手はさっき通った所に比べると比較的整備されていますね。
それもそのはず、こんな看板が掲げてありました。
『The Bryggen project』ということで、ホルダラン郡評議会、ベルゲン市評議会、オーナーとノルウェー国家との連携で再生作業を行っている・・ということらしいです。
京都の町屋再生みたいですね。
港に面した表の喧騒とはちょっと違う佇まいがここにはあります。
普通に生活している人がいるのか・・
レースの窓越しに おじさんがみえました。
真夜中はどうか分りませんが、いつでも自由に散策できるみたいです。
こんな石組みの土台だけが残っているところもありました。
それにしても表と違もう、夕暮れの姿ですね。
裏を一通り回ったら表のはずれに出ました。このブリッケン地区に面した埠頭はクルーザーの繋留場所になっているようです。
さっきの裏とは全然違う顔のブリッケン地区がそこにはあります。
席の空きを探すのはちょっと無理・・てな感じで賑わってます。
夕方とはいえ、陽射しは強烈な西日です。
このブリッゲン地区の外れにはBergenhus要塞とホーコン王の館とローセンクランツの塔があるのですが、当然のことながらもう閉館してますし・・体力もないので・・やめておきました。
港の向こう側は明日kおばちゃんの乗るお船の場所です。
賑やかなカフェとは反対側の海沿いを歩いていたら
こんな看板を見つけました。どうも、温泉施設があるようですね・・まあ『鉱泉』かもしれませんけど。行って見たいけど・・時間がまったくないのが残念なkおばちゃんです。
繋留している船の中も夕食時のようです。
皆楽しそうに、飲み食いしてます。メニューはさっき魚市場で売っていた、海の幸(海老など)をボイルしたものとワイン・・のようです。さすがに、kおばちゃんはお食事の内容をカメラに納める度胸はありませんでした。
それと、もうひとつまともに写せなかったもの・・
ものすごーーく高そうなクルーザー(シートが白いそう革張り)があり、結構な若い家族が食事中でした。うーーんあれはロシアの小金持ち、いえ金持ち??なんて思っちゃったkおばちゃんです。たくましい想像力でしょ?
ブリッゲン地区観光もお終いです。
魚市場とブリッゲン地区を結ぶところにこんなオブジェがありました。
こんな年号1914-1918がみられまからこれは 第一次世界大戦に関係したものでしょうかね。
かっこうのお休み所となっておりました。
さあ、魚市場まで 戻ってきました。
それにしても、クルーザーの花盛りですね。
さてさてお次にkおばちゃんの向うところは・・