中国ビジネスブログ「漢和塾の窓」

中国語や中国ビジネスに関連するテーマを、漢和塾の小川がつらつらと書き綴る・・・

回転寿司が、回転しなくなる日・・・

2011-06-13 23:29:47 | ビジネス
このところ、本来の中国や中国ビジネスとは関係のないことばかり書いていますね。今日は、なんと食べ物の話になってしまいました。お昼のランチは神田駅前の回転寿司。基本的に、私のランチのバリエーションは少なく、思い出せる範囲の数ヶ月では、回転寿司、ラーメン、吉野家、から揚げ弁当、一平ちゃん焼きそばと言ったところです。上海のランチを追加しても、CoCo壱番屋カレー、麦当労、盛賀美の定食だったような・・・

さて、本題の回転寿司ですが、この場所は私にはストレスのたまる場所です。その気持ちを一句詠むなら・・・
~干からびた 魚の気持ちに 涙する~と言った感じでして、何回転かするうちに明らかに誰もとらなくなったお寿司を見るたびに胸が痛むのです。別に店がやっていけるんだからいいじゃないか!と思うかも知れません。が、生鮮食料品売り場が趣味の私としては、貴重な魚は新鮮なうちに確実に食されたいという思いがあります。

問題視したいのは、最近の回転寿司で特にひどくなったのは、目の前に流れている品があるのに、同じものをわざわざ注文する人が圧倒的に増えたこと。もちろん、店側がそれを推奨したり、今日のお店なんかはタッチパネルで注文できたりしますから、私も「かんぱち」を注文したら、目の前に乾いた「かんぱち」三皿が流れていた・・・次からは注文をやめて、できるだけ水分の乾いていないお皿を凝視しては取るようにしてみました。当然、目の前の皿には目もくれず、ひたすら注文して新鮮と思われるお皿だけを食する方もいます。

この無駄の原因は、店側が8割、消費者に2割の非があると思います。先に消費者ですが、回転寿司に来たなら回転しているものを食べよう!と言いたくなります。本来、回転寿司の低価格は、店のペースで握るので調理スタッフの数が減らせること、また、流れる皿に刺激されてか、お客さん自体の回転がよくなることがあると思われます。高級寿司店でもないのに、少ない人数のスタッフに偉そうに頼むのはいかがなものか?と言う暴論。

もちろん店側の問題が大きいわけで、乾きを防ぐカップをかぶせるのではなく、回転数を把握して、「作りたて」がわかる仕組みを構築できないか。そうすると逆に、5回転以上の皿は半額!と言った施策も打てます。また、注文可能なものを多少限定してもいいですが、基本、人気メニューのラインアップは、お客さんの入りを見ながら適量を流す!さらに新しい皿を流す時は、「はい!これからまぐろ赤身5皿行きま~す!」的に掛け声で案内してメリハリをつけるべきです。そのコストダウンで、もっと美味しいものを安く提供しないと、回転しない寿司屋と値段があまり変わらなくなり、ランチ時でも人数が少ない、ゆえに注文された通りに握る、と言った悪循環になっているのではないでしょうか?タッチパネル取付の費用よりも、スタッフの教育が必要だと思います。

中国でも回転寿司は流行っていますが、すでに同じ問題が起きていて、ひたすら直接注文していました。回転寿司の業態は、中国のほうが先に工夫したり変化したりするのかも知れませんね。

日本の現代史を知る一冊!松本清張「日本の黒い霧」

2011-06-12 22:52:12 | 政治
日々の経営、業務と並行して、私の頭の中には、常に日本の行く末の不安が潜んでいます。今回の歴史的な大地震、それに伴う、これまた歴史的な原子力発電所の大事故が起きたにも拘らず、日本の政治は、引き続き一部の売国奴と、影のオーナー(米国)の指示によって、どさくさに紛れた消費税の増税を画策しています。電力不足によって、日本企業の競争力が削がれようとしています。それでも休業日を変更したり、涙ぐましい努力をしている自動車産業など、日本の経済界は困難にもめげずに打開策を見い出そうとされている・・・頭が下がります。

橋下知事が独自の節電目標をぶち上げ物議を呼んでいましたが、感情論に流され、変な平等・共感主義で一律15%などと言う設定をする前に、日本列島全体を見回して、どのエリアが日本をカバーしていくか、時間のかかる復興と言う守りを急ぎながらも、世界経済の中で乗り遅れない攻めの戦略をとる必要があります。原発反対派の方には怒鳴られそうですが、本来事故の可能性と重大性がわかっている電力を導入した限りは、責任の所在をハッキリすることだけが重要で、まさかのことを議論して点検や停止ばかりしている時ではありません。ドイツが原発をなくすと言っていますが、それは隣の国から買えるからでフランスは大喜びでしょう。欧米、中国いずれの国でも原子力発電なしに経済成長どころか維持も成し得ないわけですから。浜岡原発のあまりにも早い判断をアメリカの指示と公言しました。勘のいい人は同感いただけますが、あれは危険だ!と一蹴されることも。危険と言うなら日本に限らず世界のすべての原発が危険だと思いませんか?

私は別に宗教的、あるいは政治的に偏った考えは一切ありません。ただ、40代も半ばを過ぎ、世の中のことを両面みるようになっただけだと思います。特に、日本でなされる報道の違和感は、中国を含めた外国から日本を見たことで感じましたし、政治の流れを変えるような大きな事件の裏側には必ず目的をもって仕掛けている人がいる・・・実際後になって分析するとほとんどがそうです。特に面白いのは、女、酒、汚職がらみで逮捕・糾弾された人の背景を追ってみること。例えば、手鏡事件の植草元教授、酔いどれ会見の中川元財務大臣、古くは田中角栄氏から現在の小沢一郎氏、IMFトップのセクハラ事件も何か裏があるかも知れませんね。

私のブログを見ていただく方の中には、大手企業の社員の方も多いかと思います。中国、欧米など世界での赴任経験を持った方もいらしゃるでしょう。戦争、戦後を知らない世代が日本の担い手になっていくわけですが、あらためて今の日本の仕組みが、どうして出来上がったのか?問題点は何で、誰が既得権益者か?ニュースの裏側に何があるのか?実力や影響力を持った人自らが勇気を持って変わらなければ、この国は変わりません。もちろん、一部政治家のようにサラリーマンとして他国に隷属していても人生は楽しめます。が、日本人として、この国の未来を明るいものにしていきませんか?冒頭の書籍も多少のヒントにはなると思います。


日本、この素晴らしくも、歯がゆい国家!

2011-06-10 23:57:53 | 政治
6月4日、先週の土曜日に日本に帰国して、あっと言う間に1週間が経とうとしています。溜まりに溜まった仕事に追われ、またどうしても伝えたいことを伝えるためにクライアントさんを訪ね、今週は11社、17人の方にお会いできました。「日中異文化概論&自己紹介の中国語」と言う1日講座も実施させていただき、少なくとも中国ビジネスに関係する方のお役に立つ情報を提供し、また、逆にご指導いただく・・・毎日が充実していますが、それでも私一人では、年間でのべ500社の訪問機会をつくるのがやっとです。

さて、そんな日本では、次期総理大臣を巡り、駆け引きが始まっているようです。官僚とアメリカの忠実な犬でもあった菅政権、ヘッドが変わろうが、同じような売国奴に政権を引き継がせたいところでしょうが、日本にはまだ、保身に走るのでははなく、国の形をまともに考える政治家がいることを信じて止みません。

そして何よりも期待すべきは、若き官僚、あるいはマスコミ社員の中で、慣習やサラリーマン気質を拭い去り、日本の自主独立のために声を上げる人材が現れてくれることです。正直、今の仕組みなら総理大臣は誰がやっても変わりません。戦後もずっと権力を掌握してきた官僚組織とアメリカの後ろ盾、さらには注射を打たれたマスコミが存在する限り、日本の仕組みは変わりません。官僚打破を唱えるのはやめて、本来は優秀な官僚のトップの皆様にこそ、責任と権限を与えて、表舞台で日本の運営をしていただきくべきでは?また、本当のジャーナリストなら、資金に縛られて世論誘導をするような人には成り下がってもらいたくない!アメリカはIMFまで使って日本の消費税を上げたいようですが、日本の独立は並大抵の努力ではできそうにありません。

ただ、悲しいのは若い世代、自分の息子も含めてですが、あまりにご気楽と言うか、危機感がないように感じます。中国の80年代、90年代以降の一人っ子世代が槍玉にあがりますが、日本の同年代も、真面目と言えば真面目ですが、海外志向が低下しているだとか、安定志向、保守的だとか漏れ聞きます。海外の方から、日本の放射能の情報隠匿や、総理大臣持ち回りの現状に対して、暴動にならないのが不思議で仕方ないと言われることがありますが、内向きな関心ではなく、もっと外に目を向けて欲しいところです。

日本人の寛容さ、落ち着きは賞賛すべきですが、見たくないものに蓋をしていても、気がついたら中身が腐ってしまいます。腐ったみかんの中にいると、みんなが腐ってしまうわけで、病巣を認識し、痛みを伴ってでも除去することが国の経営者、トップがやるべき仕事です。もう馴れ合いはやめましょう。風見鶏もやめましょう。いつぞや中国の李鵬首相が言っていたように、「21世紀の半ばには日本と言う国はなくなっている・・・」そんなことにならないように、実力も権力もある方々が勇気を持って変化することを期待します。実力も権力もない私は、ここで文字を叩くことしかできませんが、やっぱり日本が好き!そんなことをあらためて思った零時前です。


1989年6月4日「天安門事件」と現在の中国!

2011-06-05 00:56:41 | 中国
日中の時差は1時間、腕時計を調整していなかったために、6月4日に書くつもりのブログが5日になってしまいました。1989年6月4日、当時、私はリクルートと言う会社で、ABROADと言う旅行雑誌の営業をしており、日中旅行社など中国専門旅行会社を担当していましたが、事件の真相より、毎月の目標(広告収入)が減ることだけを気にしている、まったくもって無知な若造でした。実際、数年前までは、「9・11」などの世界の大事件についても、自分が見たニュースソース以外に、さしたる分析もせず、「中国は悪い!」「アルカイダは悪い!」と決めつける人間に成り下がっていたように思います。ちょっとまともに考えてみれば、事件の裏側ぐらいは見えたのに・・・

天安門事件は二つありますが、日本、世界に衝撃的だったのは1989年6月4日でしょう。1976年4月5日の天安門事件と並べて、第一次、第二次と呼ぶ向きもありますが、まずは、この二つの事件の本質が、まったく別のものであることを理解しないと、単純に民衆と軍の衝突、あるいは、民主化と独裁のような構図にしてしまっては、本質が何も見えなくなってしまいます。いわゆる四五天安門事件は、文革末期、四人組の悪政への不満が高まる中、周恩来氏の死去を弔い集まった民衆を当局が襲撃したもの。結果的には事件は捻じ曲げられましたが、その後の奇跡的な四人組の逮捕で、小平氏の改革開放路線が始まります。

改革開放政策は、社会主義資本経済と言う言葉が語るように、当時の中国では矛盾に満ちたもの。2011年現在まで時計の針を戻すと、この矛盾は、強力な指導体制と、積極的な外資導入による資本経済で、中国を発展に導いているわけで、今のところは、小平氏の事業計画は功を奏しています。が、1989年時点では、政治基盤も人民の意識・知識も脆弱な状態であり、こんなところに民主化などを持ち込めば、恐らく中国は、台湾・香港どころか、7つや8つの国に分裂していたかも知れません。自由とはエゴでもあり、最終的には、戦乱の時代か、独裁者の出現でしか片が着かないのが現実であり、「秩序あってこその自由(孔子)」は的を得ています。

当時、学生を中心とする抗議者で犠牲になった方々の冥福をお祈りします。しかし、アメリカの仕掛けでもある「民主化」と言う他国への揺さぶりは、世紀が変わっても常套手段であり、自分に都合の悪い他国の政権を倒す絶好の言い訳が「民主化」でもあります。自由、民主化で成功しているはずのアメリカ本国が、何ゆえ外敵ばかりを作らなければいけないか?世界の矛盾も、少し冷静に見ればわかることです。もちろん全面的に支持はできませんが、国家として、あの日、あの時、国の分裂を救い、その後の発展のシナリオを途切れさせないようにするには、小平氏の武力弾圧は、これしかない!と言う政治判断だったと私は思います。天安門には、いまだに毛沢東氏の写真が飾ってあるので、印象として勘違いしそうですが、苦難を乗り越え、国を発展させた希有な政治家、小平氏の人生の歩みは、中国ビジネスに関わる人なら一度研究してみる価値はあると思います。




トップには重い重い責任がある!当たり前のことですが・・・

2011-06-03 10:08:13 | 政治
昨日から北京に来ております。昨年の12月末以来、久々にやってきましたが、オリンピック以降、まるで東京のようになったとは思っていましたが、さらに加速したような気がします。まずは、喧騒の上海と比べて、人が少ない、音が少ない、埃が少ないことでしょうか?

首都と言うことで、人口の流入をコントロールしていることもありますが、中心部の地下鉄の乗り換え駅でも、それほどの人口感に圧倒されることはありません。車はさすがに多いですが、どれも新型、車線に従って整然と運転していて、何よりもクラクションの制限がなされているのか、基本的には静かなものです。黄砂の時期を過ぎてきてしまったので、一概に空気が綺麗とは言えませんが、少なくとも昨日は、遠くのビルがはっきり見えました。首都の誇りとでも言うのでしょうか?4,5年前からの変化は凄まじいものがあります。

さて、日本では、内閣不信任案の否決のニュースが飛び込んで来ました。びっくりなのは、敵前逃亡と思われる直前の辞任表明で、超日本人的に鞘を収めて、否決を導き出したのに、いざ否決されると、「紙に書いた覚えがない」だとか、「時期は明言していない」だとか言って、完全に居直りましたね。首相と言うより、浅ましい人間とはこのことだと、中国人の友人に話すのも恥ずかしいくらい、愕然となりました。

が、ふと思えば、総理になりたいだけで運よくなったとしても、国の責任者には違いないのですから、震災復興もそうですが、解決の目処もつかない放射能汚染の事故について、自民党や東電など他人のせいにせず、世界からの厳しい目にも晒されながら、とことん責任を取っていただこうではないか!と強く思います。子供でもわかることですが、権限のあるトップには、責任が当然あるわけですが、今の総理にはまずその教育が必要です。

今の総理に権限があるかと言われると、政治家が日本の自主的な運営もできない状態では、輪番制の名誉職にしか過ぎませんが、アメリカ、官僚、マスコミからの独立を起動するチャンスはそう残っていません。ふと、経済界を考えてみましたが、ここ中国に進出している企業、特に大企業ですが、本社も含めた全体では、中国の総経理は組織の中の一部かも知れません。が、中国でビジネスをしていく以上、現地法人の責任者は、本来すべての責任を負っているはずです。一部の優秀な企業は別に、まだまだ、本社にお伺いを立てなければ決めれない企業や、駐在員などと言うテンポラリーな気分で3年、5年を安全運転しようとする総経理もいるのは事実。

世界も会社も、トップの資質は、責任をとれるかどうか!そのためには胃も脳みそも痛むでしょう。あらためて、自らの敢度を鍛えなおさなければと思った、北京の朝でした。