中国ビジネスブログ「漢和塾の窓」

中国語や中国ビジネスに関連するテーマを、漢和塾の小川がつらつらと書き綴る・・・

視界を広げるには、教育と経験が必要ですね。

2012-04-29 14:26:14 | 中国
今朝もホテルの近くの公園をジョギングしました。雨上がりの日曜日は、労働節三連休の初日とあって、いつもに増して多くの人が集まっていました。70歳以上と思われる方が多く、若い人を足しても平均年齢は60歳は超えてるでしょうか?太極拳を凌ぐモダンダンスのおばさん達、今日のBGMは洋楽のロックになっていました。

このような公園をスローペースでジョギングをしていますと、これは中国の街中でも感じることですが、彼らが正面から来るならまだしも、斜め向かい、あるいは横から現れた時、ほとんどの人が私の存在を意識していません。人間の視界というのは、何となく90度くらいあるように思いますが、彼らの場合は、45度か、下手すると30度くらいではないかと思うほど、わが道をそのまま進んできます。当然、ぶつかりそうになるのを避けるため私が停まったり、よけたりすることになります。車で言えば、どう考えても私が先に交差点に入っているのに、横から突っ込んでくるみたいな?うまく表現できませんが、気を発しているほうが勝ち!それが暗黙の掟のようです。

以前に、中国語で気を遣うと言う言葉が見つからないと書いたことがありますが、これだけの人口、しかも様々な価値観や次元の人が一緒にいると、いちいち他人を気にしていては生きていけないのでしょう。ジョギングルートにもなっている通路の脇で、ダンスを繰り返すおばさんの団体は、音楽に乗って後ろにステップする際、通路を歩く人のことなどおかまいなしにバックしてきます。確かに後ろに目がついていませんからね。

ふと、日本で90度どころか、車の右折時にバックミラーを見て、後続の車が何台あり、この右折矢印信号で何台曲がれるか?などと後ろを気にして運転をしている自分に気付きました。日本ではよく、前から来た人と譲り合って、どちらも同じ方向に避けて右往左往している光景を見かけます。無駄な動きのように見えますが、どちらかと言うと他人が主役になってるからこそ起きる現象です。

中国の豊かさは紆余曲折ありながら、この10年くらいで得たもの。文革を過ごした世代には、かりそめの一瞬なのかも知れません。誰でも自分が中心ではありますが、様々な人間関係を通じて、他人のことを思いやる気持ちを持つようになるには、教育と経験が必要です。これは、世界の中の中国にも言えることで、13億の大国が、米国の一部の人みたいに自己中になっては世界が滅びます。英米人に見られる選民思想と中国人の中華思想、世界はユダヤ人と華人の争いだとは以前に述べましたが、気遣いや謙虚さにおいて、先を競ってもらいたいです。

視界の話を偉そうにしてみましたが、最近はスマホ片手に、視界が0になっているにも関わらず、「私だけは周りが見えてます」的な態度で、駅構内を歩く私がいることも思い出しました。正すべきはわが身ですね。

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