中国ビジネスブログ「漢和塾の窓」

中国語や中国ビジネスに関連するテーマを、漢和塾の小川がつらつらと書き綴る・・・

ようやく妻も納得?読売新聞の断末魔。

2012-07-13 10:51:06 | 私事
連日の飲み会続きで、少し朝は出遅れました。出遅れついでに、今月で解約の決まった読売新聞を開こうとすると、妻が「また、朝から苛立たないでね!」と言うので、何かと思えば、巨人の裏金問題で、読売が朝日新聞を提訴するようで、それについての自己弁護が延々書かれていました。26億ではなく8億だとか、契約金上限は目安だったとか、相変わらず小学生にも説明のつかないことに紙面を割いていました。つまり、バレてはまずい事は、まずい事をした人よりも、バラしたほうが悪いと言う新たな定説です。

妻が続けて、「私はどうでもいいけど、さすがに新聞があんなこと書くようになったら終わりね。確かにやめたほうがいいわ。」

政治にも、私の意見にも無関心、かつ今までほぼ新聞、テレビの報道に洗脳されてきた妻の発言だけに、まるで新興宗教に毒されて出家していた身内が自宅に戻ってきてくれたかのような感慨がありました。大袈裟ですが、常々、国民とやらが一番無知で、偽政者はそれを利用するものと述べていますが、さすがに焦りからか読売新聞もボロを出し、せっかくの無知な国民を目覚めさせてしまいましたね。CIAもさすがに野球の話だから検閲しなかったのかな?ある意味で今日7月13日は読売新聞崩壊への記念日になりそうです。もちろん、国民などと一括りにしても税金を払う人と使う人は同じではありませんが。

ま、妻が「どうでもいい!」と言うとおり、プロ野球と言う興行で、選手が何億もらおうと、監督がヤクザに一億渡そうと、私らの生活には支障はありません。野球見るのやめて、新聞解約すればいいのです。が、日本の行く末を左右する政策や国策について、偏った権力側の報道をすることは、公称部数一位のメディアの影響力からすると犯罪に近いものです。朝日新聞とて、古くはリクルート事件の時にアエラを中心によくぞそこまである事ないこと書くな~と思いましたが、あれ以来、大手新聞も、大スポやフライデーあたりと同じだと考えるようにすれば楽しめるもんだと思いました。

寡黙で従順な日本人も、「茹で蛙」の温度の上昇に気づき始めましたかな?飛び出すには2012年しかないかも知れません。マヤ文明の預言通りにはならないように、今、この時に意識を持つ、意識を変えることが必要ですね。意識が変われば行動が変わる!行動が変われば結果が変わる!ふと、どなたかの名言を思い出しました。

今はすでに、神戸に向かう新幹線の中。夕方からは熊本に移動します。歴史的な大雨の被害がテレビで報道されていますが、現地の人に確認すると、同じ熊本県、熊本市でも被害状況は違い、基本的に通常通りに業務が行われるようなので、予定通りに移動します。走りながら考えなければならない毎日ですが、この新幹線の空間は、まさにもうひとつのビジネスルームと言えましょう。



「ニイハオ」と「シエシエ」だけでは再見(さようなら)です。

2012-07-12 15:43:53 | 中国語
今日は、加盟している日中投資促進機構の会合に参加してきました。会長は豊田章一郎氏。名だたる大手企業の方々が会員になお連ねる組織で、私のような若輩ものが参加していいのかとも思いますが、最近は、中小企業も含めて新規会員が増えているとのこと。喜ばしい限りですが、あるコンサルタントの方がおっしゃってましたが、中国に進出するのではなく、成功していただきたい!との言葉は実感がありました。お昼の懇親会には、中華人民共和国駐日本国大使も出席、自民党の衆議院議員甘利氏もスピーチをされてましたが、日本の復活には、「元気なところから先に元気になる!」と小平氏の先富論を引用していましたが、これも同感です。悪平等な概念では、日本は本当に沈んでしまいます。

そんな中、無礼にも駐日大使の程永華氏に挨拶をさせていただきました。漢和塾の名刺など出しても当然認識されないので、思い切ってすべて中国語で自己紹介をしてみました。後ろに名刺交換の列もあるので、手短に事業の内容や上海に会社を出していること、独学で勉強していることを伝えました。大使からは中国語で対応していただき、ありがたくお名刺も頂戴しました。依然の王毅大使もそうですが、彼らの日本語は凄まじく流暢で、ここは日本とは言え、中国に関わる人の集まり、やはり中国語は必要です。

その必要性については、これまでにもレベル別に述べてきましたが、今日は新会員になった別の語学学校の代表の挨拶があり、そこで、社長さんこそ中国語を使っていただきたい!你好と谢谢と再见さえできれば十分ですと宣伝していました。前段は同感で、企業のトップこそ、中国語でのあいさつは必要です。が、後段の你好と谢谢と再见でいいと言うのはいかがなものかと思いました。外タレが来日して、ありがとう~、こんにちは~などと言っても、今や嫌味にしか聞こえないとの同じように、いくらなんでも你好と谢谢だけでは、まさに再見(さよなら)されてしまいます。

もちろん短期で中国語が急にできるわけがないですし、社長さんは忙しい。ですが、わずか二時間でも、コツさえきっちり指導できれば、自分の名前、社名など簡単な自己紹介はできるはずです。それも正しい声調で話すこと!それが相手との距離をぐっと近づける重要なポイントになります。もちろん、2時間のレッスンを担当できる講師はほんの一握り、ただネイティブの前でマネをすればいいと言う次元のものではありませんが、中国と、中国人とビジネスをしていく上では自己紹介は欠かせないものです。そんなことなら、弊社金枝が出版した「中国語で自己紹介ができる本」をご紹介させてもらえばよかった・・・とは思いましたが出過ぎたマネは禁物ですね。役職、立場、仕事のミッションに応じて変わる中国語の必要性。肝心の研修会社や語学学校が理解していなければなりません。やはり事件は現場で起きていますから・・・

「NO」と言う相手が違っていませんか?

2012-07-08 21:46:59 | 国際
「NO」と言える日本と言う書籍が出版されたのは1989年。私は、リクルート入社2年目、中国では天安門事件などが起きていたでしょうか。石原慎太郎氏とソニーの故・盛田昭夫氏により執筆されました。日本は、まだバブルの全盛期、すでに崩壊の兆候はありましたが、当時の私は残業200時間の見返りに、年齢の割には高額な給与をもらい、またそのほとんどを六本木、海外旅行に費やしていたものです。三菱地所がマンハッタン、いや、アメリカの富の象徴とも言えるロックフェラーセンターを買収したのも1989年です。

当時は、アメリカ、あるいは欧米偏重の経済政策や制裁に対して、日本独自の反論ができた時代で、実際、私も含めて「そうだ!そうだ!」と血気盛んだったものです。バブルが弾けたと言われてもう何年経ったでしょうか?20年近い年月の間、日本の政界だけは結局大した変化を望まず、まるで調子に乗りすぎた日本のアメリカへの反抗に鉄槌をくらわすように、政府、マスコミだけでなく、経済までも、元のアメリカ隷属に逆戻りしてしまいました。失われた20年どころか、原発大事故まで起きて、まさに踏んだり蹴ったり。子供らに、「昔、昔、日本は独立国家だったのよ~」と読み聞かせる夜が来るかも知れません。

そんな折、当の石原慎太郎氏が、「尖閣諸島を東京都で購入!」などと言い出したことから、政府が買う買わないの議論にまでなっています。韓国の竹島ではなく尖閣であるところに、日本の置かれた状況が見て取れます。韓国は実質的には、日本以上にアメリカのコントロール下に置かれていて、日本と韓国はサッカーの共同開催や芸能などソフトパワーで友好関係に見えますが、これは韓国を利用した日本の底辺からの切り崩しです。底辺の黒幕がフジテレビなどのマスゴミであることは、ようやく日本国民も知るところとなったようです。そして、もう一つのアメリカの極東アジア分断作戦は、日中友好禁止令です。これも正力松太郎から連なるアメリカの諜報機関、日本テレビが味方についています。

アメリカに対してモノ言える政治家であったはずの石原氏も、息子は自民党の犬とマスゴミのお天気キャスターでは、さすがにわが子可愛さか、NOと言えなくなったようです。そして、NOの矛先を中国に変えてしまいました。領土問題などは、喉に刺さった魚の骨、本気で解決するなら戦争しかありません。グレーゾーンを残しながらも強かな交渉、駆け引きができてこそ外交。当のアメリカは中国と睨み合いながらも、ちゃっかり関係は持ってます。気が付けば倒産の危機だったGMが中国で好調なわけですから。それもこれも、日本が独立国家ではなく、アメリカのいい様に操られているからで、米中並び立つ世界の中で、日本のプレゼンスを弱めるには、やはり反中反日戦略が一番なのは今に始まったことではありません。

前門の中国、後門の米国、脇の下に韓国・・・今の日本の置かれた状況はこんなところでしょう。

予定外の深夜の羽田着!日本人の忍耐とマナー。

2012-07-07 02:33:29 | 私事
日付が変わって七夕に。6日金曜日の午後五時に上海浦東空港を飛び立つはずが、空港混雑で2時間遅れ。さらに途中で飛行機の電源が落ちて復旧作業。ようやく滑走路に出ましたが、風向きが変わり別の滑走路に移動。結局、飛び立ったのは夜9時近くになりました。時差のある日本には、その日のうちに辿り着けず、成田着が羽田着に変わりました。首都圏近郊行きの無料バスが用意され、乗客全員に交通費として現金5000円が手渡されました。明日は銀座出勤なので、現金を足しにして都内に泊まることにしました。

搭乗したのは日系の航空会社。度重なる機長からの予定変更に、私のほうはランチ抜きだったこともあり、苛立ちが首をもたげ始めましたが、私以外、ほとんどの人は騒ぎも舌打ちもしません。以前、上海から北京行の国内線で、天候悪化で天津に6時間足止めを食らった時は、何人かが機長室に詰め寄りましたが、航空会社からは何の説明も、もちろん後の保障もありませんでした。客室乗務員も他人事、それでも最後は乗客同志で暇つぶしに談笑をするなど、不思議な体験をしました。

大震災、さらに原発事故と、国家が揺らぐような大事件でも、世界の賞賛を浴びるほど冷静だった日本人は誇れることなのかも知れません。飛行機が4、5時間遅れても愚痴一つ言わず指示に従えるのですから。その反面、ネットの乗換案内通りに電車が来ないだけで鉄道会社に文句をつける人は増えてるような気がしますし、今日の機内で隣にいた男性は、両腕はみ出して肘掛を独占、靴を脱いでは臭い足をシートに乗っけるわ、マナーなど何処吹く風。失礼ながら中国人か韓国人だと思いましたが、パスポートから日本人と判明。狭い機内で無用の争いは避けたいので寝ている隙に肘掛を奪い返す程度に終わりましたが・・・報道統制されているとは言え、官邸前での万人単位のデモも起こるようにもなっています。なぜか大飯原発再稼働反対に誌面の論調はなっていましたが、明らかにテロ行為的で詐欺に等しい消費税増税ゴリ押しに対する野田政権への怒りもあったはずです。

確かに、怒りや憎しみは何も生み出しません。暴動やクーデターは最後の手段ですが、結局は更なる暴力を招きます。日本人が持つ忍耐や、自然発生的なマナーは失うべきではないと思います。

ふと、政治や社会や世の中に、切れ気味で接して、常に苛立ちを抱えている自分のことも反省しました。 紛いなりにも会社の経営などしているわけで、メンバーにとっても、社長が苛々していることほど馬鹿馬鹿しいことはないです。実際、昔の上司が苛々しているだけで軽蔑したのは当の私自身だったのですから。深夜のホテルチェックインになりましたが、24時間営業の露天風呂に救われて、少し穏やかに眠りにつけそうです。

気温38度の上海!忘れ物は何ですか~?

2012-07-06 16:55:07 | 中国
井上陽水『夢の中へ』は、探し物は何ですか~?♫だったと思いますが、朝からすでに真夏日の上海、現在の気温はついに38度!体感は40度を超えています。今、まさに上海市内を後にして空港に向かっていますが、実は朝、事務所に出勤した時に乗ったのと同じタクシー、同じ運転手です。

別に専用車などあるわけがないですが、今朝、ホテルでチェックインを済ませて、スーツケースをタクシーのトランクに積んで、事務所に行ったのですが、降りる間際に電話が鳴り、さらに交通カードが料金不足でいらぬやり取りをしている間に、トランクの荷物などすっかり忘れてしまいました。そそくさと事務所に消えた私ですが、運転手もしばらくしてトランクの荷物に気付き、現場に戻りビルの下で数分様子を見たようです。が、結局は、本社に連絡し、忘れ物の申告があるのを待つことにしたようです。

が、彼も、後ろに載せたままの荷物が気になったのと、私がスーツケースに鍵をかけていなかったこともあり、 昼休みに空けてみたようです。実は金目の物ははほとんどなく、汗まみれの衣服だらけではありました。

私はと言うと、午前中からバタバタと忙しく、午後になって出発の準備をしようと思った瞬間に、とんでもない事実に気づきました。一瞬、何て間抜けなことをしたんだと言う後悔と、衣服がほとんどとは言え七日分は大損失、妻の怒る顔が頭を過ぎりましたが、タクシーの領収書に一縷の望みを見出そうとしました。スタッフにも手伝ってもらいタクシーの監督所に電話しましたが繋がらず、焦りと諦めが交錯し、出発時間も気にし始めた矢先、事務所あてに一本の電話がなりました。それがまさに、朝のタクシーの運転手!臭い衣服の上に、偶然一枚だけ置いていた会社のパンフと私の名刺を見て電話をしてくれたのです。

タクシー会社が『大衆』だったこともありますが、よくぞ電話してくれたものです。結局、そのまま事務所まで迎えに来てもらい、何事もなかったかのように朝と同様トランクにスーツケースを積んだまま空港に向かったのでした。もちろんタクシー代以上の謝礼もしましたが、ま、間抜けな私のことはさて置き、運が良かったと思います。スーツケースを忘れたことに気付いてから彼の電話が鳴るまで実質20分の狼狽、今となっては笑える話ではありますが、暑さのせいにせず、以後気をつけます。