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南北戦争後のアメリカ

2014年10月28日 | 高3用 授業内容をもう一度

アメリカ合衆国の南部諸州は,1865年に南北戦争に敗北した後,北部共和党の主導の下で,荒廃した国土の再建を行うことになった。奴隷制を争点とした1860年の大統領選で奴隷制反対を標榜する共和党リンカンが合衆国大統領に就任すると,1861年南部が連邦から脱退し,ジェファーソン=デェヴィスを大統領とするアメリカ連合国を建国した。それ以来,合衆国は分裂の危機にさらされてきたが,南北戦争の終結により,南部諸州は再び連邦へ復帰することになった。そして,それまで南部諸州が主張してきた自由貿易と奴隷制の存続,州の自治の要求は退けられ,南部は北部産業資本の下で,全国的に統一された市場経済に組み込まれることになった。その結果,北部産業資本は急成長を遂げ,工業化を完成させたばかりか,1869年から80年代にかけて数本の大陸横断鉄道を開通させたことで,西部の自由農民を含めた国内市場の統合が進んだ。このことは,さらに工業化を促進させたため,1880年代にはトラストという形態による独占資本主義が成立し,アメリカは1890年代に次の段階,すなわち国内市場から国外市場への進出という帝国主義政策に展開していった。

一方,いわゆる再建期は,南北戦争終結直後から1877年まで続いたが,その間,南部は5つの軍管区に分けられ,連邦軍による軍政下におかれた。解放民局とよばれる政府機関が,解放された黒人奴隷への食糧の給付,仕事の仲介斡旋,教育や医療サービスの提供などを行い,占領行政において中心的な役割を果たした。

南北戦争中の1863年にリンカン大統領によって出された奴隷解放宣言は,1865年に制定された憲法修正第13条によって明文化され,翌年には,人種・肌の色・以前の隷属状態などに関わりなく,すべての合衆国市民が平等な立場で社会に参加できる権利を保障した公民権法も制定された。さらに1867年の再建法では,黒人に選挙権を与える規定をもつ州憲法を制定することが義務付けられた。

しかし南部の再建には,多くの困難が伴った。さまざまな法律上の改正が行われたにもかかわらず,連邦政府による黒人への土地の再配分は実現せず,農業以外の職業経験に乏しい黒人の生活はあまり向上しなかった。南北戦争前に広大な奴隷制綿花プランテーションを所有していた大農場主は戦後,土地を細分化し,住居や農具などとともに貸し出す農業方式を採用し,黒人をシェアクロッパー(分益小作人)として雇用することによって大きな利益を得た。

その一方で,南部の白人指導者たちは民主党の下で政治的な影響力を強めるとともに,州レベルで黒人取締法(ブラック=コード)を制定し,黒人が獲得した諸権利の剥奪を行った。また各地で,黒人の社会進出を恐れた白人至上主義団体が結成され,黒人を迫害した。なかでも,テネシー州で結成されたKKK(クー・クラックス・クラン)は,反黒人だけでなく,反移民・反カソリックを訴え,勢力を拡大した。その結果20世紀初頭までに,州法によって白人と黒人を日常生活の多くの場で人種別に分離する制度が,南部諸州を中心に確立されることになった。


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