西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

父の時代

2009年07月09日 | つれづれに
私がまだ小さかった頃(幼稚園の頃)土曜日になると父はよくナイトショー映画を見に行っていた・・・・・姉弟3人の中で一番連れて行きやすい齢の私がいつもお供。 たいていは西部劇や戦争映画か時代劇で2~3本立てで7時から11時頃までかなあ・・・・ドンドンパチパチやっている間は目をパチクリして画面に釘付けだったけれど作戦会議の場面とかラブロマンスのシーンになると(まだ小さかったから事情が飲み込めず)退屈で自然に眠りこけて映画が終わって起こされて帰る・・・・といったことの繰り返しだった。”陽動作戦”という戦争映画を見た時 「これはねえ、”きつつき戦法”といって川中島の戦いの時上杉謙信が用いた戦法と同じだよ・・・」とかコソコソと話してくれたものの僕は何のことか解らずにじっと見ていた・・・そんなことがあった。西部劇も「ウィンチェスター銃87’」「大酋長」などの題名を覚えているほか、 大勢のインディアンが空に向けて迫撃砲のように矢を雨あられと放って騎兵隊を苦しめるというシーンを覚えていてそれが後年レンタルビデオで借りて見た「ブラボー砦の脱出」という西部劇だと判った時は”ああ、あの時の・・・・”と感激したものだった。
陸軍士官学校を卒業して(48期)、昭和13(1938)年に起こったソ連との国境紛争”張鼓峰事件”に少尉として初陣参戦以来~太平洋戦争で南方の島で戦い日本が敗れるまで、ずっと戦争の時代だった父の時代。 陸軍少佐で終戦を迎えそして戦後はたいした仕事にも就けずに小さな仕事を続けて若くして亡くなった。 戦後生まれの私達3姉弟は父の栄光の時代を知らないけれど酒を飲んで軍歌を歌っていた姿はよく覚えている、「生きて帰れただけで十分だ」が口癖だったと母が言っていた・・・・・自分が戦ったはずのアメリカの映画が好きだった父、ゲーリー・クーパーが好きだった父 なんだか矛盾しているけれどひょうきんなところがあったのできっと根は単純な人だったんだろうなあ・・・・と思う。もっと長生きして Country Song でも聴かせたら案外気に入ってくれたりしたかも知れない(smile)・・・・・今日は父の命日。
(写真は人吉城)

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