西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

高山彦九郎の本"彦九郎 山河" を読む

2019年08月11日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に

 
高山彦九郎の本
「 彦九郎 山河 」 ( 吉村 昭 文春文庫 )を読む
亡くなった吉村 昭さんが採り上げる歴史物は何故か私の興味ある人物や事象と合っていることが多い(不・思・議 (^^))
吉村さんが高山彦九郎を採り上げるきっかけになったのはオランダ語訳の解剖書「ターヘル・アナトミア」を「 解体新書 」として杉田玄白らと共に和訳した前野良沢を主人公にした小説「冬の鷹」を書く時に良沢の資料を調べていたら思いがけず高山彦九郎という人物が出てきて驚いたことによる....とのこと。
高山彦九郎は膨大な量の日記を残しているらしい。

さらに吉村さん曰く、
「 彦九郎といえば、京都の三条大橋の袂で御所に向かって土下座している銅像に全てが象徴されている。奇行の多い狂信的な尊王論者であることが定説化している。だが、彦九郎の日記を読んだ私はそれまで抱いていた彦九郎とは別の人物を見た。 彼が狂信的な尊王論者とされたのは、終戦時までの軍団主義教育で国民の戦意高揚の道具として利用されて実像とは程遠いものにされたからにほかならない。終戦と同時に狂信という文字を冠され、忌まわしい人物として侮蔑の対象にすらなった。この小説を書いたのは私をはじめ世の多くの人達が抱く彦九郎の像を修正したいと思ったからだ 」とのこと(^^)

世の多くの人達どころか私なんか高山といえば飛騨高山かキリシタン大名高山右近か " 心凍らせて " を歌ってヒットさせた高山 厳(ゲン)くらいしか浮かばないから(^^)

さらに吉村さん曰く、「 彼は武家による武断政治は仮のもので朝廷による文治政治こそ本来の姿であるとの信念を抱く。それは当然 反幕姿勢に通じるが、自説を世に広めるため幕府の追及をさけながら恐れず積極的に全国遊説の旅を続けた孤独な運動家であった、幕末期の尊王攘夷は彦九郎の社会思想を源とし、先達であっただけに幕府の追求も甚しく悲痛な死を招く......私は彦九郎の教養と純粋で物悲しい人間性にみせられた 」とのこと。 

 

以前に採りあげた「高野長英」同様に幕末黎明期に興味がある人には向きそう。 因みに私が興味を持つきっかけになったのは自宅から比較的近い久留米の歴史的遺跡を訪ね歩いた時に「高山彦九郎終焉の地」と 「高山彦九郎の墓 」があったことと、吉村さんの「歴史の影絵」という歴史紀行に高山彦九郎のことが載っていたことによります。 
いまの群馬県(上野国)生まれで流れ流れて福岡県久留米で死んだ(自刃)・・・藩という確固とした組織に属さない人だから比較的自由人であったのかもしれないけれど、逆に頼るべき確固としたものがない浮草みたいな立場でもあったと思われ、孤独な思想家というのが当たっているかもしれないです。 

時代は違うけれど 私も何故かこのような人には興味を惹かれるなあ・・・西郷や大久保、坂本龍馬などに先立つ人、生まれるのが早すぎた人とでもいうか・・・ 

それにしてもその行動力のものすごさにびっくりする。車なんかない時代にほとんど日本全国を歩いて回っているのだ。九州も回っており熊本、鹿児島、宮崎・・・と南九州まで脚を延ばしているのには驚く。特に昔の薩摩藩は入国が難しかったはずで、坊ノ津なんかにも寄っているんですね・・どうして来たのか、誰れに会ったのか・・・など興味深い。彼の訪ねた地図が載っていたので色鉛筆で色を塗って載せてみました. 

談ですが研究者によって36年の歳月をかけて昭和53年に「高山彦九郎日記」全5巻が出版されたとのこと。私の好きな司馬遼太郎さんにはない世界がある 

 

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