西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

つれづれに ( 時代劇 「 桜田門外の変 」 を見る )

2010年10月24日 | 時代劇映画


日本史の教科書に必ず載っていて日本人なら誰でも一度は耳にしている「桜田門外の変」をテーマにした映画を見た。

幕末において水戸藩と薩摩藩の浪士が時の最高権力者 井伊直弼を暗殺するという事件・・・・・ペリーの黒船来航以来 鎖国体制を根底から揺さぶられるようになった過程の中で起こった最大の、そして近代日本への生みの苦しみの一つともいえる大きな出来事、今からわずか150年位前の話なんですね・・・・現在100才のおじいちゃん、おばあちゃん達の祖父母の世代といえるかも知れない・・・・なんて考えるとそんなに遠い話ではないです。
でもこの事件がなぜ起こったのか、そしてその顛末は・・・・・となると案外知らないですね。

欧米諸国に開国をせまられ、天皇の勅許(承認)なしに通商条約を結んだ大老 井伊直弼(彦根藩主でもある)はそれに異をとなえる者をことごとく排斥してゆく( 安政の大獄 )・・・・・その結果 尊王攘夷を旗印に大老暗殺を企てる首謀者とその実行部隊18人( 関鉄之助以下の水戸藩浪士17人と薩摩藩士 有村治左衛門 )、映画はそのいきさつを忠実に追っていきます・・・・・雪の桜田門外の浪士達と大老 井伊直弼を守る彦根藩士達の死闘は 実際そうだったんだろうな-と思わせるほどリアルな描写でした。 普通なら桜田門外の死闘をクライマックスにもってくるんでしょうけど、作家 吉村 昭 の原作にもとづいているので、事件のあと関係者達がどういう運命をたどったかという後日談・・・・・が主題になっていてとても興味深いものでした。 

襲った浪士側の首謀者(計画立案者)、実行部隊とその関係者はほとんどが闘死したり自害、事件後捕らえられて斬首になっています。そればかりか 井伊大老を守る側の彦根藩士も闘死、負傷後死、守れなかった責任を問われて後日切腹させられる( 映画には描かれていません )・・・・・なんて結末に終わっているんですね。 映画の最期の方で、逃げおおせて逃亡生活を送っている関 鉄之助が事件のその後を聞かされて言う ”大老 井伊直弼の首ひとつとるのにどれだけ多くの血が流されたことか・・・・ ”という言葉がズンと胸にくる響きをもっています。

井伊大老を批判して蟄居させられていた前水戸藩主 徳川斉昭( 尊王攘夷を唱えていて浪士たちのよりどころでもあった )にも首謀者達は見捨てられます・・・・・水戸は徳川御三家の一つだから幕府を揺るがすような暴挙は許せないから捕らえて処断せよ・・・・・というんですね・・・・なんだか矛盾している。
この時点で首謀者達は幕府だけでなくて水戸藩からも追われることになり 行くところがなくなります。  水戸藩は尊王攘夷の先駆けではあったけれど、長州藩や薩摩藩などとは違って徳川御三家のひとつだから尊王攘夷ではあっても倒幕にまでは踏み切れないジレンマみたいなものを感じます・・・・・立場上どうしても限界があった・・・・ということでしょう。
捕縛に来た水戸藩士に向かって関 鉄之助がいう ”やがて幕府は滅びるだろう、その時水戸藩はどうするのか- ” という言葉がそれを表しているように響きます・・・・・。

調べてみると、その後は水戸藩内は血で血を洗う内部抗争のような形になって多くの優秀な人材を失なっていきます・・・・・だから明治になっても取り残されたような存在の感が否めません・・・・・水戸の人達には複雑な思いがあるんでしょうねきっと(地元での人間的なしこりは容易には解けないかもなあ)。  それでも、「 桜田門外の変 」 だけは確実に時代を先に進める役割を果たしたんだといえるでしょう・・・・・・・こうして考えてみると現代に到る私達日本人のスタート地点はみな一緒ですね・・・・・”太平の眠りをさます蒸気船 たった四杯で夜も眠れず ” のペリー黒船来航だ~!!

映画の最後に現代の国会議事堂が映されます・・・・・この映画監督の現代の政治家に対する何らかのメッセージを表しているんでしょう・・・・
「 桜田門外の変 」 に出演の男優、女優さんたちはみんな輝いていました・・・・いい映画だった 

*いま(H26.9月~10月の時点で)時代劇映画「 柘榴(ざくろ)坂の仇討 」の公開があっているので、それに関連した過去の記事を復活させました。この「桜田門外の変」はDVDにもなっているのでぜひ見ることをお奨めします
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