探検隊の歩くコースは、
・貴伊子が降り立った三田尻駅前
・貴伊子がたい焼きを買った天神銀座商店街
・バー・カリフォルニアの路地のモデルにした場所
・松崎小学校旧正門
・緑のコジローが一緒に走った迫戸川沿いの通学路
・旧説では周防国府八町域の西限の土居と目されていた天井川跡
・新子と貴伊子がじゃんけんしてあそんだ佐波神社
・毛利庭園駐車場でトイレ休憩
と来て、
・史跡公園の国庁碑
に、たどり着きました。

画面右に見える道が新子の通学路です。奥には大平山が見えます。
新子たちがお墓を作った石碑の背後は、今は広大な史跡公園になっています。公園といってもただ広い空き地が広がっているだけです。この下に周防国府の政庁が眠っているかもしれない、そう考えられて来るべき発掘に備えて保存されているのです。
推定が正しければ、石碑より少し東には国庁の門が立っていたかもしれません。瓦葺で、赤い丹塗りの柱に白壁の門。けれど、この政庁は千年前にはすでに使われなくなっていたはずです。ですので、映画の中では「廃墟」として描かれています。映画のラストカットでふたりが腰かけているのはそうした場所なのです。
政庁の門の前からは南に向かう朱雀路が通っていたはずです。というか、この道は実際に今も通っています。発掘調査の結果、千年前から存在していたことが確実とわかった道です。

「国衙」のバス停は朱雀路が国道と交わるところにあります。
朱雀路をもう少し南に下ると、発掘現場が見えてきます。諾子が住んでいたと目される国司の館の発掘現場は、今は保存のために埋め戻されて田んぼに帰っています。ここは、かつてわれわれがロケハンに訪れたときに、まさに柱穴が出ているのを見たその場所です。

今は、その少し北側で発掘作業が行われていました。

地面のコンディションがよければ、探検隊参加者のみなさんにも発掘体験をしていただこうという予定だったのですが、雨上がりだったので、本職の文化財課職員の方によるプロの技を拝見、ということに。それでも、何人か鍬を手に土を削った幸運な参加者の方もおられたかと思います。
これは三重に重なって残る柱穴跡です。時期の違う柱穴が三回、ここに掘られた跡なのです。

このあとは、発掘現場に隣接した国衙会館で、お昼のお弁当。
中身は、原作『マイマイ新子』に登場する昭和30年の弁当のメニュー再現です。米のポン菓子や駄菓子の入った紙袋も配られました。
こんなところまで、主催者の方々のこまやかなこだわりに満ちたイベントです。

さらに、文化財課のレシピを再現して作った、千年前の芋粥も振舞われました。やまのいも、むかご、それに甘味料としてあまちゃづるが入る素朴な味わいです。
食後は、いったん史跡公園まで戻り、
・新子の通学路にあるお大姉の祠
・新子が一升瓶を背負って走った道
・タツヨシの家のあった市営住宅
を、歩きました。
タツヨシの家から南には、これまた広大な、船所・浜の宮の保存地区が広がっています。
千年前の港の跡です。千年前の海岸線の段差がそのまま残っており、段差の下にはかつては白砂の浜が広がっていたはずです。
皆さんに説明した足元には、千年前お墓が埋まっていました。そのひとつには、14歳くらいの少女が葬られていました。そのなきがらは、今は文化財郷土資料館の1階で眠っています。

今は線路が引き剥がされた旧山陽本線の線路敷の砂利の上を歩いて、旧勝間神社に。「ざっぷーん、ざっぷーん」の場所です。
そこから西に向かって、映画には登場しなかったお旅所(菅原道真の上陸地点)を通りました。
その付近にあった何気ないこの道路、

これが、埋立地の工場まで走っていた引込線の跡なのです。
・バー・カルフォルニアがあった開地
・貴伊子が貨車が通るのを待った引込線の踏み切り跡
・埋立地の工場正門
・工場敷地内の新子が通った道
・貴伊子の社宅
終点は、社宅の北東隣に新しくできたショッピングモール「防府ロックシティ」の屋上駐車場でした。
千年前には海の上の空中だった場所。
何人かの方は、解散後、防府の映画館へ『マイマイ新子と千年の魔法』を見に行かれました。
『映画』と『現実』が交錯する不思議な体験になったのではないかと思います。
それはまた、『昭和30年』『千年前の平安時代』『平成21年の現在』のイメージが交錯する体験でもあったのではないかと思います。
※写真特集と題しながら、写真が少なくて残念です。各参加者の方々のブログをご参照ください。
・貴伊子が降り立った三田尻駅前
・貴伊子がたい焼きを買った天神銀座商店街
・バー・カリフォルニアの路地のモデルにした場所
・松崎小学校旧正門
・緑のコジローが一緒に走った迫戸川沿いの通学路
・旧説では周防国府八町域の西限の土居と目されていた天井川跡
・新子と貴伊子がじゃんけんしてあそんだ佐波神社
・毛利庭園駐車場でトイレ休憩
と来て、
・史跡公園の国庁碑
に、たどり着きました。

画面右に見える道が新子の通学路です。奥には大平山が見えます。
新子たちがお墓を作った石碑の背後は、今は広大な史跡公園になっています。公園といってもただ広い空き地が広がっているだけです。この下に周防国府の政庁が眠っているかもしれない、そう考えられて来るべき発掘に備えて保存されているのです。
推定が正しければ、石碑より少し東には国庁の門が立っていたかもしれません。瓦葺で、赤い丹塗りの柱に白壁の門。けれど、この政庁は千年前にはすでに使われなくなっていたはずです。ですので、映画の中では「廃墟」として描かれています。映画のラストカットでふたりが腰かけているのはそうした場所なのです。
政庁の門の前からは南に向かう朱雀路が通っていたはずです。というか、この道は実際に今も通っています。発掘調査の結果、千年前から存在していたことが確実とわかった道です。

「国衙」のバス停は朱雀路が国道と交わるところにあります。
朱雀路をもう少し南に下ると、発掘現場が見えてきます。諾子が住んでいたと目される国司の館の発掘現場は、今は保存のために埋め戻されて田んぼに帰っています。ここは、かつてわれわれがロケハンに訪れたときに、まさに柱穴が出ているのを見たその場所です。

今は、その少し北側で発掘作業が行われていました。

地面のコンディションがよければ、探検隊参加者のみなさんにも発掘体験をしていただこうという予定だったのですが、雨上がりだったので、本職の文化財課職員の方によるプロの技を拝見、ということに。それでも、何人か鍬を手に土を削った幸運な参加者の方もおられたかと思います。
これは三重に重なって残る柱穴跡です。時期の違う柱穴が三回、ここに掘られた跡なのです。

このあとは、発掘現場に隣接した国衙会館で、お昼のお弁当。
中身は、原作『マイマイ新子』に登場する昭和30年の弁当のメニュー再現です。米のポン菓子や駄菓子の入った紙袋も配られました。
こんなところまで、主催者の方々のこまやかなこだわりに満ちたイベントです。

さらに、文化財課のレシピを再現して作った、千年前の芋粥も振舞われました。やまのいも、むかご、それに甘味料としてあまちゃづるが入る素朴な味わいです。
食後は、いったん史跡公園まで戻り、
・新子の通学路にあるお大姉の祠
・新子が一升瓶を背負って走った道
・タツヨシの家のあった市営住宅
を、歩きました。
タツヨシの家から南には、これまた広大な、船所・浜の宮の保存地区が広がっています。
千年前の港の跡です。千年前の海岸線の段差がそのまま残っており、段差の下にはかつては白砂の浜が広がっていたはずです。
皆さんに説明した足元には、千年前お墓が埋まっていました。そのひとつには、14歳くらいの少女が葬られていました。そのなきがらは、今は文化財郷土資料館の1階で眠っています。

今は線路が引き剥がされた旧山陽本線の線路敷の砂利の上を歩いて、旧勝間神社に。「ざっぷーん、ざっぷーん」の場所です。
そこから西に向かって、映画には登場しなかったお旅所(菅原道真の上陸地点)を通りました。
その付近にあった何気ないこの道路、

これが、埋立地の工場まで走っていた引込線の跡なのです。
・バー・カルフォルニアがあった開地
・貴伊子が貨車が通るのを待った引込線の踏み切り跡
・埋立地の工場正門
・工場敷地内の新子が通った道
・貴伊子の社宅
終点は、社宅の北東隣に新しくできたショッピングモール「防府ロックシティ」の屋上駐車場でした。
千年前には海の上の空中だった場所。
何人かの方は、解散後、防府の映画館へ『マイマイ新子と千年の魔法』を見に行かれました。
『映画』と『現実』が交錯する不思議な体験になったのではないかと思います。
それはまた、『昭和30年』『千年前の平安時代』『平成21年の現在』のイメージが交錯する体験でもあったのではないかと思います。
※写真特集と題しながら、写真が少なくて残念です。各参加者の方々のブログをご参照ください。