メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

千年前の子どものことを理解したら、新子のこともわかった

2009年10月09日 10時50分43秒 | mai-mai-making

●千年前の子ども心を再現するために費やしたリサーチの労。

  映画の中の千年前のエピソードの台詞は、
  古典文学『枕草紙』『源氏物語』『宇治拾遺物語』『元輔集』から
  直接引用したものばかりで出来ている。




 禍々しい台風は過ぎ去り、マッドハウスのスタジオがあるビルは武蔵野の名残の雑木林に囲まれているのですが、大枝が落ち、ちらばったどんぐりを小さな子どもたちが拾っています。そんな今朝のような朝には、『枕草子』の「野分のまたの日こそ」の段を思い出します。古文はおろそかにしてしまっていた中高校生の時代の自分にとって、ほとんど奇跡的に印象に残っていた一節です。今も昔も台風一過の翌朝は同じような光景で、それを見る人の気持ちも、千年前も今も、ほとんど変らないのだなあ、と。
 この映画『マイマイ新子と千年の魔法』では、原作には触れられていない千年前の子どもたちの心を、昭和30年の子どもたちと同じくらいに描き出さなくてはなりません。
 舞台となる山口県防府には偶然、ほぼ千年前にまだ子どもだった清少納言がいたらしいことを知ってはいたのですが、じゃあ、彼女は何をしていたのでしょうか。
 ということで、古典にいそしまなくては脚本が書けないことになってしまいました。


 清少納言は、ほぼ千年前にあたる西暦974年、父・清原元輔(数えで66歳、満67歳)に従って海路、周防へ下向したようです。周防に到着する舟の上のことは、『枕草子』にもそれと思われる描写があります。このときの清少納言の年齢は、今に直すと小学校三年生にあたり、新子と同いどしだったことになります。
 清少納言が子どもの頃「諾子(なぎこ)」と呼ばれていたらしいことは、清少納言研究の古典である岸上慎二著『清少納言伝記攷』(昭和18年刊)から採りました。本当かどうか定かではありませんが、少なくとも昭和30年ころには、清少納言の幼名が「諾子」であると認識されていたわけです。
 千年前、子どもだった彼女はどんなふうに遊んでいたのでしょうか。

 映画の中で諾子がする遊び、「双六(すごろく)」「雛(ひいな)人形を見立てた鬼やらいごっこ」は、『源氏物語』の中から、まだ幼く活発だった若紫の君が遊んでいる場面のものをそのまま採りました。「鬼やらい」(または「追儺(ついな)」)とは節分の豆まきの祖形にあたる宮中行事で、四つ目があり矛を持った「方相氏(ほうそうし)」が、「舎人(とねり)」の協力を得て、鬼を追い払います。
 バックギャモンと良く似た遊び「双六(すごろく)」は、平安時代に大流行しました。ゲームする諾子の台詞は『源氏物語』から、清少納言をモデルにしたといわれる近江の君の言葉をそっくりそのまま使いました。
 寝殿造の邸宅の築地(ついじ)塀の上に撫子(なでしこ)の種を播いたのは、花山天皇(在位984年-986年)が退位した後に行ったことです。諾子の周防滞在時代より10年以上も後のエピソードですが、華やかなので、これも採り入れることにしました。
 当時、雀の雛を飼うこともはやったようなのですが、これはエンディングで描きました。
 そのほか、町の子どもたちの遊びは、『伴大納言絵詞』『年中行事絵巻』など平安時代の絵巻物から姿を採りました。
 ということで、映画の中の千年前の子どもの遊びや、そこで語られる台詞は、日本の古典文学から引用したものばかりで作ってあります。


 清少納言の父・元輔は、三十六歌仙に数えられる歌人で、当時の有名人でした。従五位下という中クラスの官人に過ぎなかった元輔は、貴族たちの宴に出かけては寿ぎの歌を詠んだりしていました。『今昔物語集』『宇治拾遺物語』にその明るい人柄が語られています。「人を笑わせるを役とする翁」として。元輔の烏帽子の下はツルツルのはげ頭なのですが、それすら人を笑わすネタにしていたと、そんなことも書き残されています。
 元輔が勝間の浦で催した「子の日」の宴のことも、元輔が詠み残しています。映画の中で元輔の前に運ばれて来る、岩を割って生えた松は実在していたのです。

 清少納言のことも知りたくて、『枕草子』は何回か読みとおしてみました。
  清少納言は、『枕草子』の中で、賭けに勝つため、宮中の端女に協力を申し入れたりもしています。
 清少納言より少し年下の紫式部は、やや庶民的な清少納言を「下賎な感じの人」と見下していたようで、彼女をモデルとする庶流の姫・近江の君を『源氏物語』に登場させています。しかし、現代の目から見るとこの活発で、はっきりものをいう姫君はきわめてキュートです。
 宮中に仕えるようになった清少納言は、自分より若いあるじである中宮定子を楽しませることを仕事にしています。
 それだけでなく、予告編に登場する白いウツギの花を牛車に満艦飾に飾って街中を走らせることも、清少納言が実際に行っていました(ただし、大人になってからですが)。華やいだシチュエーションを作って、人の目を楽しませようとしていたのです。
 彼女もまた、父の性格を継ぎ、「人を笑わせるを役とする」人だったのでした。
 

 そんなふうに清少納言=諾子の人となりを理解できたことから、この映画で新子が最終的に為すべきこともわかるようになってゆきました。
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