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メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

マイマイフランス便り(9)

2010年02月19日 00時27分35秒 | 日記
 2月14日日曜日。
 片渕、縄田、イランの三名は、昨夜の上映終了後、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが画題にした村、オーヴェル・シュル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)へ移動し、それぞれ別々の民宿に分宿しました。
 民宿といっても、普通の家の一階に表に面したドアがあり、路上から直接入ると、台所があり、奥に寝室があるという作りです。

 さすがによく熟睡できました。
 朝食の約束が午前10時なのも、のんびりできます。

 8時ごろまでこのブログの記事を書き、夜明けの空の下、印象は前後の絵描きたちの村を散歩に出かけようと、着替えました。今回のたびではじめてあまり寒くない朝です。
 玄関のドアが開きません。なにこれ、この鍵? うっかりするとノブが抜けてしまう。  と、突然、ドアが開きました。鍵をかけて、散歩に出かけます。
 道々に、ゴッホやセザンヌやコローの絵の看板が立っていて、ここがその風景の実際の場である、とわかるようになっています。曲がり角も、坂道もゴッホのときのまま。自分が宿にしている家は、セザンヌの絵に描かれている家、そのものなのだとわかりました。
 これらの看板によって、観光客たちは、防府で行う「マイマイ新子探検隊」と同じことをやることになるわけです。
 新子の千年の魔法みたいな、「印象派の魔法の土地」なんだな、ここは。

 宿へ帰ると、またしてもドアが開きません。鍵を回したり、ドアを押したり引いたり。
 と、ご婦人の二人連れが道をやってきました。
 泥棒に見えるかな? なんて考えが頭をよぎってしまって、そ知らぬ顔で、今ドアに鍵をかけたところみたいなふりをして、
「ボンジュール」
 まあ、挨拶くらいは出来るわけです。
「ボンジュール」と挨拶が返ってきました。
 二人が通り過ぎて行ってしまうと、またドアを相手に格闘。また突然、カチャリ、とドアが開きました。どんなはずみが作用するのだか。
 10時になると、それぞれ別の宿に泊まっていたイランさんと縄田さんがやってきて、三人で朝食。

 用意された朝食は、台所のテーブルと冷蔵庫の中。
 ヨーグルト。ジャム2種。はちみつ。甘いパン。でかい塊のパン。コーヒーに入れるクリーム。コーヒーメーカー。
 うららかな日差しを窓に受けた朝食のテーブル。

 それから、ゴッホが下宿にしていた家の前まで歩き、そのすぐ前、彼が画題にしたオーヴェルの市庁舎の広場に行きました。正午になったら、広場で中世以来の呼ばわり屋が肉声でニュースを読みたてるのを見に行こう、というのです。

 ニュース呼ばわり屋は、今日はバレンタインデーなので恋に関する話題が多い、などと大声で口にしていましたが、そのうちにイマジュ・パル・イマージュ映画祭のことなどを呼ばわりだしたかと思うと、

「日本からアニメーション映画監督のムシュー・カタブチ・スナオがやってきてるぞ!」
「イマジュ・パル・イマージュで『プリンセス・アリーテ』『マイマイ・ミラクル』、2本の映画が上映されるぞ!」

 などと大声で述べ立てました。
 こんなところでまで人々の拍手を浴びることになろうとは。映画祭実行委員会の洒落たセンスに脱帽です。

 駅前でモロッコ料理の昼食を取り、古本屋を少し冷やかしたあと、ゴッホが描いたオーヴェルの教会に行きました。
 見覚えのある教会の右手の坂を登ると、広大な麦畑に出ました。1890年にゴッホが描いた絵では、カラスが飛ぶ凶兆を感じさせる麦畑の絵として描かれている場所です。
 ゴッホの麦畑は、ゴッホの墓のある墓地のまん前にありました。
 今日は、この麦畑になぜかカモメが飛んでいました。川をさかのぼってきたのでしょうか。

 ですが、実は、同じゴッホが1887年に描いた、明るい青空の下にヒバリが飛ぶ素朴な麦畑の絵のほうがが大好きなのです。
 高校生の頃、上野の美術館にやってきたゴッホの絵で「麦畑という風景」を「発見」した自分が、それからウン十年後、昭和30年の防府に広がっていた麦畑に「再会」し、映画を作る気持ちを固めた、というわけなのです。

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マイマイフランス便り(8)

2010年02月18日 23時43分47秒 | 日記
 2月13日土曜日のつづき。

 『アリーテ姫」終了後の観客との質疑応答を終えると、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映にかかったので、その隙を見て、イマージュ・パル・イマージュのメンバーたちと約束どおりピザ屋へ。
 フランス人たちは、若い女性も含め、ピザを一枚ずつ取っていますが、
「僕らは一枚を半分こしませんか」
 と、縄田さんに持ちかけてみました。
 なんだか硬直してテーブルについておられるようですし、どうも、脂っこいものが食べられそうな縄田さんには見えなかったもので。
「これはその、たまらなく眠いのです。食べ物を分ける件については、そのとおりですな」


 劇場に戻り、食事中に上映された『マイマイ新子と千年の魔法』終了後の質疑応答。
 大人たちの観客ばかりの、なかなかしっとりしたムードの空間になっています。互いに寄り添うカップルも、幅広い年齢層で何組か。

 せっかく『アリーテ姫』から『マイマイ新子と千年の魔法』へと二本続けてごらんいただいた観客が多い会場なのですから、まずは両映画の関係を。

「『マイマイ新子と千年の魔法』は『アリーテ姫』のテーマの変奏曲といってもよいものです。どこが違うか、といえば、かつてひとりでがんばろうとしていた主人公が二人になり、その関係性の結ばれ方に注意が払われているのです」

 ポケットを探ると、バッジが出てきました。

「この映画を観た日本の観客は、こんなものを自ら作って来てくれます」

 と、取り出したものを見ようと、みんな怪訝な目でが乗り出しました。
 それが、駄菓子屋で売ってるようなバッジであるとわかると、微笑みが広がりました。日本で観客の早房一平さんが作って持たせてくださった缶バッジなのです。

「チョコレート・ボンボンを映画館に買ってきてくださる観客の方もいます。映画館の支配人ですら、バレンタインデーには観客たちにチョコレート・ボンボンを配りたいといってくれる。観客たちが他の観客たちを楽しませたい、そういう気持ちになっていただいているのが、この映画での僕が得た最大の成果、たからものなのです」

 そんな話を暖かく微笑んで迎えて下さるフランスの大人の観客たちもまた、この映画で得たものです。

「この映画の登場人物は、意外に思われるかもしれませんが、千年前の場面を含めて、ほとんどに実在のモデルがあります。防府という実在の土地を巡って時間を隔てて重なり合う彼らが存在したという偶然。その土地から、新子の町の新聞に今日の日のことを載せるために新子の町の新聞記者がいらしています」

 観客から、縄田記者への拍手。

「あー、あんしゃんて。じゅまぺーる、よーすけ・なわた」

「新子の家の周りの麦畑は、この55年の間に家が立ち並び、つい去年の12月に最後の畑に家が建って、すっかり住宅地になってしまいました。貴伊子の家は、数年前の台風で壊れて、社宅ごと立て直されてしまいました。防府に7軒あった映画館はすべてなくなってしまいました」

 ああ、とか、おお、とかいう声。

 シネ・ジュニア映画祭は、地域の映画館と学校や学童保育を結びつけるネットワーク作りのNPOであるのに対して、イマージュ・パル・イマージュは地域の映画館相互のネットワークによるNPO。そんな感じに理解できてきましたので、この話題は訴求力があったのかもしれません。

「ですが今では一つのシネコンができ、この映画を上映してくれています。縄田さんたちは、このアルジャンテゥーユの映画館が守られたように、地方での文化を考え続けているのです」

 映画の内容と監督自身の体験の関係は?

「亀は僕も飼っていました。うちの祖父も映画館主でした。僕も小さい頃、友だちをただで映画館に入れてやろうとしたことがあります」
笑い声。

 先ほどの学陽書房版『アリーテ姫の冒険』英語版のカップルの男性から、『名犬ラッシー』まで含めた質問があり、
「ジブリ作品との関係を話して欲しい」
 と問われたのですが、

「作品的にはジブリ諸作品とはあまり関係なく、むしろそれ以前の高畑勲の作品(たとえば『ハイジ』)との関係性のほうにより密接なものがあるのかもしれない」

 と、答えたところ、大いにうなづいておられました。

 詳しくない他の観客たちのために、高畑『ハイジ』のラストにはクララからハイジに送られたの手紙が登場し、かつては立つことも歩くこともできなかったこの少女が、

「ねえ、ハイジ。あたし、ちょっとだけだけど、走れたのよ」

 と、いうまでになっていたことを紹介しました。
 ですが、彼女が走っている場面は画面に描かれなかった。
 僕はその姿をぜひ見たかった。だからこの映画では少女たち二人をいっしょに並べて全力で走らせたかった。
 そう語ったところ、優しく微笑んでうなづく方が何人もおられました。
いちいち微笑んでうなづいてくださる。映画の作り手として、ほんとうに幸せなひと時、という感じです。

 このカップルにはその後、『アリーテ姫の冒険』英語版へのサインを求められたので、缶バッジも差し上げてしまいました。
 カップルの男性の方ははじめ日本語で話しかけようとされ、ああ、話し言葉がじゅうぶんじゃないので、と英語に切り替えておっしゃったのが、
「ユー・アー・マイ・フェイバリッド・ディレクター」 
 いや、本当に恐れ入ります。

 熱心に質問し、上映終了後もいつまでも話しかけてくださる男性もあります。
「8日のパリでは、日本の30代、40代の観客が多く泣くというこの映画は、しかし普遍的なものなのかどうか、フランスで通用するのか、そう監督はいっておられたけど、じゅうぶん普遍的なものですよ」
 この方にも、缶バッジを進呈。
 この方はどうも『ブラック・ラグーン』のファンでもあるようでした。

 8日にもおられた日本人男性の方からも、
「僕もちゃんと泣きました」


 上映終了後の『マイマイ新子と千年の魔法』は、イルジーさんは「イマージュ・パル・イマージュのチャーリーズ・エンジェル」と呼ばれる映画祭スタッフ三人娘のひとり、イルジーさんの自宅で一泊して、明日になったら次の上映会場アンギアンに向かうことになります。

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マイマイフランス便り(7)

2010年02月18日 06時17分22秒 | 日記
 2月13日土曜日。
 アンギアンの高級感あふれるホテルの部屋で目覚め、しかしそこで長く過ごせるわけでなく、朝食をとると荷造りして出発。入れなかったスパが恨めしい。
 といっても、今日は夕方までは自由行動の日だったのですが。
 前回2007年、リール市の映画祭に『マイマイ新子と千年の魔法』(と、当時はまだ題名も定まってなかった)の予告編を携えてやってきたときに、交通ゼネストにぶつかってしまい、パリからそれほど遠くないル・ブルージェの航空博物館に調べ物に行こうとして行けなかった恨みがあります。今日はその雪辱戦というわけだったのですが、まあ、調べ物は新発見もなく、当たり障りのない結果に終わり、じゃあ、パリにでも出るか、ということになりました。

 パリの蚤の市に行って、まず腹ごしらえ、とイタリア人が経営するイタリア料理屋へ。
「今夜の食事、ピザ屋を予定してるんだよね」
 といいつつ、イーブさんとイランさんはピザを注文しています。フランスで出るスパゲティはアルデンテではないのがけしからん、というのが持論の縄田さんは、しかし、スパゲティを注文してしまい、出てきた皿を見つめては、
「やっぱり。麺に艶がない」
 とかボヤいています。
「いや、しかし、腹具合が良くありませんので、これくらいのほうが防府でうどんを食うみたいで丁度いいというもんです」
 実はこの日、メンバーは連戦にくたびれきって体調ガタガタになっております。

 骨董とかガラクタを眺めるのはいろいろ楽しいのですが、いかんせん、冷凍庫のように寒い。キャフェへ飛び込んでショコラで暖を取ると、また古本屋へ出撃。イランさんが見つけていたという穴場的な古本屋には、アニメーション関係の専門書がどっさりと並んでいました。イーブさんはその棚を空にせんばかりの勢いで買い漁っています。こちらもトルンカとディズニーの本を一冊ずつ。テックス・アヴェリーの本も欲しかったのですが、「これは他の店にもっときれいなのがありますから」とイランさんに押し留められてしまいました。まあ、この町にはあちこちに本格的なアニメーションの専門書がごろごろしてるというわけなのね。うらやましいね。
 一方で、学者然とした縄田記者は、「アランがこんなに並んでいますぞ」と、哲学に思いを馳せておられます。

 夕方になったパリを離れ、車でアルジャンテゥーユ市(Argenteuil)へ移動。こういう車中でスコッと寝てしまう癖がついてしまいました。ということで、目が覚めるとその町に到着しています。道中の風景の記憶はまるでありません。


 アルジャンテゥーユの映画館は廃止の運命にあったのですが、同じく映画館主であったイーブさんたちが継続を呼びかけて、半ば政治レベルの運動までやったことから今でも経営が続いていて、そこを巡回映画祭であるイマージュ・パル・イマージュの上映会場のひとつにさせてもらっているという関係のようです。映画館同士の連帯がここにはあります。

 ここでは18時からまず、『アリーテ姫』の上映。次いで20時半から『マイマイ新子と千年の魔法』の上映と続きます。イーブさんは『アリーテ姫』を気に入ってくださっていて、ぜひこの映画をこそこの絶好の機会に上映したいとプログラムを組んでくださったわけです。

 上映開始前に集まってきた観客を眺めていると、8日のフォーラム・ド・ジマージュの片渕須直特集上映のプログラムの貴伊子の顔が大写しになったページを広げておられる方がおられます。しかも老夫妻です。
 白人男性とアジア系女性のカップルが、
「『アリーテ姫』の原作も手に入れてるんですよ」
 と、話しかけてこられ、見ると日本の学陽書房が英語の副読本用に出版した英語版でした。まあ、あの原作は、イギリスでの版元もすぐになくなってしまって、映画制作時にすでにこちらでも入手できなかったというものでしたから。
「『アリーテ姫』は原作の子どもっぽさが消えて、大人っぽく深い映画になっていて素敵でした」
 とのこと。すでに何回かご覧になっているようです。
「今日は、1時間かけてパリを渡ってきました」
 恐れ入ります。
 さらに、8日のフォーラム・ド・ジマージュでもお顔を見かけた在仏日本人男性の方とも挨拶を。

 自分でも久しぶりに見る『アリーテ姫』だったのですが、なんと日本のアニメ事情から逸脱し、独立して存在する映画であることか。そして、閉じ込められた場所の底から「外の世界に待つ挫折ですら今の私にはうらやましい」と口にする主人公の健気さが、なんだかまぶしかったです。
 いくらか「外の世界に待つ挫折」的ではある『マイマイ新子と千年の魔法』の状況は、ある意味では『アリーテ姫』の頃の自分の気分から見ると、それでも明るい。ようやく外の世界を歩き始めたアリーテ姫そのもののようです。映画のラストでアリーテを乗せた船がたどり着いた陸地。あそこが山口県防府という土地だったのですね、きっと。

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マイマイフランス便り(6)

2010年02月16日 18時43分59秒 | 日記
 2月12日はまだまだ続いていて、イマージュ・パル・イマージュのフェスティバル・ディレクターであるイーブさんの車に、『マイマイ新子と千年の魔法』のプリントと一緒に乗り込んで、湖畔の町アンギアン・レ・バン(Enghien-les-Bains)へ移動。
 この頃にはかなりくたびれきっていて、眼鏡がない、カメラのケースがないなどと、今日一日だけであちこちに忘れ物してきてしまっていることを発見してしまいます。注意力散漫のボケボケになっています。今日がまだフランスでの行動4日目であるとは信じられません。なんだかもう1週間くらいフランスで働いてるみたい。

 アンギアンはリゾート地というのか、巨大なカジノがネオンをきらめかせ、ホテルも高級感にあふれています。ホテルにはスパもある、と聞いて、はじめからいっててくれれば水着も持ってきたのに、と残念に思うこと少々。というのも、車での移動とか劇場の座席で過ごす時間が多いもので、体が同じポーズで固定されることが多くなってこわばってしまっています。少しほぐせるのならほぐしたかった。
 さて、このアンギアンの町で、イランさん、縄田記者と夕食を食べる場所をさがしてさまよい歩くことになったのですが、突然目に入ってきたのは赤い提灯とカタカナの、

「カリフォルニア」

 の文字でした。カジノの町にバー・カリフォルニアが?
 いやいや、要するに、カリフォルニア・ロールを食わす寿司屋であったのです。こんなところで食べる寿司がおいしいはずがない、とわかっていつつも、他のこってりした食べ物ものは避けて通りたくなっていて、ついついこの寿司屋に入ってしまいました。味とかそのあたりについては多くを語りますまい。

 その足でアンギアンのシアターに行くと、イマージュ・パル・イマージュのオープニング・セレモニーが始まるところでした。もらっている予定表によれば、20時からオープニング、引き続き23時からカクテルコンサート、25時終了予定、などと恐ろしいことが書いてあります。しかしながら、くたびれきっているこの身は、申し訳なくも客席についたとたんにダウンして夢の国へ。イランさんにつつかれ、
「名前呼ばれますから、立ってください」
 といわれて、正面舞台上を見るとイーブさんがマイクを握って盛んに何か喋っています。
「ムシュー・カタブチー」
 と、聞こえたので、立ち上がって他の観客たちのほうを向き、手を上げて、腰を下ろすとまたまどろみに世界へ。しばらくすると、オープニングのアニメーション作品の上映が始まり、夢うつつのうちにもいくつかの映像は覚えています。大人向けの硬派なものばっかりだったような印象が。上映が終わってみると、ほとんど24時近くなっています。どうもマイクを握り締めたイーブさんが興に乗って喋りまくったらしく、これが一時間押しの原因であったとか。
 カクテルコンサートはごめんなさいして、ホテルの部屋へ撤退。

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マイマイフランス便り(5)

2010年02月13日 02時08分27秒 | 日記
 2月12日。
 パリのホテルをチェックアウトする日。
 移動に使う映画祭スタッフ ルカさんの車は小さく、昨日までの経験からスーツケースをいくつも積み込めるかどうか危ぶまれましたが、ルカさんが縦にしたり横にしたりした挙句、なんとか押し込んでくれて出発。

 近郊のイヴリー市(Ivry)へ移動して、その町の映画館で上映されている『マイマイ新子と千年の魔法』が終了後、子どもたちの前に立って質疑応答を行いました。今回は中学生の観客も多数。
 質疑応答を終わってみると、縄田さんが「日本人の方々がいます」というので座席を見てみると、ほんとだ。日本人の女性ふたりと、小学生くらいの男の子と女の子。この町に住んでおられるとのことでした。大人のおふたりはこのブログで下調べしてこられたとかで、「ホテルはお湯が出ましたか?」とたずねられてしまいました。

 シネ・ジュニア映画祭への参加はとりあえずこれで終了。カミーユさんたちに別れを告げ、次の映画祭イマージュ・パル・イマージュから出迎えの車に荷物を積み換え、ゴネッス市(Gonesse)へ移動。しかし、呪われてるくらい頭ボケボケで、いろいろ忘れ物してきてしまったようで、結局、カミーユさんのご迷惑に。

 次に参加するイマージュ・パル・イマージュは、パリの北西地方の20か所くらいの上映会場をつないで展開されるアニメーション映画祭で、方式的にはシネ・ジュニアと同様、引率されてやってくる学童が観客の主体になります。名誉代表を勤めるのはあのジャン=フランソワ・ラギオニであるとのこと。
 オタワ国際アニメーション映画祭にまで『マイマイ新子と千年の魔法』を追いかけて行った縄田さんが、「オタワの入選作7作のうち、マイマイも含めて3作が上映されるたあ、ミニ・オタワですなあ」と、感心していました。どうもプラグラムを見ると1ページ丸まる割いて「片渕須直監督特集」みたいな扱いになってしまっているようでした。これはまた光栄な。
 最初に訪れた映画館は団地の中に建つ劇場でしたが、その名も「ジャック・プレヴェール劇場」。『やぶにらみの暴君』のシナリオを書いたあの詩人の名がとられています。
 ラギオニのシナリオライターであるアニク・ル=レイさんや、映画祭スタッフ、劇場スタッフといっしょにランチを食べる段になって、「サラダにソースがない」という事件だか事故だかが発生してしまったのですが、たまたま自分がお土産用に買ったドレッシングを持っていたので、スーツケースから取り出して提供して切り抜けました。

 そうこうするうちに、観客の小学生たちが到着、8歳から10歳くらいが4クラス分くらいいました。
 上映前の舞台挨拶では、
「君たち、テレビがない暮らしを思い浮かべられるかな?」
 という感じで投げかけてみました。すると、横に立つ映画祭の陽気な男性スタッフが、
「知ってたか? テレビがなくても生きられるんだぞ!」と。
 上映後に質問を取ってみると、
「その後、テレビはちゃんと発明されたんですか?」
 テレビがないのがよほど不安だったらしいです。
 そのほか良くある質問として、
「結局あの金魚はどうなっちゃたの? ○○なの? ××なの?」
 この質問への答えはこちらも決めていて、
「じゃあ、君は金魚が○○なのと××なのとどっちがいいの?」
 子どもたちの答えは決まっていて「○○のほうがいい」。
 そこで大きくうなづいてあげるわけです。

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