勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
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横浜まほろば近辺を散歩 その2

2020-06-21 | 建物・風景

「横浜まほろば近辺を散歩 その1」(→こちらの弊ブログ)に続き、阿久和川・横浜まほろば近辺の散歩 その2です。

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1.三嶋神社

県道の瀬谷・柏尾線から岡津小学校へ入る新鷹匠町橋の傍らに、「村社三嶋神社」と刻まれた社号標がある。

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阿久和川と子易川を渡り、学校入口の階段前を右折して、小学校を迂回するように造られた道を進むと、三嶋神社の鳥居の前にでる。ここに岡津小学校ができ、校庭内に神社の社号標から神社までの参道があったが、小学校東側に迂回する参道ができた。校庭の中に参道があった歴史がある珍しい神社です。→こちらの掲示板

創建の年代と創建者は不明だが、境内に掲示されている由緒に「和銅6(714)奈良時代相模国風土記に鎌倉郡中川村字岡津三嶋神社として文献にある」とある。藤原京から平城京に遷都された時代の話ですね。(→元明天皇・遷都:和銅3年(710)) 大変、歴史がある神社だ。

現在の敷地一画は、岡津城(後、岡津陣屋)があった場所で、現在の岡津小学校や岡津中学校の敷地と隣り合わせとなっている

また、この由緒では、三嶋神社の祭神は大山祇神(おおやまずみのかみ)で、天文5年(1536)、現在地(岡津町2352番地)に創建されたと。由緒書によると、室町時代乱世の代より多くの武人・農民が岡津の地に住み心の拠り処として祭事を行ったと。

横浜市神社誌を合わせ読むと、天正18年(1590=秀吉の小田原合戦の年)以降、代官頭・彦坂小刑部元正やその後の岡津村の領主は、神社の前にあった岡津館の守護神として、三嶋神社を信仰し、社殿の造営や境内の整備を行ってきたようである。

文化4年(1807)江戸時代 名主四人世話人九人により社を再建。また、昭和44年(1969)、旧社殿は建立後約160年程経過し、修復も難しくなり地域の人々の浄財を仰ぎ現社殿が新築された。(→2011年当時の写真集:こちら

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神楽殿(→こちら)もあり、昔からの祭り囃子が伝わっていたようだが、今は途絶えているようだ。→こちら

 

2.向導寺と富士塚

岡津橋バス停から阿久和よりの細い道を入った所に、浄土宗徹底山本覚院向導寺がある。天正10年(1582)以前に創建されたと。(→ こちら

本尊の阿弥陀如来(像高81cm)は、関東大震災のおり破損したが、面部や体躯の全面材が良く残っており像容をうかがい知ることができると。平安期の仏師定朝の作風が見られると。

寺の裏山に富士塚があり、富士講の人々が、富士山の遥拝所として、また信仰の対象として富士山をかたどった人工の山である。(この富士塚に阿久和川側から登る階段は年寄りにはきつい。直接、登らないで、向導寺から回って登るのがおすすめ)

富士講の流行った時期にもよるのであろうが、どこからでも富士山は見える場所ではなく、たまたま富士山が見える特定の場所にこうした富士塚や富士講の石碑が造られたのであろう。

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草がぼうぼうと生えており、4つあると言われている富士講碑の確認はあきらめた。

 

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