老子の著の中に「無用の用」を述べた以下の一節がある。
30本の輻(や)が車輪の中心に集まる。
車の中心点の有用性は、その中心の穴の空間にある。
われわれは粘土の塊から容器をつくる。
それを有用にするのは、容器の内部の何もない空間である。
われわれは部屋のために扉や窓をつくる。
その部屋を住みやすくするのは、これらの何もない空間である。
こうして有形のものは便利である。
しかし、それを有用にするのは無形のものなのである。
実際の建築空間において「無形のもの」の代表例は吹抜け空間といえるだろう。
ヴォイドの存在が建物全体に豊かな価値をもたらす例は多くみられる。
しかしながら吹抜け空間の快適性、とりわけ熱環境をコントロールすることはなかなか難しい。
夏は暑いし、冬は寒い。
とりわけ冬の寒さは耐え難いものがある。
そんな訳で特に住宅においては快適な吹抜けをつくることは困難、もしくは大きなエネルギーロスを伴うものだと認識していた。
ところが、である。
この冬に、あるモデルハウスを訪れた時のことである。
このモデルハウスは2階建+ロフトで、1階からほぼ3層分にわたる大きな吹抜けを備えていた。
当然、寒いはずだと思っていた。(もしくはガンガンに暖房をかけていると思っていた)
しかし内部に入ると床暖房しかつけていないにもかかわらず、極めて快適な熱環境を実現していた。
最も驚いたのは、1階とロフトで室温差がほとんどないことである。(体感的にはほとんど同じ)
説明を聞くと、理屈としては理解できるものの、これまでの経験上、すぐには信じられない。
しかし実際にその快適さを目の当たりにし、体感で納得している。
これまでの常識をひっくり返された感じがした。
設計士という生き物は、吹抜けや玄関、階段といった、実生活ではあまり長居しない場所に随分と大きな関心を寄せているものだ。
故にちょっと間違うとこれらの「無用の用」が「有害の用」となることもある。
だから「無用」は慎重に扱う必要がある。
しかしその意識が強すぎると、十分な「用」を発揮できないのかもしれない。
そんなことを考えさせられた経験でもあった。
ちなみに前述のモデルハウスだが、夏にも快適であるらしい。(室温が30度でも涼しいとか・・・)
信じがたいが実体験として納得してしまっている。
本当かどうか、今年の夏に確認してみるつもりだ。
30本の輻(や)が車輪の中心に集まる。
車の中心点の有用性は、その中心の穴の空間にある。
われわれは粘土の塊から容器をつくる。
それを有用にするのは、容器の内部の何もない空間である。
われわれは部屋のために扉や窓をつくる。
その部屋を住みやすくするのは、これらの何もない空間である。
こうして有形のものは便利である。
しかし、それを有用にするのは無形のものなのである。
実際の建築空間において「無形のもの」の代表例は吹抜け空間といえるだろう。
ヴォイドの存在が建物全体に豊かな価値をもたらす例は多くみられる。
しかしながら吹抜け空間の快適性、とりわけ熱環境をコントロールすることはなかなか難しい。
夏は暑いし、冬は寒い。
とりわけ冬の寒さは耐え難いものがある。
そんな訳で特に住宅においては快適な吹抜けをつくることは困難、もしくは大きなエネルギーロスを伴うものだと認識していた。
ところが、である。
この冬に、あるモデルハウスを訪れた時のことである。
このモデルハウスは2階建+ロフトで、1階からほぼ3層分にわたる大きな吹抜けを備えていた。
当然、寒いはずだと思っていた。(もしくはガンガンに暖房をかけていると思っていた)
しかし内部に入ると床暖房しかつけていないにもかかわらず、極めて快適な熱環境を実現していた。
最も驚いたのは、1階とロフトで室温差がほとんどないことである。(体感的にはほとんど同じ)
説明を聞くと、理屈としては理解できるものの、これまでの経験上、すぐには信じられない。
しかし実際にその快適さを目の当たりにし、体感で納得している。
これまでの常識をひっくり返された感じがした。
設計士という生き物は、吹抜けや玄関、階段といった、実生活ではあまり長居しない場所に随分と大きな関心を寄せているものだ。
故にちょっと間違うとこれらの「無用の用」が「有害の用」となることもある。
だから「無用」は慎重に扱う必要がある。
しかしその意識が強すぎると、十分な「用」を発揮できないのかもしれない。
そんなことを考えさせられた経験でもあった。
ちなみに前述のモデルハウスだが、夏にも快適であるらしい。(室温が30度でも涼しいとか・・・)
信じがたいが実体験として納得してしまっている。
本当かどうか、今年の夏に確認してみるつもりだ。