さわやか易(別館)

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

中国の権力闘争

2018-04-17 12:23:54 | 20世紀からの世界史
文化大革命
 
1972年2月、ニクソン大統領夫妻が北京を訪問し、冷戦時代に新たな動きがまろうとしていた。しかし、その頃の中国は文化大革命の真っただ中にあった。「大躍進政策」が大失敗に終わり、第一線を退いていた毛沢東が復権するために、「文化大革命」という名の恐怖政治を行っていた。1966年から10年間はソ連のスターリン時代にも負けない冷酷非道な暗黒時代であった。

大躍進政策の混乱を鎮め、市場経済を取り入れた実権派の政策を毛沢東は「修正主義、走資派」と批判した。学生である紅衛兵を使って実権派の幹部、知識人、旧地主たちを反革命分子として糾弾、暴力的な吊し上げで迫害、殺害や自殺に追い詰めた。中国全土の寺院、仏像、貴重な文化財などを「文化浄化」として破壊した。チベットでも仏像が溶かされ、僧侶が投獄、殺害された。被害者は一億人、死んだ者は40万人と推計されている。

 

江青(1914~1991)

「走資派」と呼ばれた党幹部たちは過酷な試練に晒される。国家主席・劉少奇の自宅に押しかけた紅衛兵たちは劉少奇夫妻を大衆の前に引き出し、執拗に吊るし上げた。1968年には全役職を追われ追放された上、コンクリートむき出しの倉庫部屋に幽閉中された挙句、病状を悪化させ非業の死に追いつめた。64歳になっていた総書記・鄧小平への仕打ちも過酷なものだった。極寒の地で強制労働を強いられ、何度か倒れた。砂糖水を飲んで命を繋いだという。

文化大革命で毛沢東の権威を借り、最も権力を振るったのは腹心の林彪と毛沢東の4番目の妻・江青を含む四人組である。林彪は紅衛兵を先導、江青は毛沢東との結婚に反対した者たちや、女優時代に評価されなかった個人的恨みを晴らした。劉少奇の妻・王光美や、演劇界の寵児・王瑩とその夫、周恩来の養女で女優の孫維世などを次々と逮捕、投獄した。1971年、林彪は意見が合わなくなった毛沢東暗殺を計画するが、露見し亡命途中で事故死した。


周恩来
周恩来(1898~1976)

常識では考えられない過酷な運命に有力幹部の殆どが失脚、死亡していったが、最後まで地位を保ったのは周恩来である。周恩来は毛沢東の理不尽な要求にも従い、心ならずも実務派たちの粛清にも協力した。毎日紅衛兵を接見して支持を与え、一方で紅衛兵の横暴を抑えた。外相の陳毅が紅衛兵に襲われそうになったとき、「君たちが陳毅を吊るし上げるのなら、私の体を踏みつけてからにせよ!」と叫び、身を挺して守った。

しかし、自分の養女・孫維世を江青から守ることは出来なかった。江青が毛沢東と結婚した頃、孫維世が女優として脚光を浴び毛沢東から目を掛けられていたからである。孫維世は逮捕され、獄中で拷問を受け、死亡した。遺体の後頭部には五寸釘が打ち込まれていたという。それどころか、周恩来は江青によって、孫維世への逮捕状、「修正主義者のスパイ」という容疑に署名をさせられた。

 
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鄧小平(1904~1997)
 

米中首脳会談後、1973年月、周恩来の復活工作が功を奏し、鄧小平は職務に復帰した。病身の周恩来を補佐して経済の立て直しに着手する。1974年、中国代表団の団長として国連に出席する。ニューヨークの威容に感嘆、製鉄業の拡充が急務と考え、日本の新日鉄から技術導入を図る。着々と復興に取り掛かっていたが、1976年1月に周恩来が亡くなると、又もや四人組によって職務を追われる。

四人組は天安門広場で行われた周恩来追悼デモを反革命動乱として弾圧した。鄧小平はデモの首謀者とされたからである。しかし同年9月に毛沢東が死亡すると四人組は逮捕された。1977年、鄧小平は再度復活を果たす。毛沢東の文化大革命によって疲弊した中国の最高指導者として再建に取り組み、「改革開放」をかかげた。社会主義経済の下に市場経済を導入、現在に至る経済大国の礎を築いた。

~~さわやか易の見方~~

***   *** 上卦は水
******** 困難、悩み
***   ***
***   *** 上卦は雷
***   *** 活動、始まり、志
********

「水雷屯」の卦。屯(ちゅん)は産みの苦しみである。草木の芽が固い地面を突き破ることが出来ずに、必死に悩み苦しむことである。夜明け前が最も暗く、寒い。しかしこの苦難の時代を潜り抜けた時に、朝日を浴びることが出来る。大切なことは、あせらず、辛抱強く、志を忘れないことである。

事情の解った中国人は四人組のことを指す時に、手のひらを広げるという。本当は五人組だという意味である。親指は毛沢東のことである。中国の歴史には、本当に偉い人物とどうしようもない悪人が登場する。そのスケールの大きさは島国育ちでお人好しの日本人の理解を超える。中国と外交をする人には、よくよく歴史の勉強をして貰いたい。

周恩来と言えば、米中首脳会談でも日中首脳会談でも主導的立場にあり、その手腕と人柄は外国でも評価されている。その周恩来が晩年点滴が欠かせない病身にありながら、何度も夜中に江青から呼び出されては罵声を浴びせられた。しかし、民衆は理解していた。その死後、周恩来は天安門広場で追悼されたが、江青は裁判で終身刑となり自殺した。

 
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