
「地火明夷」は、暗黒の世界である。
「明夷は、艱貞に利し。」
「明夷」とは、明がやぶれること。「艱貞」とは、艱難な時代をじっと耐え忍ぶこと。
序卦伝に、「晋とは進むなり。進めば必ず傷(やぶ)るる所有り。故に之を受くるに明夷を以てす。」とある。「火地晋」という景気のよい卦があれば、必ずその後にいつかは「地火明夷」という景気の悪い卦がくるものである。
上は地で、下が火であり、火は文化、文明をあらわす。また有能な君子をあらわす。地の下にあるということは、それらが地の下に隠れ、潜んでいることである。君子がその能力を発揮出来ずじっと内に秘め、外には従順なる態度で、時期が来るのを待っていることでもある。
易を作った文王は、暴君として知られる殷最後の皇帝・紂王の下で艱難辛苦の時代を過ごした。囚人となり、大なる災難を蒙ったこともある。
最も酷い目にあったのは、紂王の親族である。中でも紂王の叔父にあたる賢者の箕子(きし)は、紂王の兄にあたる微子(びし)を立てるべきだと意見を述べていた。即位した紂王はそのことを恨んで箕子を処刑しようとした。それを察し、箕子は偽って狂人になる。紂王は箕子を囚えて奴隷にする。後に、紂王を滅ぼした周の武王は、箕子を赦し、天下を経綸する道を問うと、それに答えて、九か条の道を説いた。それが、今日伝わっている書経の洪範の編である。
次ページ:「地火明夷」(爻辞)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます