石巻の被災地の親戚に
私も、やっとお見舞いに行くことが出来ました。
まだまだ、手付かずのところは沢山ありますが
急を迫られている
義姉の家の近くは、復旧工事が始まっていて活気がありました。
潮が満ちると浸水してしまう地域です。
一方、北上川の決壊した堤防の復旧工事もずいぶん進んでいました。
以前の、堤防も一目でこのくらいの高さの堤防の感じでしたが
今回行ってみて、もともとあった堤防 ↓ が
なんと低く感じたことか・・・
それもそのはず、地盤沈下したからなのです。
・・・そのために、海ではなかったところが海になってしまい
復旧は、皆無状態の場所も・・・
その場に立った瞬間、涙が止まらなくなったところも・・・・
・・・・
でも、会う人々が思いのほか元気に活動を始めていたことが救いでした。
義姉も自分の家に戻ることが出来て元気でした。
病弱な義姉は、なぜこんなに元気になれたのかと
不思議に思うくらいでした。
私なりに考えたのですが・・・これって・・・
周りに人々からの優しさを
た~くさん頂いたからなのではないかと・・・・
☆被災して、びしょぬれで二晩を過ごし
助けられた時に負んぶされたその時のこと
☆避難所で受けた皆さんの親切
☆その後、親戚に避難して親戚の優しさにも触れたこと
☆沢山の物資を頂いたこと
☆また、泥だらけになった家の泥出しに来てくれた
ボランティアの皆さんが見ず知らずのところに来て
一生懸命やってくださった優しい姿に感謝したことなど
☆世界中の人たちからの救いの手が差し伸べられたことなど
書きつくせないほどの優しさを受けたことが
皆を元気に・・・
それも被災する前よりも元気になれたのではないかと・・・
カンレなりに想ってきました。
まだまだ、これからも大変かと思いますが
人間の助け合いの心が、人を元気させることがわかったような気がします。
亡くなった人の分まで、心豊かで元気になっていくのでは・・・
そんな、明るい兆しを感じてきた石巻行きの報告でした。
忙しい中、ご訪問ありがとうございます。
義姉は、この震災のショックが逆療法になった感じです。
優しさをいただき、それを孫たちも見ているので孫たちが大きくなったら、いつの日か間接的に恩返しをしてくれるのではないかと・・・そうして、代々支えあいの精神が引き継がれていくことを願っています。
人の優しさを受けられなかった方もいたのですか。
それはお気の毒でしたね。
秋風春風さんは毎日が人助けですものね。
大変でしょうけど、やりがいがあるのではないでしょうか。
これからも身体に気をつけてお仕事よろしくお願いします。
いえいえ、私などは今のところ親戚を見舞うことくらいしか出来ていないのです。
インスタントソームさんは、いち早く被災地に出向く行動をもう2回も起こしている事を聞き、すごいと思っていました。
ほんとですね。まだまだ日本は、助け合いの心を皆が持っている良い国だと思いますね。
明るい未来がありそうです。
GWの忙しさが抜け、ようやく訪問できました。
石巻の義姉さん、元気になれて良かったですね。
どんなにか辛かったであろう、被災してからの日々・・・・本当に心が辛いです。
だけど、人々の優しさに触れる事が出来たのですね。
どんなにか嬉しかった事でしょう。
我々は救助と応急手当、医療機関搬送しか出来ません。
ボランティアの人々は偉い方なんですね。
人間として。
私の友人は仙台で被災し(女性)、避難所に行きましたが、
人の優しさに触れられず、たった1つの おにぎりを巡って、
殴りあう姿や、食料配布の時だけ避難所に来る被災しても
いない人々の姿を見続け、自分の店に戻り、鍋を見つけ出し
て、冷蔵庫の中の食べられる食料を見つけ、雑炊を作って、
被災者の方と一緒に食べたそうです。
夜間の寒い屋外で。
まだまだ表に出ていない話は たくさんあるそうです。
義姉さんは本当に不幸中の幸いでした。
自然のすごさを改めて思い知らされましたね、今回の震災は・・確かに今いきている私たちが元気をもって接していけば時間はかかるけれどもまた皆さん元気を取り戻してくれるでしょう。
日本人の心温まる活動の一つ一つに本当に感謝ですよね。
素晴らしい人柄だと思います。
これからも焦らず出来ることをやっていければいいですよね~