それは国語の授業でした。先生の言われるページを開くと、高村光太郎作の「道程」と言う詩?があった。そう、よく覚えているのは「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る ああ、自然よ父よ 僕を一人立ちさせた広大な父よ・・・・」だ。そういえば、こんなのもあったかな。「東京には空がないと云う・・・」。智恵子抄。
この授業で、自分でも「詩を作ること出来るんだ」と学んだ。最初に頭(心)に思い浮かんだのは、日本とアメリカの間にある太平洋の海。遥か遠く異国の地を、ざぶんと打ち寄せる太平洋の波の音を聞いて、アメリカを身近に感じるというものだった。今では、どんな詩を書いたのか全然覚えていないが。先生の評価はパッとしなかったが、自分じゃ充分上手だと思ったものだった。
その後に、宮沢賢治のある一節が忘れられない。「アメユキチトケンジャ」。賢治の妹の言葉だ。そうだ、詩の題名は、「雨にも負けず」ではない。ネットをグルって見ると有りました。「永訣の朝」です。ちょっとコピペして見ると「あめゆじゆとてちてけんじや」でした。「ケンちゃんミゾレ採って来てね」と死に際の頼み事。どうしても東北の雪深い貧しい農家の片隅で・・・死に際に熱にあえぐ喉を潤すためなのか。はtまた兄を明るく元気にするためなのか?
ともあれ、このなまった(失礼)方言「アメユキチトケンジャ」が、自分には兄に対して妹の最後の「甘え」の印象なのだ。 愛らしい兄弟だからこその「我が儘」
私も死ぬ前に一度、甘えた我が儘事を言って、逝きたいな。