竹富島の種子取祭(たなどぅい)・・・国の重要無形民族文化財・・・見に行きました(その2)
2011年11月から12月にかけての10日間、3度目の石垣島訪問をしました。
娘が嫁いでおり、3人目の孫(男児)の誕生と言う事で、妻と一緒に出かけました。
娘婿は、石垣市内の大きなホテルの料理長をしていましたが、独立して昨年(2011年)の5月に「琉球割烹ダイニング 司」をオープンしており、これも訪問する楽しみの一つでした。
竹富島の種子取祭(たなどぅい)が、今年は80年ぶりに12月に行われるそうで、12月の1・2日に開催されました。
今回3度目の石垣島訪問のタイミングで、見られることになりました。
3度目の石垣島訪問10日間で、竹富島へは3回通いました。
竹富島で、観光コースをバスで観光・・・小回りの効くバスと運転手兼ガイドさん
竹富島の種子取祭(たなどぅい)は、農作物の豊じょうと島民の繁栄を祈願する祭で、1977年に 国の重要無形民族文化財に指定され、約600年の歴史を持つそうです。
旧盆と節祭の巳亥(ツチントイ)の日が重なったため、80年ぶりに12月に入っての開催になったそうでした。
会場に到着すると、生憎の雨模様の中で、庭の奉納芸能が繰り広げられていました。
真剣な勇姿に圧倒されました。「ンマヌシャ(馬乗者)」と言う踊り・・・
現在公民館長をされている上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんのご挨拶を聞きながら…
前回竹富島に来たとき、 竹富島に、日本最南端のお寺、喜宝院(きほういん)があり、
そこに蒐集館(しゅうしゅうかん)という民族資料館があるので観ていこうと案内されました。
入り口で館長の上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんに「どちらからお越しになりましたか?」と尋ねられましたので、「高知からです!」と答えると
突然、嬉しくてたまらないと言う表情で、話し出しました。
「私は高知には何度もお伺いしています・・・」と、戦争末期、竹富島に来た高知の大石隊長ほか200名の陸軍兵士と竹富島住民との、当時では考えられないまれに見る、心温まる生活があり、その後沖縄が本土に復帰してから始まった交流が、今なお続いているとのこと。
喜宝院の境内にある、病気や事故で亡くなった9人の大石隊戦没者の慰霊の塔へ案内されました。
住民が日本兵の慰霊の塔を建立したり、慰霊祭をしたりすることは、他に例を見ないことだとか・・・
全員で合掌した後、館内を見物させていただきました。
沖縄・竹富島へ行ってきました・・・その3 今も続く高知との交流
竹富島にはこんな方たちがいる!!
自分の年金を抵当に入れてお金を借りて、あかゆら(デイゴのことを島言葉で)を守った!! 浜真英氏(瓦職人)作のシーサー その13 竹富島の町並み
民俗資料館の「蒐集館(しゅうしゅうかん)」の館長・上勢頭芳徳さんから直接聞けました・・・
現在公民館長をされている上勢頭芳徳(うえせどよしのり)さんのご挨拶に続いて、功労者への感謝状の贈呈がありました。
公民館長から、贈呈される一人一人の功績が具体的に紹介されて、聞いていて実に心温まる思いがしました。
みんなで竹富島を大事にし、伝統を守っていこうという島を挙げての取り組みのリーダー役を務められている皆さんの様に思いました。
「舞台の芸能」では、
ファーマー(子や孫)を引き連れたミルク(弥勒)・・・の場などで、かわいい子ども達も登場していました。
最後まではおれませんでしたが、舞台の芸能だけでも36演目が披露されるとか・・・伝統に裏打ちされた思いと、随所に質の高さを感じることが出来ました。
いまどきこんな素晴らしい民俗芸能が、よくも残っているものだと…うれしく思いながら楽しませていただきました。
12月1・2日と2日間の日程で行われる奉納芸能に、観光客など島内外から大勢の観客が詰めかけて、年間でも一番賑やかな島の伝統行事のようです。