話題としては、季節的にミスマッチですが・・・。「還暦祝い」のお話しからはじめます。
「教えてgoo」や「Yahoo 知恵袋」などの質問コーナーに、「還暦」を迎えるのはいつですか?とか「還暦のお祝いをするのはいつですか?」という質問があるようで、その回答の参照先として、私が数年前にアップした「十干十二支 -- 干支(えと・かんし)」へのリンクが貼られていたりします。
私が見た質問と回答の要点は、
[質問]「正しい還暦の祝い方」について
・正式に還暦を迎えるのはいつ?
・お祝いをする日はいつ?(正しい日取りについて)
・プレゼントの「正しい」選び方は?
[回答]
「誕生日に行うべし」
「正月に行うのが正しい」
「赤いちゃんちゃんこは時代にマッチしないので、温泉旅行券をプレゼント」
等々というものでした。さきほど確認しようとしたのですが、すでにそのサイト(質問コーナー)は閉じられていているようでリンクを貼ることができません。
何か、気むずかしい義父の還暦祝いをするために「理屈づけ」がほしいという内容であったと思います。
その他にも、「正しい」還暦の祝い方についての質問が少なくないようです。ただ、質問の内容は「正しい」やり方を教えてほしいという形にはなっているのですが、じつは「自分はこうやりたい」という意思があり、ベストアンサーにえらばれるのは自分の意思にそったものとなります。
それなら何故わざわざ質問するのかというと、自分のやろうとすることに「お墨付き」がほしいのでしょう。でも、どうして自由な発想ができないのでしょうか?上記の「気むずかしい義父」の場合は、義父を納得させるための理屈が必要となるので、しかたがないのでしょうが、ごく仲のよい家族の間での還暦祝いは、自分たちの都合のよいようにすればいいではありませんか。
お祝いをしてあげたい。祝ってくれてありがとう。---- 心がこもっていれば、どの日を選択したとしても、どのようなお祝いの仕方であっても家族の絆は深まることでしょう。
私が「十干十二支 -- 干支(えと・かんし)」にコメントしているのは、還暦を迎えるのは数え年61歳を迎える日(正月)であり、満60歳の誕生日ではないということだけです。これは「明日の7月9日が私の誕生日で、じつは明日還暦を迎えます」などというような会話がよくあり、ラジオのパーソナリティーもそのようなことを流布していましたので、すこし気になっていたことを、「十干十二支」の説明時に記述したまでです。(「十干十二支」の説明には不可欠ですよね)
これは決して、「還暦祝いは正月にやるものだ」とか「還暦には赤いちゃんちゃんこを贈るものだ」などという主張をしているわけではないのです。お読みいただければわかると思いますが。
私としては、「還暦祝い」をするのに、なぜわざわざ「正しいやり方」を尋ねなければならないかというのがとても不思議なのです。自分たちの家族が都合のよい日、いちばん喜んでもらえそうな日取りと方法を自分たちで見つければよいのであって、自分たちの家族の行事を、自分たちの都合を知らない他人に決めてもらうというのは、どう考えても不合理だと思うのです。
意識の底にはいろんな働きがあると思いますが、その考察は面倒なのでやめます。
ただ、自分で決めるには「不安」があり、自分で決めると「責任」が生じます。それよりも「こうやるもんだ!」と誰かが言ってくれれば(それも自分の都合にあう意見を)安心するし、責任逃れもできるわけです。
けれどもいちばんおかしく思うのは、自分の家庭内で「還暦祝い」をするというだけで、こんなに不安感を抱いたり、責任逃れをしたり・・・この緊張感とは何なのかということです。
こういったごく普通の家庭内の行事を決定するにも、水戸黄門さまの印籠よろしく、「どうだ、恐れ入ったか!」「へへーーーーー」という図式があって、質問者には悪いのですが、とても面白いと思います。
「正しい筆順」を知りたがる人たちにも同じ図式があてはまりそうです。そして「恐れ入ったかあ!」と印籠を差し出す側の先生たちは、その根拠を問われると、「漢字テストのふしぎ」のように、責任逃れをします。
ほんとうに何故「正しい****」ということにこだわるのでしょうか?このような場合の「正しい」とは何を意味するのでしょうか?
また、こころのおもむくままにダラダラと書いてしまいましたが、次回は別の事例をあげたいと思います。
※筆順(書き順)の強制について -- 漢字家族
※re:「曜」の字形について
※「漢字テストのふしぎ」-- 長野県梓川高等学校放送部
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