最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

終戦記念日に思う

2012年08月17日 | 感じること
産経新聞が「テーマ原稿」の募集をしていたので応募しましたが没でしたので、私のブロ
グで発表します。
 テーマ原稿「終戦の日」           会社顧問 粕井貫次  88
 昭和20年の夏、私たち神風特別攻撃の乾龍隊は鹿児島県国分海軍航空基地において連日出撃待機の日々を送っていた。機種は九三式中間練習機で二五〇キロ爆弾を装着。数日前には日南沖に接近した米軍艦艇に対し「出撃三十分待機」が発令される戦局であった。
 8月15日、天皇陛下の玉音放送があるというので、士官の搭乗員たちは官舎のラジオの前に集まった。でも音声が途切れ途切れでよくわからなかったが「どうやら日本が負けたらしい」。とたんに全身の力が抜け、へなへなと座り込んだ。そしてこれからの日本、海軍予備学生の同期生を始め多くの戦死・戦没者の死、焼かれた焦土ははいったいどうなるのか。無性に悔しさと悲しさがこみ上げてきた。
 以来六十七年。生き残った者も老齢のため次第に少なくなりつつある。われわれ世代はこの終戦日を忘れることはない。そして毎年五月二十七日(旧海軍記念日)には関西では京都の霊山護国神社でにおいて白鴎遺族会による慰霊祭を行い、同期と戦争犠牲者のご冥福を祈っている。今日の豊かな平和の時代もこうした多くの犠牲者があった事を忘れてはならない。

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1 コメント

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日本はなぜ 戦争をしたのか どの様に戦争をしたのか (井真成姫)
2012-08-27 15:45:32

 残暑お見舞い申し上げます。

昨日 大阪城横の国民會館で 標記題で公演を聞いてきました。世界史がかなり大きな動向として 刻々と変わるプロイセン崩壊後のソビエト連邦と 中華民国 やっとあの大東亜戦争がなにであったのか少しわかって来ました。

 空母の事 初めて知りました。

豊かな平和の時代もこうした多くの犠牲者があった事を忘れてはならいですね。

 いつもありがとうございます。
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