最近感じること(ブログ版)

粕井貫次の書き下ろし個人エッセイ

長屋王の遺跡から

2008年11月25日 | 感じること
 放送大学での勉強のうちレポートの殆どはマークシートに
よる選択式ですが、「日本の古代史」は、記述式でした。私
はこの方が好きです。
 問題は「日本の古代史像を構成するときに、遺跡の発掘調
査成果や出土文字資料によるあたらしい知見が果たした役割
について、具体的事例を挙げながら1,000字以内で記し
なさい。」です。
 それで次の解答をしました。
-----------------------------------------------------
 私は奈良市の西郊約4キロに居住し、平城京跡はしばしば
散歩コースになっている。その一角をかつて国道のバイパス、
そごう百貨店の建設などがあり、反対運動が長期にわたり行
われていた。
 平城宮跡から現在までにほぼ5万点の木簡が出土され、内
容には「文書木簡」、「付札木簡」、「習書・落書」の3種
類がある。その中では長屋王家木簡が3万5千点と多く、古
代史の研究に不可欠な資料となっている。
 長屋王家の木簡からは、例えば王家に運びこまれた贄の付
札、家令所にすすめられた文書、米の出納メモ、牛乳を持参
した者への米の支給メモ、運び込まれた物品のメモ、「移」
と書かれた文書などが多数出土されている。それらからは有
力な貴族の家政機関、その組織についても推測が可能になっ
た。
 また最近では、「門籍(もんじゃく)木簡」が平城京・藤
原京での発見に次ぎ聖武天皇が造営の紫香樂宮(しがらきの
みや)から出土している。これは宮殿の警備に当たって官位
と姓名を記した通行証である。
 その頃の人々が文字を読めたかについては、木簡の出てき
た地点が広範囲にわたっており、ある地点の出土では「告知
往還誰人・・・」という1mほどの板も見つかっている。こ
れは万人に知らせる目的の「告知簡」で、これからは「8世
紀から9世紀はじめにかけて文字を読める人が多くなってき
という推測が成り立つ。
かつて古代史の研究には『続日本紀』『日本書紀』などの資
料により史実の研究がなされてきたが、その後これらの木簡
の発見によって直接その当時行われた行政の様子、政務の具
体的な内容などがより明確化してきたのである。
 このような遺跡の発掘調査によって、歴史の研究について
文献だけでなく、考古学、国文学(文体、文字と音声との関
係)など、幅広い分野からの視野と各分野との共同研究がな
されるようになった。
 古代史の研究には出土品、とくに木簡の果たす役割は大き
い。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする