串本ロイヤルホテルに泊った翌日、朝から熊野古道大辺路、姉川
路、橋杭岩など、3時間くらい歩きました。奈良県の田舎ものんび
りしていますが、串本の山手はそれよりもっと都会外れの風物でし
た。
今回の旅行で串本航空隊の跡を知りたかった念願がかないました。
昼食後ホテルのロビーで、雑誌などを見ていましたら、そこに偶然
「串本町史」と「串本町資料」の分厚い本が見つかったのです。
昭和17年12月1日、串本航空隊が開設。場所は潮岬に入口に
当たる現在の串本高校、串本中学校のあるところで、当時は商業学
校があったところです。
発足当時は零式水偵4機、九四水偵2機で、ここから敵潜水艦攻
撃の防衛にあたっていました。終戦間際には903空の所轄になっ
ていました。
今は潮岬と大島が橋でつながっていますが、当時はもちろん船が
たよりでした。
航空隊のあった海岸から、巾1200メーター、長さ2000メーター
くらいが離着水地帯になっており、地元との申し合わせをした資料
があり、興味がわきました。
ホテルの人に当時のことを聞きましたが、誰も知りませんでした。
もう60数年も前の話ですから、無理もありません。
路、橋杭岩など、3時間くらい歩きました。奈良県の田舎ものんび
りしていますが、串本の山手はそれよりもっと都会外れの風物でし
た。
今回の旅行で串本航空隊の跡を知りたかった念願がかないました。
昼食後ホテルのロビーで、雑誌などを見ていましたら、そこに偶然
「串本町史」と「串本町資料」の分厚い本が見つかったのです。
昭和17年12月1日、串本航空隊が開設。場所は潮岬に入口に
当たる現在の串本高校、串本中学校のあるところで、当時は商業学
校があったところです。
発足当時は零式水偵4機、九四水偵2機で、ここから敵潜水艦攻
撃の防衛にあたっていました。終戦間際には903空の所轄になっ
ていました。
今は潮岬と大島が橋でつながっていますが、当時はもちろん船が
たよりでした。
航空隊のあった海岸から、巾1200メーター、長さ2000メーター
くらいが離着水地帯になっており、地元との申し合わせをした資料
があり、興味がわきました。
ホテルの人に当時のことを聞きましたが、誰も知りませんでした。
もう60数年も前の話ですから、無理もありません。