空にはまだ月が残る明け方、この時間が、もっとも”しばれる”(冷え込む)
大分長い事生きてきたが、1月の初め、我が里でマイナス17.5度と言うのは初めての体験だと思う。
現代 寒いと言っても屋外の話、どこの家でも家の中はあったか・・・
昭和20年代、物資不足に加えて当時の冬は寒さが厳しかった。
北風を防ごうと、屋根替え用の萱の束を並べて立てかけたり、藁束を立てたりしてもほとんど役には立たない。
吹雪の翌朝、板づくりの雨戸の隙間から吹き込んだ雪が縁側に広がっている。
早起きの母さんが、吹き込んだ雪を掃きとり、台所に向かった。
昨日、夕方に井戸から汲んでおいた水は水甕(みずかめ)の中で厚い氷となっている。
柄杓を逆に持ち、柄で氷を割る。
氷を割る音で目が覚めた子供たちもまだ起き出さない。
氷交じりの水を鍋に入れ囲炉裏の自在鈎にかけて、マッチの火を、つけ木(薄い木の板に硫黄を塗りつけたもの)に移し、杉の葉、豆殻、細かい木、薪と順番に火を大きくする。
ご飯は「ぬかたき」夕べの内に竃に籾殻を詰めておくと、朝は新聞紙一枚あれば火が付き、ごはんができる便利もの。
次第に囲炉裏の周辺も暖かくなり、火の中の炭を火種としてコタツに火を移した頃から、年より、子供が起き出してくる。
こたつに入ったところでテレビもゲームもないから朝ごはんの終わった子供たちはスキーやそり遊びを一日中やっている。
しばれた朝、樹々は霧氷で美しい風景を楽しませてくれる。
年よりは雪かき終えて、縁側の干し柿や正月の余った餅を雪にさらして乾燥させた「凍み餅」をおやつに茶飲み話。
茅葺きの大きな家に囲炉裏とコタツだけの暖房、寒さは現代とは比べようもないが、それはそれで楽しい寒さだったように思う。
その寒さのせいもあったろう、年よりは長生きできなかった。
今では90、100才も当然だが、寿命が60才を越えたのは昭和25年の事である。(その年、平均寿命 女性61.5才 男性58.0才)
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