「岩手の頑固親父」と同じ年代の彼は60代、古希に限りなく近いはず。
お世話になった地区、集落に「最後のご奉公」をと集落の中心にある水田耕作放棄地解消に立ち上がったのは昨年21年初秋。
値上がりの見込み違いから市外在住の所有者が耕作を放棄して荒れるに任せたその田んぼは1.1㌶余、景観はもとより害虫の発生や小動物の棲息、集落に害を撒き散らしていた。
左・放棄地のヤナギは春には花が咲きその種は綿毛に包まれ集落のいたるところに飛び回り田や畑に芽をつける厄介者である。
右・住宅地に近い場所にもかかわらず雉や狸、狐までも生息していた。
知合った関係機関の職員に相談、お上から補助を受けての復旧作業は折からの政権交代による将来不安で集落全体に呼びかける間もなく即、決断された。 左・伐採初日延々広がる山を前に一体、本当にこの木を退治できるのか不安がよぎる 伐採、焼却の後の根は重機により抜根された。 復元された耕地を見て、彼は「最後のご奉公」に予想外の出費や苦労を忘れて喜んでいる。
決断から1ヶ月、「耕作放棄地再生利用緊急対策事業」はスタートした。
人海戦術によるヤナギや雑木の伐採作業は集落に呼びかけて僅かに3日半日、老若男女上は80才から子供まで計70人ほどの出役で永年の荒廃で大木となった木々を伐採した。
右・多くの集落の人たちの力で僅か3日後には先が見えてきた。
出役した人達は奉仕作業の積もりだったが後日、お上から関連作業を含 めて70万円近い日当が支払われ臨時収入に喜んだ。
その後、工事を依頼された開発公社のより抜根や排水路設置、 加えて細かい暗渠工事を経て整地され半年前とは比較できないほど立派な圃場に生まれ変わった。
総額300万円にも及ぶ耕作放棄地再生だったが広い圃場には道路や池も含まれ補助対象から除外された分は彼の負担となったらしい。年金世代の彼もちょっと苦しいとも・・・・
春、ヤナギや雑木が処理された広い圃場は乾燥を待って平らに整地されたあと地元生産組合に作業が委託されて大豆畑が誕生する。
腰痛もちだと言う彼に
「元気で頑張って!!」 拍手を送る。
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