岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

はやり病

2021-03-28 16:14:53 | いなか暮し

数百の白鳥で賑やかだった三郎堤、今年の北帰行は幾分早めで静かになった池に、一羽の白鳥が残っている。
 首が黒っぽいから幼鳥なんだろう。
 怪我でもしているのか、あるいは遊び惚けて、みんなと一緒に飛び立たなかったのか、
 早く追いかけないと、みんなが戻ってくる秋までは寂しく、長いぞ・・・・

 たまたま手に取った岩手の年表、今から120~140年ほど前の明治期
 明治15年(139年前) 釜石でコレラ死 302人
   19年(135年前) 県内コレラ死  312人
   28年(126年前) 県内コレラ死 105人 赤痢126人 チフス110人
   32年(122年前) 県内赤痢死 2070人
 僅か20年ほどの間に現代からは想像もつかない疫病が流行している。
 加えて、この前後、明治27年日清、36年日露戦争、そして明治29年の三陸大津波は21959人の死者を出し、加えて飢饉、大規模洪水も相次いだ。
 そのせいもあったんだろう、明治24~31年頃の平均寿命は男42.8才、女44.3才、はやり病、戦争、大津波、飢饉、人々の恐怖は現代のコロナの比ではなかったはず、医学もまだ進まない時代、多くの人たちは、ひたすら、神様にすがったことだろう。
 明治期でこの状態だから、さかのぼる江戸期は尚更。

 今、新型コロナの感染が収まりませんが、現代の科学は進んでいます。
 ワクチンの接種も始まって、トンネルの出口は見えてきました。
 トンネルの先には大運動会が(オリンピック)待っています。
いま一度、お上や学者の先生の言うことを素直に聞いて、カラオケ、居酒屋はしばしの我慢、咲き誇る桜は横目で眺めて、密をさけ、マスクの着用を守り、一日も早くコロナとお別れ、終息したら今まで我慢した分、思いっきり羽を伸ばしましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする