色々あって、平成まもなく終了。
テレビも新聞も、平成を振り返る記事が毎日のように報じられている。
昭和の終わりごろから、平成の30年は我が郷も大きく変わったように感じられる。
一時期、転入者で郷の戸数や、人口が増えつつある時期もあったが、それも僅かの期間の出来事で、人口増が止まった途端から、急に減りだして、昨今は年金頼りの、散歩する人々のみが増えた。
子供に至っては眼も当てられないほどの減少ぶり、昭和の終わり頃まで、どこにも子供がいたのに、どこへ行ってしまったんだろう。
大昔から、農村部で延々続いた、お伊勢参りは平成10年頃に集落の男女20数名余りが、京都、伊勢、四国方面に出かけて以来、又行こうと言う声はない。
集落の元気な若者グループが、山形の湯の浜辺りで遊んで、共に山登りして、一人前になったと言われた最上詣りは、昭和の終わり頃に出かけた後は最上詣り募集すらなくなった。
江戸時代の終わり頃から始まったらしい、栃木県の防火の神さま「古峰ヶ原」詣りは、係が毎月集金して、積立たお金で5,6年に一度、「古峰ヶ原」と日光、成田など楽しんだが、4、5年前に100数十年の歴史が終了した。
それどころか、集落の仲間との楽しかった旅行の思い出にと、あちこちに建てられた記念碑だが昨今は邪魔者扱い、さえもされる。
少々、窮屈と思えば窮屈な団体旅行よりも、今では個人でも、家族でも、外国にだって気軽に出かけられる時代、これも良いとは思う。
平成で大きく、新たな歴史を刻んだパソコン、スマホにネット、世界が身近に繋がったと言われる分、近隣、集落の人たちと疎遠になったと感じる。
昭和の終わり頃から平成にかけて、聞かなくなった言葉も多い。
親孝行、夫婦円満、大和撫子、貞操、節約、我慢 等々・・・・・∞
3月に試運転が始まり、今年も釜石線をSL銀河が走る。
新幹線の新花巻でSL銀河に乗り換え、釜石でこの春から運行の始まった三陸鉄道に乗り換え、南の大船渡、北に向かって宮古、久慈。
リアス海岸を堪能して宮古から盛岡、又は久慈から八戸に出て新幹線に乗り換えて帰途に・・・というコースはいかが?