岩手も暑い。連日の猛暑に田んぼの稲もすっかり豊作タイプ
獲れれば獲れたで品質・・・どうの、こうのか。
「ハカダチ」「ハカガリ」
岩手で広く使われる言葉に「ハカダチ(墓立ち・頑固親父訳)」「ハカガリ(墓上がり・同)と言う言葉がある。
朝、農作業に出かけることを「ハカダチ」 夕方農作業を終えて帰ることを「ハカガリ」と言う。
単なる方言か、それにしても仕事の出入れになぜ「墓」なのか・・・長い間の疑問が解けた。
読売新聞「地球を読む」高齢者不明の夏と題した宗教思想家の山折哲雄先生の文中にその答えは明確だった。
今から100年前に刊行された柳田國男の「遠野物語」の中に
村のはずれに蓮台野(れんだいの)という土地があって60才を越えた老人はみんなそこに追いやられるのだという。そして命があるうちは、日中は里に下がって農作をし、日が暮れてふたたび蓮台野にもどる。
朝、野に出るのを「ハカダチ」といい、夕べに野から帰るのを「ハカアガリ」という。
いわゆる姥捨て伝承の暗さが、ここにはないことに注意しよう。
共同墓地と一体化しているような、したたかな老人共同体のイメージが・・・・・・・人生80年代を迎えてそれに見合うだけの幸福をもたらしてくれているのか。
その生と死のあいだに病と老いの問題が割り込んできている。
文は死生観について続く。
そうだったのか。
毎日繰り返す言葉の「ハカダチ」、ちなみに昼食に戻ることは「ヒラガリ(昼上がり)」お昼休みが終わってふたたび野に出ることを「ヒルオリ(昼降り)」そして夕方作業を終えて帰ることを「ハカガリ」
単なる民話集と思っていた「遠野物語」、深い深い意味合いがあったんだ・・・・・・
我が死生観はいかに、
我が人生の「ハカガリ(墓上がり)」はいつの日か。