岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「三郎堤公園」

2009-12-13 18:46:04 | いなか暮らし

Cimg3609 四季折々の風情を楽しませてくれる三郎堤 かって新堤、中堤、大堤と三連の堤だったが現在は大堤だけ残って「三郎堤」と言う。
 伝説では源 頼朝に討たれた藤原泰衡公の弟、泉三郎忠衡公が幸田(三郎堤所在地)に逃れ開拓の志を立て従臣とともに築造されたことになっているが歴史的には徳川初期(寛文、延宝)の築造ともいわれる。

 大正末期か昭和の初め頃のことだろうか。
 三郎堤の近くで雑貨屋を営んでいた吉田某氏が大正2年に開業した花巻温泉の社長、三鬼(かん)太郎氏に三郎堤一帯の公園化を働きかけた。同じ大正2年岩手軽便鉄道(現、釜石線)が花巻~土沢間が開通し、14年には仙人峠まで開通した。小山田駅が隣接していたこともあって温泉と同時開発を狙ったのだろうか。中堤付近には「三郎堤公園」の大看板が立てられ八雲神社鳥居から三つの堤を包み込むように大量の桜の木を植えられた。
 
開業記念行事だったろうか。
 三郎堤近くの小高い丘の八雲神社本宮の南側の広い敷地には東屋が建てられ、その近くの土俵では相撲が行われ、花巻温泉の芸者さんが沢山来て、それは大賑わいだった事を近くに住む昭和4年生れの古老が肩車して貰って見に行った記憶があるという。

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 今は土俵も無いし東屋も無い。ましてや芸者さんも来ない。替わりに沢山の白鳥が羽を休め、新花巻駅にも近いため散策に訪れる人も多い。当時大量に植えられた桜も道路拡張等で数が減ったが地元の人たちにより新植された若い桜も加えて春には見事な景色を作り出す。
 
桜は毎年秋、地元の堤維持管理組合により手入れが行われ今年も師走に近いよく晴れた日に行われた。

コメント
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