岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「気になる木」

2008-09-16 21:00:29 | いなか暮らし

Cimg4018 随分昔から気になっている木である。岩手にバナナ・・・・・気楽に投稿をと思っていたら調べていく程に次第に重くなって来た。
 右写真 元気な岩手を紹介 017s 平泉 中尊寺金色堂

 昔から気になっている木である。岩手にバナナの大きな木が茂っている。けっして温暖化のせいではない。
 秋には切り倒すのに翌春には芽を吹き、大きな木になりちっちゃな実までもつける。母の実家にあるその木は昔からあった。

 子供の頃には作業小屋の裏、ぬか小屋と言われる籾殻を保管する小屋の側にあったと思う。
 いったいいつごろからあったのだろう。

 その屋の先々代は昭和15年に出征した。
 当時3才の長男は出征の祝いの席で父に抱かれて縁側から庭を眺めた記憶があるという。そして出征、その後に次男は生まれた。
 1年に一回か1年半に一回の戦地からの便りはあったという。
 その妻は当時22~23才、ひたすら無事を祈って幼い二人の男の子を育てた。

 当時のビルマに出征した若い父親は妻と子供をどんなに案じたことだろう。
 便りもままならぬ戦地から時折出せた手紙に現地のバナナの種を入れたか、或は偶然に入ったのかもしれない。
 妻はその手紙の中の小さな種に夫の姿を見たに違いない。
 南方の暑い地帯の種は保温力の強い籾殻の中に播き、芽吹かせた。

 「昭和19年 ビルマで戦死」の連絡があった。
 戦死したとて何も戻ってこない。紙切れ一枚で、
「あなたの夫は戦死しました。」
 数年後若い妻は再婚した。
 籾殻に播いたバナナは大きな葉を付けたが、そのいわれを誰に話すことなく、その妻は毎年バナナの木を見つめた。

 故郷岩手に妻と二人の子供を残してビルマに出征し4年もの間、子供の成長も安否も確認で出来ぬまま異郷で戦死した無念さがこの木に宿ったに違いない。

 後日談・・・・当主に尋ねたところ当時のバナナと思った木は芭蕉と言う木だったそうだが子供の目には、大きな葉を茂らせるその木はバナナだった。
 その木は数年前に枯れて、今茂っている木はまさしくバナナということだ。
 しかし二代にわたって茂る大きな南の木には戦死した先々代の無念さが宿っているに違いない。

 夏、バナナの木の下で、トロピカルムードでビールを楽しむ。
 いや、これからはその前に戦死した先々代にまず線香を手向けよう。  と思う。

コメント
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