岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「風呂」

2006-10-23 20:45:14 | 田舎暮らし

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※写真 里山の秋、この後 見事なに染まる

「風呂」 設定された水量、温度になりいつでも気軽に入れる良い時代だ。「バス」とも言うが「バス」ではない「風呂」、昔 当地では”せふろ”(据風呂?)と言われた頃の話・・・・・

 風呂場は母屋から少し離れた風呂専用の小さな建物(3~4m四方)でその多くは地中に埋められた大きな桶に乗って立てられていた。洒落た白壁の風呂や家紋を屋根に飾った風呂もあった。風呂の残り湯はそのままその桶に流す、その桶は小便専用のトイレも兼ねる、風呂を沸かした燃えカスや灰もその桶に入る。燃えカスは全部その桶に入るから防火も万全、桶にたまった水は風呂の残り湯、小便、灰が混じって肥料の不足する時代は良い肥料になった

 卵を横にして切った様な形の木桶の風呂は昼の間に父母が井戸から桶で水を運び込んだ。卵の細い方には鉄砲と呼ばれる釜が立てに入っている。鉄砲釜に紙くずや杉の葉で火を付けて次には豆殻(大豆を採った後の茎)柴(雑木の枝など細い部分)そして薪の順に燃やして湯を沸かす。その後、うっかり忘れて火が燃え尽きると最初からやり直しとなるので手伝いの子供たちも油断が出来ない。

 いつも適温の風呂とはいかない。風呂に入った頃に湯加減を聞きに来た子供はぬるいと言われれば鉄砲釜でいつもの順番に追い焚きをする。冬の時期、熱いときはスコップで外の雪を風呂に入れる。そんな仕事を手伝いながら学校であった話、友達のこと、その逆に親の仕事のことなど話が進む。「あー調度よくなったよ」「ごゆっくり」子供は母屋に戻る。

 その頃、もらい湯も多かった。「風呂を立てたから(沸かしたから)入りにおいで」隣に声を掛けに行くのも子供の仕事。「そう、どうもありがとう」

 杉の葉も枯れ枝も豆殻も薪も大事な資源だったが灯油や電気を便利に使える現代は近くの山から杉の葉も薪も採らない。山に人が行かなくなったから里山も近年は荒廃が進むCimg0134

 ※写真 手入れのされない山では藤蔓が延び放題になり大きな木に絡みつきその木を枯らしてしまう。

 私たちの地方では水道水を沸かしてバスクリーンを入れただけのいわゆる偽の温泉を「豆殻温泉(マメカラオンセン)」と言う。昔、豆殻を使って風呂の湯を沸かしたことが語源かも知れない。

コメント
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