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東京発世界行

written by Ken
 



慶弔時などに用いられる「続柄とその呼び方」について。
「様」や「殿」などの敬称とは別に、「父→ご尊父」、「母→ご母堂」といった続柄を丁寧に言い表す言葉があります。
本記事では、そのような言葉が掲載されているウェブページを紹介します。

お役立ちツール:電報
「ご尊父様のご逝去を悼み……」という弔電などで使われる言葉(決まり文句)が掲載されています。
「ご尊父」、「ご母堂」、「ご子息」あたりはよく知られていると思いますが、「弟→ご令弟」、「姉→ご令姉」はあまり知られていないかもしれませんね。
また、弔電を打つときは、宛名人が喪主でない場合がありますから、誰あてに送るのかによって、続柄を考える必要があります。(Aさんの父親が亡くなった場合、Aさんの母親が喪主になるケースを考えてみましょう。)
それから、「父上」、「母上」は自分の両親に対して用い、相手の父親のことを「お父上」とは書きません。手紙などの場合は、「父君」を用いるのが原則です。

続柄 「妻の父」ってなんて呼ぶの?
こちらの葬儀会社のサイトには、「妻の父→岳父」というのが正式な呼称だけれども、あまりにも通じないため、「義父様」でも良いのではないか、と書かれています。
仕事関係で、例えば総務部の社員が社長名で弔電を打ったりする場合は「岳父」を用い、個人的な間柄だったら「義父」を用いる、というように、使い分けるのが正解かもしれませんね。

lettre
手紙の書き方について書かれているページですが、続柄とその呼び方について、さらに詳しく掲載されています。
「妻の父」は「御岳父様、御外父様」と呼ぶのに対し、「夫の父」は「お父上様、お父君様、おしゅうと様」なんですね。
でも、B子さんの夫の父親を呼ぶときは、「お義父様」で良いのではないでしょうか。

実際に電報を打つ場合は、115 番のオペレーターのひとが詳しく教えてくれますよ。

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『斬(ざん)』:新しい運営スタイルを模索する(記事分割更新方式)1

ブログで長文記事を書く場合、いくつかの記事に分けて掲載する方法があります。
souryuusei さんは、これを「記事分割更新方式」と呼び、この方法の利点と欠点について述べておられます。(リンク先の記事自体が、5つの記事に分割されています。)

本記事では、一つのテーマについて続き物の記事を「連載」するという視点から、この方法について考えてみたいと思います。
なお、本記事では、当初から計画的に連載を企画するケースについて取り上げますので、以下のものは一応除外したいと思います。ご了解ください。
  • 読者からのコメントやトラックバックなどの反応に対する応答記事
  • あとから思いついた補足記事や続編
  • 放映中のテレビ番組などの感想記事
  • 現在進行形の闘病日記などのように書き手自身に先が読めない記事
■当ブログにおける具体例
文体について (序)
「連載もの」というのは、あまりたくさん書いていないのですが、上のリンク先の記事は最近の例で、断続的に4回に分けて掲載し、書き終わるまでに2週間かかっています。(書き上げてから分割したわけではありません。)

■連載記事の長所
  1. 一つの事柄について深く考察することができる
  2. 途中で行き詰まった場合、更新を一時中断したり、無関係な記事を書くことができる(「文体について」の場合、(2)と(3)の間に、猫の画像をいくつかアップしています。)
  3. 連載を継続すること自体がモチベーションとなり、作業能率が向上する
■連載記事の短所
  1. 開始時点で、全体の概要文を書ける程度の見通しが必要(連載途中での路線変更が難しい)
  2. ある程度、総論的・包括的なタイトルをつける必要がある(僕の場合、記事のタイトルを後からつけるのがほとんどなので、非常にやりにくい)
  3. 読者を激しく限定してしまう
  4. コメント、トラックバックをもらいにくく、読者とのコミュニケーションが図りづらい
  5. 完結することが出来なかった場合、価値が激減してしまう(気がする)
  6. 推敲の手間が増える(初回まで遡って推敲する必要がある)
長所に比べて短所のほうが多いじゃないか!と思ってしまうわけなのですが、長所として挙げた3点は、いずれも書き手の気持ちや意欲に関わるもので、非常に重要な意義を持っています。

■連載記事を書くポイント
書くのに時間がかかるから(あるいはその時間がとれないから)、または単純に文章が長いから、というだけの理由で、記事を小分けにするのだとしたら、最後まで読まれなくなってしまう可能性も高いといえるでしょう。
そこで、僕が考える「連載もの」を書くときのポイントをいくつか挙げてみたいと思います。

1.全体のボリュームを考えてから書き始める
 文字数制限が(ほとんど)ないブログの場合であっても、ある程度、全体の分量や連載回数を考えてから、書き始めることが必要だと思います。後で気がついたらとんでもない長さになっていた、というのは、構成が破綻しているのかもしれません。
2.目次やリンクリストを全ての記事につける
 リンクリストは読者をナビゲートするためにも必要ですが、今読んでいる記事が全体のどのあたりなのか(例えば序論なのか結末に近い部分なのか)を知らせることも大切にしたいものです。
3.1回ごとに言いたいことをきちんと言い切る
 各論記事はそれぞれ完結させることが重要です。というより、個別に完成させることこそが、「連載」の必然性であるともいえるのではないでしょうか。小説の場合は別ですが、1つの記事を読んで、何が言いたいのかわからないというのが一番困るわけですね。また、結論を先送りにする書き方だと、読者を引っ張るのが困難になってしまいます。
4.必ずしも完結させる必要はない
 上に述べたことと矛盾するようですが、連載を完結させることは義務ではありません。無駄に引き伸ばしたり無理やり終わらせたりするのに比べたら、むしろ、途中の各個記事を充実させることのほうに重点を置くべきだと思うからです。しかし、放りっぱなしや尻すぼみで終わるのはいただけません。連載を開始したときよりも、終わったときに一番盛り上がった状態になるのが理想ですね。

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本記事を書くうちに、総論と各論、見出しのつけ方といったテーマを思いついたのですが、また別の機会に記事にしたいと思います。

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心を書く人は,心を削って書いているような気がします。
 (Mugi2.0.1 - 削って削って
良い文章を書く人は、言葉を削って書いているような気がします。
どんどん言葉を削って行くと、三十一文字の短歌のようになってしまうのかもしれません。
短いけれども、言葉足らずではなく、言いたいことがきっちりと書き込まれている。
そんな文章に憧れます。

僕の叔母は、若い頃、短歌を習っていました。
子供の頃の話なので、短歌なんかさっぱりわからなかったのですが、それでも、すごいなあ、あんな百人一首みたいなものがよく書けるなあと思ったものです。
あるとき、叔母が1冊のノートを見せてくれました。
そのノートには、彼女が綴った自作の短歌がぎっしりと書き込まれていたのです。
短歌を詠むひとは、一度に十首も二十首も詠み、それを何日も繰り返してから、出来の良いものだけを発表するのだそうです。
学校の作文の時間に、1枚の原稿用紙のマスを埋めるのに精一杯だった当事の僕にとって、それは驚きでした。

文章を書くという行為は、言葉を削ることの連続であるのかもしれません。

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僕は、メールやウェブなど、パソコンや携帯の画面で読まれるための、印刷を前提としない文章を書くとき、原則として、段落の冒頭や改行箇所では「一字下げ」をしません。

■一字下げをしなくなったきっかけ
一字下げをしなくなったのは、10年近く前にパソコンを使い始めた頃に読んだ「メールの書き方」といった類のあらゆる本に、「E メールでは一字下げをせず、1行あたり35文字程度で改行するのがマナー」であると書かれていたのがきっかけです。
そんなに深く考えていたわけではないんですよね。

■一字下げは文法ではない
その後、自分でウェブサイトを開設したり、他のサイトを頻繁に訪問したりするようになって、一字下げに関する様々な考え方を読むことになりましたが、僕はいまだに一字下げをしないまま、現在に至っています。
ワープロ・ソフトで、印刷されることを前提とした文章を書くときには、必ず一字下げを行うようにしていますので、ウェブの場合は意識的に一字下げをしないようにしているということになります。
現在、そのようにしている理由は、簡単に言ってしまうと、“見映えの問題”です。
一字下げは、文法ではなく、文章の外観を決定する表現方法の一つと考えているからです。

■印刷媒体とウェブの違い
新聞や書籍などの印刷媒体では、1行あたりの文字数があらかじめ決められているのが通例だと思います。また、印刷を前提とした文章の多くは、全体の文字数(または原稿用紙の枚数)に至るまで事前に決められており、与えられた枠にきっちりと収まるように文章を作成する必要があります。もちろん、これは編集・印刷といった工程をスムーズに進めるための合理的な考え方です。
しかし、個人で運営するウェブサイトの場合は、このような制約はなく、全体のヴォリュームから改行の方法まで、自由に作成することが可能です。(自由にやることが良いか悪いかではなくて、事実として、自由に作成できるのです。)
多くのウェブブラウザでは、プロポーショナル・フォントが使われていますが、パソコンにインストールされているフォントによって、あるいはブラウザの種類によって、全角スペースの幅が異なっており、一字下げたつもりが微妙にずれている、というサイトを頻繁に見かけます。また、プロポーショナル・フォントで表示されるサイトでは、自動改行の際に、行末が揃わず、ページの右端がばらばらになってしまいます。
では、等幅フォントを使えばよいかというと、そういうわけではなくて、ブラウザで読む限り、等幅フォントで表示されるサイトは非常に読みにくいと、僕は感じます。(現在、この記事を作成しているオンライン・エディタの画面は、等幅フォントで表示されています。)
それだったら、むしろ左端を揃えたほうが、見映えが良いのではないか――というのが、僕の個人的な考えです。

■読みやすい文章表現とは
改行位置、段落、一行空けといったテクニックは、文脈を明確にし、さらに文章全体を読みやすくする効果を持っています。
自分が書いた文章を多くのひとに読んでもらいたいと考える以上、ものを書くときには、見やすさ、読みやすさといった要素を大切にしたいと、僕は思います。
一字下げは、わずか1つのスペースですが、文章表現のテクニックの一つとして捉えると、読みやすさに深く関連する、あるいは関連させることも出来るかもしれません。
ただし、これは“決まりごと”としてではなく、個人の文章表現のあり方として捉えるべきものであり、どちらかというと、個人の文体に属する問題なのではないかと考えます。
たかが段落。
されど段落。
という具合に、改行を多用した場合、一字下げが邪魔になってしまう。というのが、僕の文体なのですから。

なお、段落(paragraph)を表わす<p>タグを使う方法もありますが、携帯からの閲覧者が多い当ブログでは、当該タグが対応していないため、使用していません。

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【関連記事】
改行について考える
文体について (2)言葉の選び方や字面について

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【バックナンバー】
文体について (序)
文体について (1)文体の種類や傾向について
文体について (2)言葉の選び方や字面について

数回にわたり、僕自身の文章や文体について書いてきたのですが、そろそろまとめにかかります。
本記事では、文体の持つ意義や効果について、考えてみたいと思います。

■文体の意義は、文章の「見せ方」である
文体とは、文章に書かれている筆者の考えや思想そのものではなく、あくまでも「語り口」であると、僕は考えます。
つまり、テキストの表層、表面(オモテヅラ)だということです。
しかし、読者に文章を読ませようとするとき、オモテヅラは非常に重要な要素となります。
これを服装に例えてみましょう。
初対面の人と会話するとき、ネクタイを締めてスーツを着ている場合と、T シャツにジーンズといったラフな格好をしている場合とでは、相手に与える印象がかなり異なるはずです。
これは、スーツとジーンズのどちらが優れているかということではなく、どういう場所で、どんな内容の話をしようとするのか、即ち、TPO によって使い分けるべきものだということです。女性だったら、髪型やメイク、アクセサリーなども、TPO を考えて、使い分けることでしょう。
「そんなオモテヅラなんか気にしたくない。ありのままの自分を見て欲しい」
とお考えの方も、中にはいらっしゃるかもしれません。
これを、先ほどの比喩に当てはめるなら、全ての衣服を剥ぎ取ったヌードに相当するでしょうか。しかし、ヌード写真を撮影するとき、背景や照明、カメラのレンズに至るまで、写真家は苦心しながら、作品を撮る=創るのだと思います。
そういうことも含めて、「見せ方」は重要なのです。
この「見せ方」こそが、文章においては「語り口」=文体となるわけです。

■文体の効果=与える印象と読者の関係
文体によって、読者に与える印象は大きく変わります。
極端な例ですが、僕はときどき小学生向けの記事を書いています。π姫作・エイミーちゃん・その2&3という記事は、ブログをやっている友人のお子さんに向けて書いたものですが、出来るだけ短い文を使い、話し言葉に近い文体を使用しています。子供向けの文章だったら、こういう語り口がわかりやすく、伝わりやすいのではないかと考えたからです。後に、この記事には、検索エンジン経由で訪れた多くの小学生が、コメントを書いてくれるようになりました。
これは、記事のテーマや内容だけでなく、文章の語り口そのものが、一定の読者層を引きつけたのではないかと、僕は思っています。
ほかにも、大真面目な語り口でジョーク記事を書いたり、短くシンプルな表現で深刻な問題を取り上げたり、様々な手法を試みている記事がたくさんありますが、いずれも、文体の与える印象が、それぞれの記事の読者層に対して訴えかけるものが大きいのではないかと思うのです。

しかし、実際には、記事が読者を切り分けているのではなく、読者が記事を選んでいるということなのかもしれません。
当ブログの場合、何ヶ月も前に書いた特定の記事に、コメントを何度も書いて下さる常連読者が何人もいます。彼らは、明らかにその記事をブラウザのお気に入りに入れているわけで、トップページや最新記事など読んでいないのかもしれない。そうやって、読者がお気に入りの記事を選んで、何度もアクセスしてくれているのだとしたら、僕にとっては記事を書いた甲斐があったというものです。

■文体について~まとめ
本シリーズ記事の冒頭に述べたように、「正しい文体」などというものは存在しないのかもしれません。
しかし、他人様に読んでいただくための文章を書く以上、読みやすさ、見やすさ、伝わりやすさといった事柄については、常に意識しながら、文章を綴って行きたいと、僕は考えています。
文体は、決して小手先だけのテクニックではありません。
文体を、文章の「見せ方」として捉えるとき、読者に対峙する書き手の姿勢が現れるものだからです。

文体そのものは、過去に出尽くしていて、新しいオリジナルな文体を創り出すことは難しいと思います。
それでも、「語り口」に魅力を感じて、何度も読みに行くブログがいくつもあります。

あなたのブログは、どんな語り口で、読ませてくれるのですか?
あなたは、あなた自身を、どんな見せ方で、僕に見せてくれるのですか?
あなたは、どんな文体で、自分の考えを表現していますか?


ご意見・ご感想をお待ちしています。

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文体について (1)文体の種類や傾向についての続き。

本記事では、僕が当ブログで使用している文体について、もう少し細かく、言葉の選び方や字面といった側面から考えてみたいと思います。

■言葉の選び方について
語彙の多さや感性といった、個人の能力に頼る部分については、僕は自信がありません。
もちろん、そういったものを学ぼうと努力することは大事だと思いますが、個人の能力には限界がありますし、若い方ならともかく、僕くらいの年代になると、新しいものを吸収するにも限度があると感じます。
そこで、文章を書くときの“言葉の選び方”について、僕がふだん意識していることをいくつか挙げてみます。
  • 和語と漢語を使い分けることによって、文全体の印象を違ったものにする。 (例)「壊れる」と「崩壊する」
  • 専門用語の使用は、極力、避ける。 ※関連記事:ジャーゴンについて考える
  • コミットメント、エクスキューズといった、必然性のない外来語は、オミットする使わないようにする。
  • 季節感を表わす言葉を大事にする。 ※関連記事:季節を書く
■字面について
ここでいう字面とは、文字通り、文章の見た目、外観のことです。
改行位置、段落、一行空けといったテクニックは、文脈を明確にするばかりでなく、文章全体の見やすさ、読みやすさに、深く関連するものだと思います。
書籍に例えると分かりやすいかと思いますが、分厚い本なのに中身がスカスカだったり、文字がぎっしり詰まっていたりする(ように見える)ことを、よく経験しますね。ブログに関しても、同じようなことが言えるのではないかと思うわけです。
これは、スカスカとぎっしりのどちらが良いかということではなく、文章の内容や目的によって、使い分けるべきものであると、僕は考えています。

もう一つ、字面について、僕が考えているのは、漢字とひらがなのバランスです。
「良い人」と「いいひと」、「出来る」と「できる」といった、漢字でもひらがなでも表わすことが可能で、なおかつ、意味が全くあるいはほとんど変わらない語句の場合、僕はどちらかに統一することをせず、文章全体の字面を考えながら、使い分けるようにしています。
これはそんなに厳密に使い分けているわけではないのですが、例えば、動植物などの画像を用いた記事の場合、ひらがなを若干多めに使用することが多いです。画像を含めた記事全体の印象を柔らかくする効果があるのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。

最後に、文章の外観は、サイト・デザイン、ブログの場合は、テンプレートや CSS にも関連しています。
つまり、文字の大きさ・色、フォント、字間や行幅、カラムの数といった、デザイン的な要素のことですね。
これが、文体とどう関連しているかというと、(あくまで僕の場合ですが)ブログのテンプレートに合わせて、字面を考えながら、文章を作成しているのです。
もしも、当ブログがテンプレートを変更して、2カラムになったとしたら、おそらくもっと改行の数を増やすでしょうし、文字のサイズが大きくなったら、ひらがなと漢字のバランスも変わってくることでしょう。
当ブログの記事には、過去に他のサイトに書いたものを改稿・転載したものがいくつかありますが、そういう際には、上に述べたような部分を大幅に書き直すケースが多いです。
(当ブログの記事を、RSS リーダーで読んでいる方もいらっしゃるかと思いますが、おそらくかなり違った印象を持たれていることだろうと思います。)

 ※関連記事:改行について考える


 (つづく)


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【文体について・もくじ】
文体について (序)
文体について (1)文体の種類や傾向について
◆文体について (2)言葉の選び方や字面について (本記事)
文体について (3)文体の意義や効果について


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文体について (序)の続き。

本記事では、僕が当ブログで使用している文体の種類や傾向について、いくつかの角度から分類してみたいと思います。

■文末について
文体の特徴として最も判りやすいのが文末です。現代の文章において、文末は大雑把に、「だ・である調」と「です・ます調」に分けることが出来ます。
一般に、文章に統一感を持たせるため、文末は統一すべきだと考えられているのだと思いますが、僕は敢えて、記事によって文末を使い分けるようにしています。
これは、記事によってジャンルがばらばらであったり、シリアスな記事の次にジョーク記事を書いたりすることが多いため、文章の雰囲気や調子(トーン)を変えたほうが良いと思ったことが大きな理由になっており、ブログを始めたごく初期の段階から、意識的に行ってきたことです。
より厳密にいうと、例えば「です・ます調」にも、さまざまなトーンがあり、僕は少なくとも4種類の「です・ます調」を使用しています。また、時折、詩・小説など創作文を書いていますが、それらに関しては、各々固有の文体を持たせるようにしています。
話が抽象的で分かりにくいかと思いますので、文末の使用について、僕が考えていること、意識していることをいくつか挙げてみましょう。
  • 「です・ます調」は、敬語ではない。必ずしも、読者や第三者に敬意を払っているとは限らない。
  • 逆に、「だ・である調」の文章の中に、敬語を用いることによって、第三者(特にリンク先の筆者など)に対して、十分な敬意を表わすことも可能。
  • 一つの記事の中では、通常、文末を統一しているが、記事の冒頭や末尾に、異なる文末を用いる場合もある。(CD や本のレビュー記事に多い。)
  • 箇条書きの箇所では、表現を簡略化するため、「です・ます調」は用いない。
  • コメント欄では、読者との対話を行いたいと考えるため、記事の文体に関わらず、「です・ます調」に統一する。
上記は、あくまでも原則ですので、例外もたくさんあるかと思いますが、こんなところでしょうか。

■一人称について
当ブログでは、創作文を除き、一人称を「僕」に統一しています。
これは、ブログを開始した2004年以降のことで、それ以前は、ネット上に書く文章は全て「私」を使用していました。(今でも、ブログ以外の場所では「私」を使用する場合があります。)

*関連記事:「僕」はネイティヴ
 「僕」を使う理由について、述べた記事です。

■文の長さについて
一つの文(センテンス)の長さについてはどうでしょうか。
ひとつの文が長すぎるために、どれが主語なのかわからなくなったり、何が言いたいのか理解しにくくなってしまったりするようなことは、極力、避けるべきだと思いますが、だからといって、ぶつ切りの短い文ばかりが並んでいると、筆者の思考が読み取りづらくなってしまう結果に陥る場合も考えられます。(←ここまでで140字。かなり長いですね。)
長い文が延々と続くのは読みにくいが、短ければ良いというものでもない、というわけです。
文の長さは、文章全体にリズムを与えます。
短い文を連ねることで、スピード感を表わす。
長い文では、思考の過程を表現する。
こういった使い分けが自由に操れるようになれば、緩急自在な文章表現が可能になるのでしょうけれど、なかなかそう上手く行くものではありません。
そんなことが自在に出来るようなら、僕はとっくにブログなんか止めていることでしょう。


 (つづく)


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【文体について・もくじ】
文体について (序)
◆文体について (1)文体の種類や傾向について (本記事)
文体について (2)言葉の選び方や字面について
文体について (3)文体の意義や効果について


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昨年4月に、書く文章は誰のため? という記事を書きました。その中で、文体について触れたのですが、文章について論じるにあたって、端から文体について不十分なまま語ってしまうという愚を犯していると思ったまま、今日に至っています。
そこで、文体について、その用途、役割などといった観点から、数回に分けて考察し、記事を書きたいと思っています。

■文体とは
ぶんたい【文体】 (1) 文章の様式。和文体、漢文体、あるいは書簡体など。(2) 文章のスタイル、筆者の個性的な特色をなすもの。
 (岩波国語辞典 第四版より)
辞書に書かれているように、一口に「文体」といっても、かなり幅の広い意味があり、単に「です・ます調」、「だ・である調」といった文末の違いに留まらない、さまざまな意義を持っているものです。
また、「筆者の個性的な特色をなすもの」であると考えると、「正しい文体」など存在しないのかもしれませんし、それ以前に、「文体とは何か」といった定義が曖昧なままにされているのかもしれません。

■そこで、「自分の文体」を考えてみることにしたい
文体について論じようとしても、対象が曖昧なまま、漠然と考えを進めるのは得策ではなさそうです。
そこで、当ブログでは、あくまでも、僕自身が書いている「自分の文体」を取り上げながら、話を進めてみたいと思います。
例えば、当ブログでは、記事によって、わざと文体を変えていますが、このことの意味は何か、果たして本当にこれで良いのか、といったことも含めて、考えて行くことが出来れば良いなあと思っています。

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【文体について・もくじ】
文体について (1)文体の種類や傾向について
文体について (2)言葉の選び方や字面について
文体について (3)文体の意義や効果について

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最近、“初心者向け How-to 系ブログ”と称して、第三者をさらなる混乱に陥れているとしか思えない“初心者ブログ”が散見されます。
本記事では、そのような混乱を防ぐために必要な、正しい「引用」のあり方について、記述します。

■引用にはルールがある
引用の際にはいくつかの注意点がある。大きくかけはなれると引用ではなく転載などになってしまうので注意が必要だ。

  • 引用を行う「必然性」
  • 文書に於いて、本文と比べ、引用部分が従属しているという「主従関係」
  • 引用部分とそれ以外の部分の「明確な区別」
  • 引用元の著作者名など「出典の明示」
 (はてなキーワード - 引用とは
上記、引用文に書かれているとおり、正しい引用の方法については、著作権法などによって、明確に定められています。
これ以外に、引用元の文章を改変するべきではない、というのもあるでしょう。少なくとも、改変してしまったら、それは引用とは呼べないものになってしまいます。

■改変が良くない理由
元の文章を改変してはならない、というのは、著作権法に定める同一性保持権によって守られている著作者の権利です。
たとい、元の文章が下手くそであったり、誤字脱字があったりしたとしても、勝手に書き換えてはならないわけですね。
では、元の文章の作者が「改変しても良い」と謳っている場合は構わないのかというと、これも微妙です。改変された文章は、どのような方法であれ、文意を変化させてしまうわけですから。

■ではどうすれば良いのか
引用を行う場合は、元の文章(の一部)をそのまま引用しましょう。
引用者が、そこへ意見(賛成・反対を問わず)を付け加えたい場合は、引用文の前後に、自分の意見を自分の言葉で書きましょう。
もちろん、この場合、引用文が「従」、自分の意見が「主」になることが必要であることは、言うまでもありません。

■[補足] 「コピペ改変ネタ」はどうなのか
ウェブの世界には、コピペ改変ネタというものがあります。
元来、有名な小説などの冒頭の文章を改変したりする遊びだったものが、ウェブでは、作者の主張の正当性如何とは無関係に、インパクトのある文章や文体を面白おかしくいじる手法として、定着しています。
著作権ということを考えるとかなり微妙なやり方だと思いますが、この手法が容認されるには、ある程度、以下のような条件を満たす必要があると、僕は考えています。
  • 文章のスタイル・構造を活かして改変するのであって、原文作者の主張の改変を目的とするものではないこと
  • ジョークであることが、読者に明らかにされていること
  • 真剣な議論を行いたいときには不向きな手法であることを、改変者が認識すること
僕自身、ネタにしたりネタにされたりすることがよくあるのですが、こういうのはシャレで済む程度にしておきたいものですね。

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【TB】
+LOVE 2.0+ - 他人の文章を本人の承諾なしに添削している人の文章の書き方がおかしい件について
Mugi2.0(むぎむぎ) - 込められた思いを大事にする(2)

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■例え話の目的
▼難しい事柄を、わかりやすく説明するため。
 →例え話そのものは、わかりやすいものでなければならない。
▼抽象的な事柄を、具象的な表現で叙述するため。
 →抽象的な例え話(モラルの話を別のモラルの話に例えるなど)は、失敗する。
▼特殊な事柄を、より一般的な事柄に置き換えて記述するため。
 →例え話にアニメのエピソードを用いたりすると、一般的ではなくなる。
▼面白い例え話を思いついたから。
 →上の三つに当てはまらないものは、ほとんどこれに該当する。自己満足なレトリック。

■例え話のリスク
▼他の解釈が容易に成り立つ例え話は、論理をすり替えられやすい。
 →例え話の解釈を明確に定義するべき。
▼インパクトの強すぎる例え話を用いると、本論の趣旨が伝わりにくい。
 →ネットマナーの話を、殺人やレイプに例えるなど。
▼例え話の選び方が不適切だと、本論の趣旨が全く伝わらない。
 →例え話をする側の問題であって、聞き手の責任ではない。
▼面白おかしい例え話は理解されやすいが、本論には興味を持たれない場合がある。
 →これも、選び方の問題だと思う。

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【リンク】
思考術あれこれ - 例え話は難しい

【TB】
VANILLACHIPS:例え話の危険性

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