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東京発世界行

written by Ken
 



へいうま - これが私の自意識様へトラックバック。

自意識過剰って言うけどさ。自意識過剰じゃいけないわけ? そもそも、自意識過剰って何? 自意識過剰の反対語は?

■自意識過剰の反対は何だろう
検索してみた。
自意識過剰の反対 - Google 検索
検索結果は6件。
解釈がかなり違っているようだ。ちょっと乱暴だけど、要旨を分類してみよう。

1.心の向き説(リンク
 心が内側を向いている状態を自意識過剰という。外側を向いているのはその反対。心が内側を向いているときは、肉体的な痛みを強く感じる、という説。
2.無意識過剰説(リンク
 阿川佐和子が作った造語らしい。(小林信彦ではないと思う。)他のサイトでは、不思議ちゃんというような意味で使われることが多いみたい。
3.自意識不足/希薄説(リンク
 「自意識過剰な男の自意識をなだめてみたら、反対に私の自意識の低さを指摘された。」自意識余剰ではないと思う。
4.「透明感」説(リンク
 「透明感」のあるひと=自意識過剰の反対の人、興味の対象が自分自身じゃない人。(紀宮様みたいな人ということでしょうか?)
5.「自然体」説(リンク
 たまの知久さんは、「自分は特殊なのではないかと煩悶し続けることが、『普通』であるとした上で、自分は『普通』の人間である」と言ったそうです。

■だから何?
自意識過剰というのはどういうことなのか。(辞書的な意味じゃなくて。)
どれを読んでも、わかったようなわからないようなことしか書かれていないのだけれど、少なくともそんなに悪いことではなさそうな気がする。
思春期における自我の形成というのは、誰もが通過するものだと、心理学の教科書には書いてあったりするわけで、自分と周囲の世界(というか社会)の違いをどうしても意識せざるを得ないのだ。友人と違う本を読み、違う CD を聞きながら、「個性的な自分」を育てていくというのは大事なことだと思う。この時期に、十分な「自分育て」が行われないと、大人になってから、自分探しの旅に出たりするのかもしれない。だって、自意識過剰なひとは、自分探しの旅に出たりしないもの。
それから、「自分大好き」な自意識過剰なひとは、「ありのままの自分を愛する」という点で、自己愛性人格障害とは異なる。紙一重なんじゃないかと思うケースもなくはないけれども、実際に話をしてみると、非常に違うものだと感じる。

■そういうおまえはどうよ?
なんだかんだ言っても、自分が好きである。
思春期の頃からそうだったし、現在に至ってもこればかりは変わらない。
この場合、唯我独尊的な意味での「自分」のみならず、周囲との関係性の中における「自分」を含んでいる。
僕は、自分が書いた文章が好きだし、自分が作った音楽が好きだ。でも、それだけではなくて、自分の仕事や自分が発表した作品が、会社や、周囲の友人、ネット上の見ず知らずのひとから、どんな風に評価されるのか、気になる。具体例を挙げれば、ブログの毎日のアクセス数を眺めたりコメントを読んだりして一喜一憂したりする類のものである。
評価が気になるというのは、弱い部分なのかもしれないけれども、僕はそういう部分も含めて、自分が好きなのだ。
「自分大好き」な自分が好き、ともいうけどね。

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僕が通っていた小学校は、古い木造校舎だった。
戦前の建築で、東西に伸びる廊下は直線部分だけで120メートルの長さがあり、
町の大工さんたちが腕を競い合って建てたものだといわれていた。
卒業して数年後、この校舎は改築のため取り壊されたが、歴史的建築物ということで、
市内の博物館にその一部が復元・保存された。
以来、僕にとっての「母校」は、この博物館の中の建物となったのである。



校舎は博物館の一部として利用され、かつての教室には
戦前の教科書を初めとして、さまざまな展示物が並べられている。




1階は保健室。2階は放送室だったかな。




中に入り、階段を昇ってみよう。




あははは。
こんなストーブ、あったあった。
石炭バケツを持って、放課後に石炭を取りに行くのが、当番の仕事だったんだ。




みんな、おはよう!


---
本当のことをいうと、小学校にはあまり良い思い出はない。
クラスには馴染めなかったし、担任の教師も好きになれなかった。

一番、好きだった先生は、理科の教師で、若くて体格の良い男のひとだった。
みんな、彼のことを「かいじゅう」と呼んでいた。
「かいじゅう先生」は、僕が卒業して数年間は、母校に勤めていたらしい。

校舎が博物館に移築された後、初めて訪れたとき、僕は「かいじゅう」の名前を見つけた。
一番上の写真に写っている正面玄関は、教職員用の出入口なのだけど、
そこの下足箱の名札に、校舎解体当時に在籍した先生方の名前が書かれていたのだ。


その場所だけ、時が止まっていた。

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あなたに、ライバルはいますか?
あなたのライバルは、誰ですか?

三日でひとまわり:コナン君と平次君へトラックバック。

ライバル 1 [rival]
互いに相手の力量を認め合った競争相手。好敵手。

 (goo 辞書 - ライバル
名探偵コナンのライバルは、関西の高校生探偵、服部平次。
孫悟空のライバルは、ベジータ。
矢吹丈のライバルは、力石徹。
ヒーローが成長を遂げるためには、強いライバルが必要とされるらしい。

僕たちの周囲にも、ライバルは存在する。
ライバルがいると、恋は燃え上がるという。
仕事上のライバルは、同業者の場合もあるし、同じ職場でデスクを並べる同僚であるかもしれない。

僕にとって、「音楽のライバル」は、父であった。
あった、と、過去形で語るのは、老父は健在であるものの、認知症のため、音楽をやらなくなってしまったからである。
僕の父が音楽に親しむようになったのは、年の離れた姉の影響が大きかったのかもしれない。
父は、終戦後に上京。昭和20年代に、通っていた教会で、聖歌隊を結成し、その後、約50年にわたって、指揮者を務めた。正式な音楽教育を受けたことのない、完全な素人音楽家にしては、たいしたものである。
僕は、中学生の頃、その聖歌隊に入り、約15年間、在籍していた。
父のパートは、テノール。僕はバス(声域はバリトン)である。

僕は、父と違って、楽器を弾いたり、ときには作曲をするようになったが、「歌唱」に関しては、結局、父に追いつくことは出来なかった。(僕自身の年齢を考えると、どう考えても、自己のピークはとうに過ぎているのだから。)
声量や声域といった訓練によるもの、リーダーシップや根気といった性格や適性によるもの、と、両面にわたって、父に敵わないのである。
実際、父のことをライバルだと意識したことなどないのだけれど、少なくとも、音楽に関しては、父の影響を受けざるを得ない。また、父のほうも、僕の力量をある程度は、認めてくれていたと思うし、僕にとって、父は、最大・最強のライバルであり、切磋琢磨の相手であったと、最近、ようやく思えるようになったのである。

---
写真は、父のコスプレ。(1947年撮影)
学生時代の父が、なぜか演劇をやっていて、ゴーリキー作『どん底』の「エセ巡礼ルカ」の扮装をしているところ。(写真右)
怪しいサンタクロースではありません。

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彼女の家の転居が決まり、僕は駅前の公衆電話から電話をかけ、上野の東京都美術館で行われている<フランス美術 栄光の300年>を一緒に見に行こうと、誘った。結局、行くことになったのは、引越の3日前だ。

10時に、彼女の家を訪れた。彼女は、裾にフリルのついた、大きな花模様のワンピース――首から胸にかけて白いひだがついている――を着て、バラのバックルのついたベルトと、白い上衣とショートブーツを身につけていた。だが、何よりも僕を驚かせたのは、ストレートの長い髪を華やかにカールさせていたことである。一瞬、僕は息を飲んだが、落ち着いたふりをしていた。ワンピースは、お母さんの若い頃のものだそうだ。
<フランスの美術 栄光の300年>は特別展で、ワトーからピカソまで、いろんな作品が並べられていた。どちらかといえば、フランス美術は彼女のほうの趣味だと思っていたのだが、美術館の中で、彼女は僕よりも早く歩いた。
春休みなので、平日だというのに、上野はすごい人ごみ。<栄光の300年>を見終わってから、上野公園を少し歩き回る。ソフトクリームを食べ、<フランスバザール>を見てまわり、フランス人(らしい)の曲芸やパントマイムを見た。もう一度、美術館へ戻って、公募展示の方を見ようということになり、<服飾デザイン展>というのに、入った。布地の柄デザインの展示で、かすりみたいのから、東山魁夷みたいのまで、いろいろあって、とてもきれいだった。彼女は、幻想的なイメージの作品がお気に入りのようだった。会場内では、彼女の方から話しかけるということは、ほとんどなかった。僕はというと、作品よりも彼女の方に目が行ってしまうことが多かった。
それから、上野公園を出て、駅の近くのカレー屋に入った。
帰りの山手線では、マンガの話をした。
新宿でルミネに寄って、画材屋と本屋をのぞいた。
新宿からの電車の中では、ほとんど話をしなかった。
このとき、彼女は僕の視線に気づいているはずだったが、何も答えなかった。
一駅手前で下車して、僕たちは商店街で買い物をした。
そして、小学校の前を通って、昔の通学路を歩いて帰った。

(1979年3月の日記より)

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大学進学が決まった、高校最後の春休みの一日の日記です。(一部、固有名詞を省略していますが、ほぼ原文のままです。)
この日、僕は小学校の同級生の女の子とデートをしました。
彼女は、僕とは別の高校に通っていたのですが、卒業後、地方へ転居することが決まっていて、このときが最初で最後のデートでした。(数年後に再会したのですが、そのときは、お互いにつきあっている人がいました。)
日記の前半、服装の描写の部分にやたらと気合いが入っていますが、彼女が小説書きだったため、だいぶその影響を受けているようです。

結局、手もつなげなかったわけですが、何しろ一大イベントでしたからね。
純情少年の一日は、結構、大変だったんです。

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【TB】
今日は明日の前日だから:さようなら、十七歳
 ギビさん、18歳の誕生日おめでとう!

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Kへ
手紙、読みました。いろいろの助言、たいへんうれしいです。
おばあちゃんですが、暑さのためか、体がすっかり弱り、先週あたりから高熱がつづき、14日に亡くなりました。
前の手紙では、ずいぶんおばあちゃんのことを恨んでいるみたいに書きました。でも、悩んでいるのは、そのことではありません。あれから、何日か経って気づいたのですが、赦せるか赦せないかで迷っていたのでもないんです。大切なことは、おばあちゃんのことに限らず、人を本当に赦したり、心から愛したりすることができないうちは、僕の罪は消えない、ということです。
時が経てば、おばあちゃんのこと、忘れていくと思います。しかし、それと同時に、僕自身のことまで忘れてしまいそうです。こうやって手紙を書いているのは、そのことを忘れたくないから。証拠を残したいからなのかもしれません。
話が難しくなりました。おばあちゃん、生前はいろいろ迷惑をおかけしたと思います。何しろ近所の有名人でしたから。申し訳ありませんでした。

ところで、“スター・ウォーズ”見ましたか。あれ、すごいですねえ。X-WING FIGHTERの宇宙戦もかっこよいけど、なんといっても酒場のシーンのBEMたちと、あと、ミレニアム・ファルコン号のワープのシーンがすごかった。スーッと星が四方に散ってしまうところなんか、アメリカの映画館では拍手が起こるそうです。ワープに関しては、“ヤマト”なんて問題ではないのだ。
興奮してしまいました。SFの話になると、便箋全部使っても終わりそうにないので、やめましょう。

こちらの文化祭、性懲りもなく、またもや出演しそうです。一度もアンコールの来ないヘタバンドのくせに。今年は、3年生は夏休み中、練習をしないのです。9月に入ってから、ちょっとだけ練習して、済ませようなどと考えているのです。これでは、メチャクチャだった前回の二の舞になりそうです。こまった。でも、最近、バンド練習が疲れるんです。精神的に。(トシだなァ・・・。)
なんで、こんな話になったんだろう。とにかく、Kも文化祭までがんばってください。
ではまた。

1978年8月17日
Kenより



僕が17歳の終わり頃に、友人に向けて書いた手紙(下書き)です。
本当はもっと長いのですが、一部を省略した以外は、原文のままです。
意味不明な箇所、ツッコミどころ満載な部分も、そのままです。



【バックナンバー】
17歳の詩
17歳の小説


【TB】
今日は明日の前日だから:ぷんぷんにこにこ
Sweet*Studio:18才の梅雨明け

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今から29年前の話です。
当時、僕は好きな女の子がおりまして、相手は中学のときの同級生。卒業後、彼女は私立の女子校へ、僕は公立の共学校へ進学していました。
その頃、書いていた日記を今でも持っているのですが、彼女にどうやって告白するか悩んでいる様子が書かれてるんですよ。

☆どうやって気持ちを伝えるか・・・
1.本屋で待ちぶせする
2.手紙を書く(物を書くのは相手の方がうまいからダメでせう)
3.電話で言う
4.どこかへつれだして、モロに言う※※
5.教会へ連れて行く※※※
6.班ノート※※※※
7.歌をつくって送る
意味不明な部分がありますので、少し説明を加えます。
※ 「ダメでせう」というのは、当時、流行っていた旧仮名遣いをまねたものです。
※※ 「モロ」の意味が現在と全く違います。下品なニュアンスではありません。
※※※ 僕は日曜日に教会に通っていました。
※※※※ 中学のときに、6人くらいのグループで回していた交換ノートで、卒業後も1年くらい続いてました。

その後、どうしたかというと、3を実行しました。それ以外の方法も試したのですが、なんだかちゃんと伝わらなかったみたいです。
結果はうやむやに近い感じだったのですが、高校卒業と同時に、彼女が地方へ引っ越すことになり、卒業直前に一度だけ一緒に美術館に行きました。
それでおしまい。引き際も大切ですからね。
あのとき、7を実行していたら、僕の人生は違ったものになっていたのかもしれません。

◎6月7日、追記。


当時の写真が出てきました。
何だよ、これ!?
笑ってやってください!


---
【TB】
正しい『三十路』の作り方:【TB】あの頃、僕は、若かった・・・【大募集】
ふりかえれば・・・まろ:高校一年生だった。

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幼い頃、母と手をつないで歩いた道

たんぽぽの綿毛を飛ばしたり
ツバメの巣を見つけたりした
いつもの帰り道

どこかからクラリネットの音が聞こえて
音のするほうまで走っていった
いつもの帰り道

鈴掛の径(こみち)


---
「ピアノで『椰子の実』の伴奏をしているんだけど、キーが高すぎるのよ」
先日、母からそんな電話がかかってきた。
うん。久しぶりに、ピアノ、弾きにいってくるか。

*photo : Christchurch, New Zealand


【TB】
じいたんばあたん観察記:ちいさな肩と、淡く優しい笑顔。

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小学校の卒業文集から、僕の作文を紹介します。

最初にちょっとご説明。
作文は卒業生全員が書いたもので、専用の用紙1枚に書いた手書きの原稿がそのまま印刷されています。
何歳のときにどうしたこうしたという「自分の未来史」みたいな形式になっているのですが、これは同じクラスの男子の半数が計画した「企画もの」なんです。共通のテーマは、将来の職業、結婚、老後、死について想像をめぐらせること。遺言状を書いたひともいました。
登場人物がやたらと死ぬのですが、原文のまま。ただし、学校名は伏せることにします。

 『履歴書』

○一九六〇年 横浜で生まれる
○一九六六年 東京へひっこす
○一九六七年 ○○小学校へ入学、七三年、同校卒業
○中学、高校ともぶじ卒業
○「なんとか大学」をなんとかでる
○円谷プロで働く
○結婚して、子供が生まれる(二十五才)
○子供が七才のとき、妻が病気で死ぬ
○円谷プロつぶれる
○いままでの技術を生かして映画のかんとくになる
○仕事中の事故で大けがをする
○子供が家出して三日後、死体で発見される
○冬みんそうちで三十年間冬みんする
○冬みんからさめたらすごく進化していた
○サイボーグ(改造人間)になって長生きしようとする
○宇宙人との戦争がはじまる
○宇宙人にサイボーグのエネルギーをぬかれる
○宇宙人に死刑にされそうになるがうまく脱走する
○火星でホテルを経営して大金持ちになる
○二九七五年、宇宙人にみつかり殺される(百十五才)
ツッコミどころがいっぱい。
いくらフィクションでも、自分の妻子を殺しちゃだめだろう。
最後の年号、間違ってるし。
もしも今、12歳の作者が僕の前に現れたら、ゲンコツを食らわしてから、抱きしめてやりたいと思います。


【バックナンバー】
17歳の詩
17歳の小説

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「おい、すごいぞ」
 父さんが、朝刊から目を上げて、大きな声で叫んだ。
 まだ眠い目をして、朝食をとっていたぼくは、その声でパッチリ目が覚めてしまった。
「辺境用連絡宇宙船が市(シティ)の宇宙空港(スペースポート)にやってくるんだ。冥王星探検で活躍していた勇者たちのご帰還だ。あした到着するそうだ」
「じゃあ、ぼくも空港に行ってみようかな」
「女の子のくせに、“ぼく”というのはおよしなさい」
と、母さんが口をはさんだ。
 すると、いつものように父さんが、かばってくれた。
「なあに。ほっときゃいいじゃないか。この年頃の女の子にはよくあるんだ。なあ、レイ」
 母さんは黙ってしまった。毎日、聞きあきた会話(やりとり)だった。
「ねえ、辺境探検って、そんなに大変なの?」
「そりゃあそうさ。炎さえ凍りつくという極寒の惑星の探検だ。帰ってきた隊員(スペースマン)は英雄だ。現に、五年前、出発したおまえの兄さんだって・・・」
 聞いていた母さんの顔が曇った。
 兄さんは五年前、タイタンへ飛び立った。なにか事故が起こったに違いなかった。兄さんの同僚がぼくの家を訪れたとき、ぼくたちはそれを信じなかった。そして、彼は帰ってくるものと思い続けてきたのだ。
 ぼくたちの間に一瞬、沈黙が生まれたが、母さんが無理に感情を押し殺したような話し方で、声を切った。
「はやく学校に行きなさい」
 ふだんは、ぼくをせかしたことなどないのに。


-----
上の文章は、僕が17歳のときに書いた小説の冒頭部分です。
この続きは、冥王星から帰還した宇宙船にサイボーグが乗っていて、実は主人公の兄だった、というようなオチになっていまして、たいして膨らみもせずに終わってしまいます。

うーん。
文体など、今とほとんど変わらなかったりするんですけどね。
かなり恥ずかしいというか、もうちょい頑張れというか、不思議な感じがします。
でも、今、書いている文章も、何年か経ってから読み返したら、苦笑いしてしまうんでしょうね。

そんなこんなで、BLOG STATIONは一周年を迎えました。
もうしばらくは、ブログを続けてみたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。


【バックナンバー】
17歳の詩

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『ラクダのうた 1』

むかし ラクダにあったの
とても大きくて こわかった
ラクダは わたしに言ったわ
ラクダこそは 宇宙(そら)の絆
砂の宇宙を結ぶ橋        (未完)

-----

『モンガラカワハギ』

魚の顔には筋肉がない
モンガラカワハギは 生まれてから死ぬまで
ずっとあんな顔をしているのか

海は広い
空間は縦横に拡がるばかりだ
モンガラカワハギだって さみしいだろう
でも 彼は泣き顔を見せない

魚の涙は水だろうか
それとも空気の泡だろうか



いきなり、なんだこれ?な感じですが、僕が17歳のときに書いていた日記もどきのノートの中の一節です。
主に、学校生活について淡々と綴っていたノートなのに、なぜか突然、ポエムのようなものが出てきて、しかもいきなり、ラクダですよ。
タイトルに1と書いてあって、(未完)で終わって、2などないのですよ。
さらに、モンガラカワハギって何ですか。(検索したら、こんな魚でした。)
当時、高校3年の5月だったのですが、校内の合唱コンクールの直前で、きりきり舞いしていたことが同じページに書いてあります。コンクールではコーラスの譜面を書いて、ピアノを弾いて、優勝したんですけどね。でも、このポエムばかりは、わけがわかりません。
ノートにはレコードやコンサートのレビューみたいなものも書いてあるのですが、そちらはやたらと詳しくて、驚きました。
作詞・作曲を本格的にやるようになって、詞をきちんと完成させるようになったのは、この2年後くらいのことです。

誰ですか?
今と同じじゃん、とか言っているひとは?

---
【TB】
チャーミーりおしのびっくり箱:男嫌い・・・?
ともっちのお暇なら読んでよ♪ NEO!!:ゆれる恋心

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