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かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

桓武天皇

2023年09月25日 | Books
今日も、すがすがしい感じ。
明日から、暑さがぶり返すそうだが。



桓武天皇という新書が出た。
桓武天皇が、平安京に遷都したことは知っていても、それ以上のことは、知らない人も多いかもしれない。
私も、奈良時代の本を中心に読んできたので、それほど詳しくは知らなかった。
本書は、そんな私にピッタリの内容で、その展開の仕方もしっかりしており、奈良時代から平安時代に移る時期の日本を知りたい層にぜひお勧めしたい。

まず、語られるのが桓武の出自。
平安遷都を成し遂げた天皇だから、さぞ、しっかりした血筋の天皇と思っていたら、とんでもない。
いろんな要因が積み重なって、たまたま天皇になった?
そもそも天武以降、天武系の天皇が続いていて、ここで、天智系に戻ったとされるが、本書では血はつながっていないものの、聖武が認めた子であったことが、即位に重要な役割を果たしたとし、それを桓武自体も、重要視していたと考えられるという。
これは、たぶん、よく研究しないとわからない点だ。

また、平安京に移る前に検討された長岡京の話。
なぜ、長岡京建設途上で、平安京に変更になったのかの推理が面白い。
もちろん、真実はわからないないのだが、長岡京の建設は、藤原種継任せでスタートしたものの、亡くなってしまい、未完のまま10年が過ぎ、継続が難しくなったのではと推理。
そして、和気清麻呂を中心とした体制に立て直し、桓武も前面に出て関与する形で、平安遷都にこぎつけたのではないか。

早良親王の祟り説もあるが、これは主因ではなかったのではと。
桓武にとっての早良親王は、天智にとっての天武的存在であったが、その後の災難の連続が祟りではないかということになり、繰り返し繰り返し鎮魂することとなった。

蝦夷征伐では、坂上田村麻呂が有名だが、最初は、大伴家持からスタート。
当初は、全く成果を上げられず、桓武天皇は激怒。
坂上田村麻呂が率いるようになってから、事態は好転し、当初の目的を達成した。
平安遷都と、蝦夷征伐は、桓武の2大施策で、その二つを成し遂げたことにより、強固な基盤を確立した。
妃が、28人もいたそうで、後継も平城・嵯峨と無事続いた。

仏教については、聖武天皇のように国策の中心に据える扱いではなかったが、これは、南都仏教が政治に関わりすぎたことを嫌ったもので、平安京に、東寺、西寺を作ったことでもわかるように、仏教を嫌っていたわけでなかなった。
特に重要なのは、再開した遣唐使に最澄、空海を送ったこと。
最澄はともかく、空海は、まだ名もない僧侶だったにも関わらず一員に加えたことが、日本のその後の仏教の大きな発展の礎となった。
これは、桓武が意図していたものではなかったが、結果的に大きな仏教発展の基礎となったといえる。

平安京に落ち着いてから、桓武は初めての行幸を行ったが、特に重用なのは、そのルート、日程の掛け方。
難波への滞在、玉津島参拝を見ても、聖武への追慕の旅であったことがわかるという。
昨年、玉津島に行った話をしたが、そこは、万葉集で有名な神社ということであった。
聖武、桓武ゆかりの神社でもあったわけだ。

やや専門的ではあるが、良質の一書だった。
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新武蔵丘ゴルフクラブ

2023年09月24日 | Sports


今日は、やっと秋めいてきた。
恒例のコンペで、今回は、新武蔵丘。
たぶん3回目だが、ずいぶん前だったので、ほとんど覚えていない。
ただ、回っていて、2番ホールは、思い出した。
トリッキーにもほどがある?
武蔵丘の方は、プロトーナメントも開催される本格的コースだ。



記憶のなかったクラブハウス。
立て直したか?
パブリックの割には立派である。

コースは、珍しく、スルーが原則だが、インスタートにしてもらったので、10番ホールへ、先導役と共に移動。
コースが狭めで、右OB、左ワンペナのコースがほとんど。
幸い、一度も入らなかったが。

秩父の山々も美しい。



ワンオンしたが、パートナーがピンまで、20cmのスーパーショットで、ニアピン賞は逸す。



これがトリッキーな2番ホール。
左がずっと池で、第1打は、とりあえず右に打つが、第2打の落としどころがない。
おまけに、グリーンの前に池が張り出していて、無理してグリーンを狙うと、池ポチャの可能性大。
ということで、刻みに刻んで、ダボに収めた。

とにかくいい天気で、後半は、流石に少し暑かったが、この時期としては、ベストコンディションのゴルフが楽しめた。
それにしても、9月15日から、9月24日の10日間で、7ラウンド。
もちろん記録。
これから、2週間お休み。
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充実のドイツ・チェコ・オーストリア その15 ハルシュタット

2023年09月23日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、彼岸の中日。
一日中、はっきりしない天気。
お墓参りの他は、諸雑務に追われた。



翌朝結構早くウィーンを出発。
Donauturm(ドナウタワー)。
ウィーン一番高い建造物で、高さ252m。
展望室もあるらしい。



途中、有名なメルク修道院を過ぎたところまではよかったのだが、その後、大渋滞にはまった。
後からわかったのだが、5台が絡む多重追突事故だったそうで、全く動かず、途中で、高速が通行止めとなる。


 
高速を出たところのマックで休憩。



SAにあった、風変りな人形。
何かしゃべって、最後につばを吐く。
日本では考えられないが、何か毒を吐いていたのか?

結局2時間ぐらい遅れたのだが、その日のスケジュールはすべてこなした。
ガイドさんが言っていたが、時限が決まっている見学が入っていない日で、ラッキーだった?



段々山の中に入っていく。
バイエルンアルプスを呼ばれているようだ。



途中、アルプスらしい町が点々とし、何かの祭か、民族衣装を来た人々も見かけた。



ハルシュタットは、湖に面した小さな町。
古くから岩塩の採掘場として有名で、塩をお土産で買ってきた。
ナチスが、岩塩採掘場に、奪った名画を隠す映画があったが、舞台は、この辺だったのだろうか。
小さな町なので、オーバーツーリズムを警戒して、村に入る人数を制限しているらしい。



アルプスの麓のイメージか。

この辺は世界遺産に指定されていて、70もの美しい湖が点在しているという。
途中見かけた湖は、富士五湖みたいな趣だった。



一本道だから、道に迷う心配はない。



山の上には、別荘?が立ち並ぶ。
今のシーズン最高だ。


細い道の先には、教会の塔が見える。



マルクト広場。



カトリック教会。
ハルシュタットのシンボル。



魚料理をいただいた。
肉類が続いたので、新鮮。



遊覧船も。



少し先に行ったところが、撮影ポイント。
すばらしい眺めだ。



岩塩を運ぶ人。
岩塩は、かつて、金よりも高かったという。



ハルシュタットを後にして、急ぎ、ザルツブルクへ。
とにかく、2時間遅れでスケジュールは進んでいる。
途中、牛追う人。
昔と変わらない?



美しい風景が次々と現れる。



マイカーだったら、一か所一か所立ち寄りたいところだ。
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古代史講義【海外交流篇】

2023年09月22日 | Books
今日は(も?)ゴルフ。
雨が心配されたが、逆に晴れ間ものぞいたりして。
気温は、30度ぐらいだったものの、風がなくて、湿気が高く、蒸し風呂の様だった。
スコアは、やや回復傾向。



古代史講義も4冊目。

毎回切り口を変えて、総論、各論、バランスよくまとめてくれているので、逃さず読んでいる。

本書は、海外交流篇ということで、古代から、平安初期までの、日本と大陸との交流の歴史を、15テーマに分けて、論説している。
著者は各章により違うのだが、それぞれのテーマの専門家で、違和感なく通して読める。

正直、どのテーマも、古代史において、取り上げられるもので、それぞれのテーマに絞った単行本も出ており、あまり新味はない。
ただ、最新の研究成果を盛り込んだり、今まであまりリファーされたことのない資料に言及していたりして、興味深く読める。

あまり新味がないと感じられた理由は、やはり、当時、日本と大陸との交流があったにしても、その密度・頻度は、断続的で、その中で、記録に残るのは、どうしてもビッグイベントに集中しがちで、かつその資料は限られるといいうことだろう。
例えば、鑑真の話にしても、元の資料は失われれ、その後まとめられた東征伝が中心になるが、脚色部分が多く含まれると考えられ、その中から本当の話を見ぬくことは難しい。
渤海に至っては、元の中国側にほとんど資料がなく、韓国、日本に残る資料から、元の渤海がどのような国だったかを、推測し、組み立てるより他ない。
仏教伝来時期の特定もなかなか難しいが、本書では、日本の書物に残る538年と552年と共に、百済との深い人の交流が認められる540年頃の説も有力視している。

一方、考古学的な発見から、新たな方向が見えてきた分野もあり、例えば、日本最古級の寺を考えられる飛鳥寺の伽藍配置は、日本からは遠い方の高句麗の寺の配置に似ていると考えられているという。
渡来人の日本における分布状況も、土器・鉄器や、住まいや、馬飼いの様子から、少しづつその様子が明らかになってきている。

それまで史実と思われていた歴史が、その後の発掘・発見により、裏付け強化されたり、疑念が膨らんだり、全く違う説が浮上したり。
そこが古代史の面白いところで、本シリーズは、その面白さを浮き彫りにしてくれる。
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TETSUO SAKURAI JACO PASTORIUS TRIBUTE SESSION

2023年09月21日 | Music


今日は、まず母校の図書館で開催されている企画展へ。
図書館の建物は、重文だし、無料なので、ご教示のある肩はどうぞ。
テーマは、つるの屋。
つるの屋と言っても、ほとんどの人はわからないだろうが,母校の前にある大衆居酒屋で、3年と4年の時は、ゼミが終わると必ず行っていた。
つまり、週一ペース。
だから、出社ゼミに因んだ天使も多い。


 
入り口には、居酒屋風の幟?



重文の一部のステンドグラス。
この図書館は、私が学生の時は、現役のだったが、卒業後にはまもなく、新図書館ができ
その頃、耐震工事を終え、今は、1階が、売店兼喫茶室、2階が展示室になっている。
展示室は、メインは、常設で、大学からの歴史的が分かるようになっていて、サブで、いろいろな企画展が行われている。


 
展示室は、居酒屋のつるの屋だけではなく、大学生と共に生きて来た街の変遷がわかるようになったいる。
弥生時代から人が住んでいて、江戸時代には、現在の町名になっていたという。
居酒屋があった辺りには、大きな質店があったという。 
歴史を感じる。


 
店内は,卒業制が贈ったペナント来、記念品で溢れていたが、それが寄贈され、ここに展示室されている。
メニューや、お品書きなど、現物が並べられている。
つるの屋自体は、2019末に、ビル取り壊しのため、移転後再開される予定だったが、店主ぎ急逝され、そのままクローズになってしまった。
最終営業日にも、お邪魔していたが、まさか、それが最後になるとは、夢にも思っていなかった。
その後、店内のものを大学ぎ譲り受け、今回の展示になった次第。
大学とは、直接は関係ない居酒屋内のペナント等が、大学生の企画展で、展示室されるなど、前代未聞だろう。

これは、ペナント類だが、これでも全体的の1/3ぐらい。
ゼミの先生の退官時の記念写真まである。



これは、ゼミの後輩が贈呈したもの。


 
居酒屋の魔界まで!
我々は、週1回、左側の奥のり2列を占拠していた。



図書館ができた頃の写真。
右に見えるのが図書館で、真ん中が新たにできた校舎。
左に見えるのが、創設者の邸宅という。
手前の家並みは、東海道(今の国道1号)沿いの家並。
小規模な展示だが、ドはまりの内容だった。



夜は、櫻井哲夫さんの、JACO PASTORIUS TRIBUTE SESSION。
櫻井さんのコンサートは行きたいと思っていたのが、なかなかスケジュールが合わなくて、今回初めて。



席は、こんな感じで、サックス、クラリネット、フルートの本多俊之さんの目の前。
その隣が、櫻井さんで、そのさらに隣が、渡辺香津美さん。
渡辺さんは、70歳になられたそうだが、エレキ、アコギと、すばらしい。
このメンバーで唯一、JACOとの公演経験がある。
キーボードが、新澤健一郎さん、ドラムが川口千里さん、パーカッションがカルロス菅野さん。
川口さんは、まだ26歳だが、前から見たかった新進気鋭のドラマー。
評判通りですばらしかった。
櫻井さんと、本多さんと、菅野さんは、10代からの、音楽仲間という。
もう、3人とも前期高齢者?

初トライの3曲を含め、超絶技巧を次々と披露。
息もつかせぬ1時間半だった。
JACO が亡くなって15年。
毎年、この日に追悼イベントをやっている。
来年も是非来たいと思わせるすばらしいコンサートだった。
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