かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

下流社会

2006年01月12日 | Books
今週は、短いはずなのに、まだ一日ある。正月気分がまだ抜けていないのかな。
読書は、こつこつやっているが、昨日読み終わったのは、最近売れている「下流社会」。著者の年齢も近いので、フムフムといいながら、読み進んでしまった。こういう類の本は、自分の身の上と比較しながら読むと、興味が倍増します。
社会に出たころは、ほとんどの日本人が中流意識を持っていたのだが、今は、わずかな上流と、多くの下流に分かれているという。データも示されながら、説明されると確かに....などと感じられたりもする。またそれを意識したマーケティングも必要なのだとは思う。中途半端なものは、ますます売れなくなり、ユニクロかレキサスかという時代になっていると説く。
ただ、これも、デフレ傾向がなくなってきたり、就職難が採用難に変わってきたりすると様子が変わってくるのだろう。それでもやっぱり気になるのは、ニートと言われる人々だ。若い内は、親も元気でどうにかなるが、そのまま、生き続けることになるとすれば、本人にとっても社会にとっても、ろくなことにはならない。人口減少時代に突入した今、脱ニートをどう進めるかが、女性や高齢層の社会での持続的な活躍とあわせ、日本の国体維持のための大きなキーになるのではないかと思うのだが...
最後の方で、出てくる山の手論も、興味深かった。我が家もぎりぎり第4の山の手になるのか。それとも単なる田舎???山の手が西に移動し、田舎がどんどん山の手になってきた歴史も再認識した。そこに住んでいる人は、中心部に素敵なマンションができても、戻っていかないそうだ。
団塊の世代と新人類世代の間は、どうなるのか。著者自身の世代のクラスタについての分析が狭間になって、もれているような気もするのだが。高校時代も大学紛争がふきあれた後で、シラケ世代と呼ばれていたっけ。
世の中がどんどん変わっていることを、常に自ら意識していく必要があるということだろう。
コメント
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