昭和の時代

アナログの時代がなつかしい

韓国ネタ、日本と朝鮮の第一印象

2019-09-02 09:10:21 | 日記
 イザベラバ-ドに日本紀行と朝鮮紀行の紀行記がある。
 日本には明治10年に、朝鮮には17年後の明治27年訪れている。
 
 日本紀行より、(明治10年横浜)

  :上陸して私が感心したのは、浮浪者がひとりもいないこと、そして通りで見かける小柄で
   醜くて、親切そうで、しなびていて、がに股で、猫背で、胸のへこんだ貧相な人々には、全員
   それぞれ気にかけるべきなんらかの自分の仕事というものがあったことです。

  :税関で私たちに応対したのは、洋式の青い制服に革の長靴をはいた小さな役人たちでした。
   とても礼儀正しい人々で、私たちのトランクを開けて入念に中身を調べてからまたふたを閉め
   ニユーヨ-クで同じ検査をした横柄で強欲な役人たちとは小気味のよい対照を示していました。

 朝鮮紀行より、(明治27年釜山)

  :船が投錨してまず目に入るのは朝鮮でなく日本である。銀行業務は東京の第一銀行が引き受け
   郵便と電信業務も日本人の手で行われている。居留地が清潔なのも日本的であれば、朝鮮人には
   未知の産業、たとえば機械による精米、捕鯨、酒造、魚の加工といった産業も日本が行った。
   汽船の甲板から岸辺を見ると、岩場に坐っているのはペリカンかペンギンを思わせる白い物体の
   群れである。が、同じような物体が人間そっくりの足取りで釜山の新旧市街間をとどめなく行き 
   かうところを見ると、座っている物体もその同類らしい。

  :税務官はイギリス人で、朝鮮にとっては大いにありがたいことに、清国海関が雇い、朝鮮の関税収入
   を管理する為に貸し出されたイギリス人官吏のひとりである。
   輸入品の三分の一は内陸に運ぶものと思われる。水陸両路にある駅で徴収される税と停滞時間は貿易
   業者には耐えられないもので、各駅の管理をあずかる小役人がソウルの政府に金を払い、全貨物の税
   を取り立て許可をもらうといういまわしい習慣がはびこっている。

  (ペリカン、ペンギン)
   当時は未だ李朝時代で、両班は労働を忌み嫌う習慣があり、官職に就けない両班の次男三男、似非両班が
   目的もなくただただ街を徘徊していた。
    李朝初期の両班の数は3%程度であったが、末期には70%近くが両班籍(売買による)であった。
   ペリカン、ペンギンも夥しい数であったに違いない。