老麗・美しく老いる

「美しく老いる」を余生の目標として、そのあり方を探る。

命をいただく

2008-11-05 00:12:27 | Weblog
「命をいただく」というと、
ヤクザ映画の台詞のようだが、
私達は日常的に「命をいただく」ことをして、
私達の命を繋いでいる。
とは言え、
ご飯をいただきながら「命をいただく」という感覚はしない。

二十年位前に、仕事で島根へ行ったことがある。
その時に、小さなガラス製の器に透明の小魚を
泳がせたものを御馳走になったことがある。
あれは宍道湖産の「シラウオ(白魚」の躍り食い」
と聞いたように記憶しているが、
どうだったのだろうか。

書物によれば躍り食いの小魚は、
シラウオとは別種のシロウオ(素魚)だと言うが。
「命をいただく」というよりも流し込んだので、
上手いとも不味いとも言い難かった。

 ホテルの夕食に「伊勢海老の活き造り」が出ることがある。
身は刺身にされていながらも大きな髭が動いている。
活き造りは、残酷だが直接的に「命をいただく」という気がする。

しかし、活き造りよりも頭の味噌汁の方が、私は好きだ。