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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

中神田十三ヶ町連合  内神田鎌倉町会

2015-05-10 15:40:40 | 宮入順

【町会の特徴】

天正18年(1590)に徳川家康は江戸城へ入り、「鎌倉町」の付近は江戸城の築城工事の際、資材の荷揚げ場となっていました。多くの材木石材が相模の国(現在の神奈川県)から運び込まれ、鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていました。そのため荷揚場が「鎌倉河岸」と呼ばれ、それに隣接する町が「鎌倉町」と名付けられたと言われています。

 

鎌倉町は400年以上の歴史がある江戸最古の町の一つです。

 

町内にある御宿稲荷神社は、小さいながらも江戸が都市化する以前から祀られている数少ない神社の一つです。

 

家康公がはじめて江戸に来たときに、一夜を明かした家の庭に祠があり、後に幕府より家康の足跡を記念して社地を寄進されたため、世に御宿稲荷神社の大神と祀られるようになりました。

 

町会の該当区域は内神田一丁目一番5〜91214号、5〜8番及び内神田二丁目1〜7、内神田三丁目1〜4となっています。

 

【神輿の特徴】

内神田鎌倉町会の神輿は朱色の飾網が美しい、25寸の大神輿です。昭和38年に宮本重義により作られました。

担ぎ手の緑色の半纏と神輿の鮮やかな対比をお楽しみ下さい。

綺麗な担ぎ方が当町会の自慢です。

 


中神田十三ヶ町連合 須田町一丁目南部町会

2015-05-10 15:20:43 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とほぼ同じ範囲でした。

江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があったと言われています。

現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。

 

かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭」という寄席がありました。

この寄席は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席の一つでした。

 

町会の該当区域は須田町一丁目57番地及び16~34番地までの偶数番地となっています。

 

【神輿の特徴】

須田町一丁目南部町会の神輿の大きさは他の町会と比べると小ぶりですが、彫刻の手の凝りようではどこにも負けないと思います。当町内には、老人病院があり、病院前で神輿を練るときは入院患者のご老人の方々をはじめ、病院スタッフにも大変喜ばれています。

 

 


中神田十三ヶ町連合 内神田美土代町会

2015-05-10 15:16:53 | 宮入順

【町会の特徴】

内神田美土代町会は、江戸時代は武家地と町人地でした。

武家屋敷としては五代将軍徳川綱吉の側近として活躍した柳沢吉保が屋敷を構えていました。その他、老中や若年寄を輩出した由緒正しい武家の屋敷が軒を連ねていたと言われています。

一方、武家屋敷だけではなく、商人や職人が住む町屋もありました。江戸時代の美土代町周辺は重要な武家屋敷地でありつつも、新たな風俗・流行を生み出すこともできる、懐の深い町でした。

 

町名の由来は、この周辺に伊勢神宮に捧げるための稲を育てる水田、「みとしろ」があったことに因んで生まれたものであるとも、「神田」を訓読みすると「みとしろ」になるため「美土代町」としたとも言われています。

 

昭和10年(1935年)の区画整理により、周辺が「美土代町」となりました。明治期の美土代町は、一~四丁目まである広大な町域を持っていましたが、時代を経るに従い、その範囲は狭くなっていきました。現在の千代田区神田美土代町が誕生したのは昭和22年(1947)のことです。

 

町会の該当区域は神田美土代町及び内神田一丁目2~4・12~15番地となっています。

【神輿の特徴】

宮入は総勢300名の担ぎ手により、賑やかに、楽しく担ぎ上げます。見物人の方々にも和気あいあいとした雰囲気が伝わると思います。

屋根唐破風型神輿の大神輿は、昭和28年、宮本重義の手により生まれました。特徴のあるデザインが魅力です。

 

 


中神田十三ヶ町連合 須田町中部町会

2015-05-10 14:55:55 | 宮入順

【町会の特徴】

須田町中部町会は「神田青物市場」発祥の地として有名です。

水運を利用して神田川沿いの河岸や鎌倉河岸から荷揚げされた青物が、15,000坪(約49500㎡)におよぶ広大なこの青物市場で商われていました。

 

江戸、そして東京の食生活を支え続けたこの市場は、昭和3年には秋葉原西北に、平成2年には大田区へと移転しました。

それでも、現在の須田町町内には、東京都の歴史的建造物に指定されるような老舗商店が数多く営業しています。

須田町は江戸から続く、活気あふれる商いの伝統が今だに息づく町です。

町会の該当区域は須田町一丁目2~14番地までの偶数番地となっています。

【神輿の特徴】

須田町中部町会の神輿は元祖女神輿です。

昭和52年から女性のみの女神輿を続けてきました。

女性ならではのきらびやかな神輿担ぎをどうぞ、御覧下さい。

 

 

中神田十三ヶ町連合 神田鍛治三会町会

2015-05-10 14:48:51 | 宮入順

【町会の特徴】

昭和8年に「鍋町北の大部分・鍛冶町北の一部・鍋町西横町の内の一部」等が統合して「神田鍛冶町三丁目」となりました。

 

この界隈が鍋町と呼ばれていた理由は、江戸幕府の御用鋳物師を務めていた、椎名山城が屋敷を構えていたためであると言われています。

鋳物師とは、鍋や釜をつくる職人のことです。他にも御腰物金具師や御印判師なども住んでいました。

 

鍋町に住んでいたのは、このような御用職人ばかりではありません。紅や白粉などの化粧品、傘、菓子、釘や打物などを扱う各種の問屋をはじめ、馬具や武具をつくる職人まで店を構えて住んでいました。

江戸時代、この界隈は鍋のような日用品から馬具や武器まで、多種多様な商品が揃う町でした。

 町会の該当区域は神田鍛冶町三丁目・内神田三丁目19~21番地となっています。

 

【神輿の特徴】

神田鍛治三会町会の神輿は浅草岡田屋製です。総勢350名の担ぎ手により宮入を行います。

宮入時の神輿振りに御注目下さい。大興奮間違いなしです。