植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

前田利常公の足跡を訪ねて ①小松城祉

2017-02-14 04:47:36 | 日記


小松市の観光スポットレポート(No.947)

◇前田利常公の足跡を訪ねて ①小松城祉

昨年10月1日に金沢観光ボランティアの会まいどさんの同期会、よるまっし16会の勉強会で「前田利常公の足跡を訪ねて」のテーマで小松市内、那谷寺ほかを巡りレポートします。
今年1月7日に補足取材した。

■写真は本丸石垣遺構



■写真は小松城縄張り図



1)小松城址の天守台

天正4年(1576)に加賀一向一揆方の若林長門守によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。江戸時代になると加賀藩領となるが、元和元年(1615)に一国一城令で廃城となる。

寛永16年(1639)、2代藩主前田利常の隠居城という名目で再築、しかし大規模な水堀を廻らし、築島を配するという新城建設に似た大規模なものとなった。完成した城域は金沢城の約2倍の規模を誇る。利常の死後は加賀藩金沢城の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎え、明治5年(1872)廃城となる。



小松城の縄張りは本丸、二の丸を堀で囲み、その周囲に三の丸、枇杷島、中土居、芦島の四郭、さらにその周囲に牧島、愛宕、後三の丸、竹島など六郭を巡らせ、巨大な湖沼に浮かぶ12の島を石橋、木橋で連結した全国でも珍しい「浮き城」だった。

本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。

■写真は天守台



■写真は天守台と石垣遺構の図



■写真は小松城縄張りを現在地図に合わせたもの





■写真は小松高校校庭の本丸碑と正門

(つづく)