植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の夏‐9 大友楼、板屋本店、他市内

2018-08-03 04:04:22 | 日記


金沢の観光スポットレポート その938(No.1347)

◇金沢の夏‐9 大友楼、板屋本店、他市内

〇大友楼

創業天保元年(1830年)年老舗料亭。加賀藩の御膳所として勤め、その儀式料理や郷土料理を今に伝える。食材から器にいたる全てを地元の食材や伝統工芸品にて盛り、金沢がいっぱいつまったコース料理を得意としている。

住所:金沢市尾山町2-27









■写真は大友楼

□ホームページ
http://www.ootomorou.co.jp/%e6%96%99%e4%ba%ad%e5%a4%a7%e5%8f%8b%e6%a5%bc/



〇板屋本店

創業昭和21年(1946)。昭和26年(1951)現在地に移転。現在三代目。素材に強いこだわりを持ち、手作りで味を追求。
住所:金沢市尾山町10-18



■写真は板屋本店





■写真は四高記念公園











■写真は円光寺ロータリー





■写真は円光寺





■写真は山科

撮影日:2018.7.22 - 26 - 27

(つづく)

金沢の夏‐8 黒門緑地、浅田屋、森八近江町店

2018-08-02 04:15:36 | 日記


金沢の観光スポットレポート その937(No.1346)

◇金沢の夏‐8 黒門緑地、浅田屋、森八近江町店

〇黒門緑地

この黒門前緑地は文字通り金沢城の北西の黒門(今はその跡のみ)の前にある緑地で、大手堀の西側にあたります。また,この地は豪姫(加賀藩祖・前田利家の四女)の住居跡でもある。

■写真は黒門緑地



ここは平成7年(1955)まで金沢地方検察庁検事正官舎の敷地であった。平成13年(2001)官舎の一部と,その土塀を廻らす屋敷構えを保存するとともに、アドレナリン、タカジアスターゼ創製で世界的に知られる高峰譲吉博士ゆかりの家屋を移築し、公園として整備したものです。









■写真は元金沢地方検察庁検事正官舎(高峰譲吉家屋を移転)



〇豪姫住居遺址

豪姫は天正2年(1574)加賀藩祖・前田利家とお松の方との四女として誕生したが、豊臣秀吉の養女となった。後に岡山城主・宇喜多秀家に嫁ぎ,備前の方と称される。

慶長5年(1600)関ヶ原の合戦に破れた秀家は徳川家康により八丈島に流され、豪姫は金沢に帰る。三代藩主利常より粧田四千五百石を与えられ、このあたりで居住したと文献は伝えている。
寛永11年(1634)5月23日豪姫はこの地で60年の生涯を閉じた。豪姫の人生の半分は両親ゆかりの金沢で過ごしたといってよい。

■写真は豪姫住居遺址

□豪姫菩提寺「大蓮寺」紹介ページ(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました)



〇浅田屋

慶応3年(1867年)に創業の数寄屋造りです。風趣な坪庭を眺め、静謐なお部屋で金沢の情感を満喫でき、吟味された調度類や器に、旬の魚介、甘海老、カニ、山の幸など、お客様の嗜好に添った四季折々の素材を盛り込んだ加賀料理をご堪能できる。

住所:金沢市十間町23





■写真は浅田屋

□浅田屋ホームページ




〇森八 近江町店

城下の大火で藩主より替え地を命ぜられた八左衛門は尾張町に移り、寛永2年(1625)に菓子屋を創業。藩主より江戸表に召された3代目八左衛門は、藩主利常の創意により小掘遠州の筆になる「長生殿」の三字を原型とした名菓長生殿を世に生み出した。 

住所:金沢市下堤町17-1





撮影日:2018.7.27

(つづく)

金沢の夏‐7 尾崎神社

2018-07-31 04:09:29 | 日記


金沢の観光スポットレポート その936(No.1345)

◇金沢の夏‐7 尾崎神社

□尾崎神社の概況

寛永17年(1640)、加賀藩四代藩主前田光高公が東照権現勧請を幕府に願い出て許可を得て金沢城内北の丸に造営を始めた。その間、ご神霊を上野寛永寺から勧請し同寛永20年(1643)9月に東照権現社が落成し鎮座祭が執行された。朱塗りの社殿には徳川家康の紋が散りばめられ、金沢城の江戸、北陸の日光と呼ばれ崇められた。



■写真は山門



明治7年(1874)に社名を金沢東照宮からご祭神に天照大神と加賀藩三代藩主の前田利常公を加え、尾﨑神社に改称するとともに、城域が陸軍省の所管となり明治8年(1875)に移転することとなり明治11年(1878)旧加賀藩御算用場であった現在地に移った。

■写真は北の丸にあった金沢東照宮(御城中壱分碁絵巻・横山隆昭蔵)

昭和25年(1950)社殿が国の重要文化財に指定され今日に至っている。







■写真は拝殿



■写真は拝殿扉の三つ葉葵紋所




○御神祭
天照大神 源朝臣家康 菅原朝臣利常

○重要文化財

・本殿 - 江戸時代初期(1643年)建立
・中門 - 江戸時代初期(1643年)建立
・透塀 - 江戸時代初期(1643年)建立、
・拝殿及び幣殿 - 江戸時代初期(1643年)建立



■写真は幣殿



■写真は狛犬







■写真は稲荷神社

金沢の神社めぐり2015!③ 尾崎神社-Ⅱ

金沢の神社めぐり2015!③ 尾崎神社-Ⅱ

撮影日:2018.7.27

(つづく)

金沢の夏‐6 兼六園②

2018-07-30 02:51:33 | 日記


金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)

◇金沢の夏‐6 兼六園②

○兼六園の概要

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。2015年度の兼六園入場者数17年度279.9万人(前年比96%%)であった。

■写真は鶺鴒島



■写真は龍石





■写真は霞が池のユズリハ



■写真は黄門橋



■写真は獅子岩



■写真は虎石





■写真は山査子の実



■写真は噴水





■写真は三芳庵前の鬼百合



■写真は翠滝



■写真は瓢池中島のギボシ



■写真は瓢池

撮影日:2018.7.12 - 20

(つづく)

金沢の夏‐6 兼六園①

2018-07-29 04:54:31 | 日記


金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)

◇金沢の夏‐6 兼六園①

○兼六園の概要

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。2015年度の兼六園入場者数17年度279.9万人(前年比96%%)であった。

■写真はことじ灯篭



■写真は霞が池



■写真は唐崎松





■写真は玩月松と月見灯篭



■写真は雁行橋(亀甲橋)





■写真は宝来島(頭を表す部分が倒れている)



■写真は七福神山



■写真は枯れて伐採された兼六園菊桜二代目(手前が三代目)





■写真は今年が最後となった兼六園菊桜二代目(4/27撮影)





■写真は明治記念標

撮影日:2018.7.12 - 20

(つづく)

金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡②

2018-07-28 03:58:47 | 日記


金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)

◇金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡②

○長町の由来

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。





■写真は長町武家屋敷跡





■写真は鏑木商店本店







■写真は鏑木商店木未庵



■写真は大野庄用水





■写真は木船神社

撮影日:2018.6.22 - 7.7

(つづく)

金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡①

2018-07-27 04:26:08 | 日記


金沢の観光スポットレポート その935(No.1344)

◇金沢の夏‐5 長町武家屋敷跡①

○長町の由来

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができます。

■写真は鞍月用水













■写真は鞍月用水沿いのショップ



■写真はもんょうのいけす?



■写真は金沢職人大学校長町研修塾

撮影日:2018.6.22 - 7.7

(つづく)

金沢の夏‐4 尾山神社、大和、「若冲と光瑤」

2018-07-25 04:38:43 | 日記


金沢の観光スポットレポート その934(No.1343)

◇金沢の夏‐4 尾山神社、大和、「若冲と光瑤」

○尾山神社 夏越(なごし)の大祓

「大祓式」は古来よりとても大事な神事とされており、奈良時代から現在に至るまで綿連と続けられております。

新年には瑞々しく張りのあった「気」がだんだん枯れていくことを「気枯(きが)れ」つまり穢(けが)れと古代の人は考えていました。現在は、年に2回(6月末の夏越の大祓式、12月末に年越の大祓式)が行われ、半年の間に知らず知らず身についた罪穢(つみ、けがれ)を祓います。尾山神社の夏越の大祓いでは「茅(ち)の輪」を境内に設置しております。

■写真は尾山神社



茅には水を浄化する作用があり、身を清める意味があります。これをくぐると災いを避けることができると言われています。(尾山神社パンフレットより)



■写真は尾山神社おついたち参り





■写真は尾山神社夏越(なごし)の大祓





■写真は大和での警察音楽隊交通教室



石川県立美術館開館35周年記念「若冲と光瑤~伊藤若冲とその画業に魅せられた石崎光瑤の世界~」が開催された。江戸期の文化の高さに感激した。



〇伊藤 若冲(じゃくちゅう)
正徳6年(1716) ~ 寛政12(1800)は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。



■写真は「若冲と光瑤」石川県立美術館開館

□ホームページ

撮影日:2018.7.1 - 6 - 16 

(つづく)

宗桂会館を訪ねる。-2

2018-07-24 04:13:05 | 日記


金沢の観光スポットレポート その933(No.1342)

◇宗桂会館を訪ねる。-2

〇加賀象嵌とは

加賀象嵌は16世紀末、加賀を支配した前田家が京都方面から技術を導入してこの地で発展してきた、武家に必須の装剣金具や馬具の鐙などに代表される、華麗で洗練された意匠感覚をもつ装飾性豊かな金工です。

象嵌とは金属素地をたがねで掘り下げ、そこに別の金属を嵌めて打ち込むことで文様表現を行う技法で、鍔などの装剣具を専らとする白銀師と、馬具である鐙の象嵌鐙の象嵌を行う鐙師の二系統がありました。とりわけ鐙象嵌では、堅牢精緻な平象嵌の技法と、豪華で卓越した文様の面白さや多様さが高く評価されました。

■写真は加賀象嵌展示室



〇丸宗桂会館

金沢製作所内に石川の伝統工芸「加賀象嵌(かがぞうがん)」と日機装の先端技術を展示、紹介する宗桂会館があります。この展示館では、加賀象嵌作品の展示や、その制作工程の説明がされているほか、日機装の主な製品やシステムを紹介しています。

■写真は加賀象嵌の歴史



〇名前の由来

日機装の創業者 音 桂二郎の曾祖父「初代 山川孝次」、祖父「二代 山川孝次」 の号「北宗斎」「宗斎」に由来する『宗』と、桂二郎の『桂』から、『宗桂会館』と名づけられています。

■写真は銀象嵌万字文鐙(かがぞうかんまんじもんぶみ:江戸期)



■写真は刀の鍔(つば:明治期)



■写真は世界の象嵌

□宗桂会館ホームページ
http://www.soukeikai.or.jp/outline/index.html

所在地:石川県金沢市北陽台3-1 金沢テクノパーク 日機装金沢製作所内
開館時間:午前10時~午後4時(入館受付は午後3時半まで)
電話番号:076-257-4277 (宗桂会事務所)
休館日:年中無休
入場料:無料



■写真は象嵌の工程

(つづく)

宗桂会館を訪ねる。-1

2018-07-23 04:29:34 | 日記


金沢の観光スポットレポート その932(No.1341)

◇宗桂会館を訪ねる。-1

6月24日(日)石川県ウオーキング協会の「アジサイ寺と宗桂会館を訪ねて」をJR森本駅発着にて参加者した。

■写真は宗桂会館外観



日機装株式会社は、創業者 音桂二郎により、加賀象嵌の振興発展をもって地域産業の基盤強化と伝統文化の向上に寄与することを目的として、公益財団法人宗桂会を金沢の地に平成5年に創立しました。財団発足以来、加賀象嵌技法の後継者育成、金工技術の発展普及のため、数々の啓発事業などを進めています。

音桂二郎は加賀象嵌の名門、山川孝次家の系譜にあって、戦後いち早くハイテク産業を興した技術者として、自らのものづくりの原点と矜持を精緻な加賀象嵌の技に見出していました。

日機装金沢製作所開所に際し、日本の誇るべきこの技の継承発展を図り、これを次世代に伝えるための活動を展開するために財団を発足させました。

■写真は中廊下



加賀象嵌の仕事が見せる華麗な創造美の世界は、極めて精緻な技をひたすら丹念に磨くことによってのみ生まれ出るものであり、それはまた日機装が独創的な技術によって特徴あるさまざまな製品を生産することにより、社会に貢献していこうとする基本姿勢とも相通じるものがあります。

■写真は日揮装の展示室





■写真は透析の歴史と初号機



■写真は高圧無漏洩往復動ポンプシステム



■写真は電子部品製造システム





■写真はジェット機の逆噴射(炭素繊維強化プラスチック)

(つづく)

一乗山 本興寺(ほんこうじ)-2(完)

2018-07-22 04:10:44 | 日記


金沢の観光スポットレポート その931(No.1340)

◇一乗山 本興寺(ほんこうじ)-2(完)

6月24日(日)石川県ウオーキング協会の「アジサイ寺と宗桂会館を訪ねて」をJR森本駅発着にて参加者した。



本興寺には多くのアジサイが植えられていますが、このアジサイは本興寺の檀家の人が一人で25年前から植えているそうで2013年時点では約10種類2700株になっている。



住職:中谷聰秀(第50世)
住所:金沢市薬師町ロ75
TEL:096-258-1541

■写真は仏殿(中)



bord

■写真は仏殿(右)



■写真は日像菩薩加賀巡教の櫂(かい)

今年のアジサイは冬の雪で枝が折れたりして花の咲き方があまりよくないとのこと。











■写真はアジサイ

(つづく)

一乗山 本興寺(ほんこうじ)-1

2018-07-21 04:35:21 | 日記


金沢の観光スポットレポート その930(No.1339)

◇一乗山 本興寺(ほんこうじ)-1

6月24日(日)石川県ウオーキング協会の「アジサイ寺と宗桂会館を訪ねて」をJR森本駅発着にて
参加者した。

〇本興寺概要

本興寺は、石川県金沢市薬師町ロにある日蓮宗の寺院。山号は一乗山。旧本山は京都立本寺、潮師法縁。北陸における日蓮宗の古刹の一つ。金沢市指定文化財の木造日蓮聖人坐像附胎内舎利塔を安置する。

南北朝時代に日像門流の乗運の開創と伝わる。永和年間(1375年-1379年)又は康暦2年(1380)頃という。

木造日蓮聖人坐像附胎内舎利塔 文明4年(1472年)仏師祐俊が制作、収恩、実有、堅乗の3名によって寄進された。石川県内の日蓮聖人像としては羽咋市妙法寺の像(康正2年(1456))に続き2番目に古い。祖師堂安置。

■写真は山道



■写真は浄行堂



■写真は水子堂



■写真は山門



■写真は本堂











■写真は本堂祖師堂(奥)

(つづく)

珠姫の菩提寺 天徳院‐2

2018-07-19 04:29:21 | 日記


金沢の観光スポットレポート その929(No.1338)

◇珠姫の菩提寺 天徳院‐2(完)

〇珠姫さま略伝

珠姫さまは、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長4年(1599)三月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女として生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。

同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き軍勢を集めて前田を攻めようとした。この情勢を聞いた利長公はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむなく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り代わりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを約束した。



■写真は茶室



慶長6年(1601)姫さま3歳のとき加賀の国へお輿入れになり14歳で結婚、その後10年間に3男5女を立派に育てられた。珠姫さまは利常公の妻として、将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心を尽くされたが、元和8年(1622)春、夏姫出産後7月3日になくなられた。御歳24歳であった。

その年の8月8日、城外小立野の地で荘厳に葬儀が行われ、遺骨を金沢と高野山に分骨して各に一寺を設け、戒名の「天徳院殿乾運淳貞大禅定尼」にちなんで、いずれの寺院も天徳院と称した。

■写真は抹茶と乾菓子(税込み500円)



珠姫さまの生涯は加賀百万石の危機を救いその繁栄に尽くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として今も金沢市民に敬愛され親しまれている。(天徳院ホームページより)

■写真は庭園



〇見どころ

本堂の一角に再現した御殿を舞台に、木偶師八代目玉屋庄兵衛氏が伝統の手法と新しい技術
で実現した「からくり人形」があり、六体のからくり人形が演じるドラマは金沢城の歴史の
一コマを覗かせてくれます。また、茶室の庭は黙照禅庭と呼ばれ、回遊式庭園となっています。

■写真は一枚石の橋









■写真は庭園





■写真は金龍稲荷大明神



■写真は天徳院境内(グーグルマップより)

□天徳院紹介ページ1(植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました。)

□天徳院紹介ページ12植ちゃんの金沢いしかわに恋をしました。)

□天徳院ホームページ


撮影:2018.7.1

(天徳院完 つづく)

玉姫の菩提寺 天徳院‐1

2018-07-18 04:27:28 | 日記


金沢の観光スポットレポート その928(No.1337)

◇玉姫の菩提寺 天徳院‐1

〇天徳院概要

金龍山(きんりゅうざん)天徳院は曹洞宗の寺院。元和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。

■写真は総門



寛文11年(1671)珠姫(天徳院殿)の遺骨は天徳院境域より野田山に改葬された.元禄6年(1693)五代藩主綱紀公は四代藩主光高公50回忌供養のために、親交の深かった明(中国)の僧、黄檗宗五代管長高泉和尚に委嘱して着工から10年の歳月を要して天徳院の全堂宇をすべて明朝式に造営建築した。

明和5年(1768)に山門、総門、御霊堂、宝蔵などを残して本堂、庫裡その他多くの講堂を焼失した。現在は山門を残すのみである。明和6年(17年度69)12月には、十代藩主重教公がわずか70日間の突貫工事で本堂、庫裡などを再建した。(天徳院ホームページより)

明治12年(1879年)には諸岳奕堂(もろたけえきどう、總持寺独住第1世)が住職に就任。大正4年(1915年)には森田悟由(永平寺貫首、曹洞宗管長)が住職に就任。大正12年(1923年)には関東大震災から避難した室生犀星が滞在している。

■写真は総門左のタブノキ



明和5年(1768)2月天徳院は火災によって多くの諸堂をうしなった。しかし、山門だけは免れ、元禄6年(1693)建立当時ののままの姿を残している。山門の仁王尊像、は天台宗のある寺院にあったものを建立時に移されたと伝えれいる。山門上には十六羅漢が祀られている。

山門元禄6年(1693年)建立の二重門。屋根は当初は鉛瓦で葺かれていたが、財政悪化のため通常の瓦に交換された。

■写真は総門右の出世地蔵尊





■写真は山門



■写真は山門より本堂



■写真は本堂仏殿







■写真は鎮守堂



■写真は鎮守堂の天狗

ご本尊:釈迦牟尼仏
住職:荒井 源空

文化財:
・羅?羅像 - 木造、江戸時代
・見返阿弥陀立像 - 木造、江戸時代
・梵鐘 - 1863年作

拝観料:大人500円、中人300円、小人200円
拝観時間:3月~11月9:00~16:30(受付16時まで)12月~2月9:00~16:00(受付15時30分まで)

□天徳院ホームページ

撮影:2018.7.1

(つづく)

卯辰山公園花菖蒲園2018‐8(完)

2018-07-17 04:17:49 | 日記


金沢の観光スポットレポート その927(No.1336)

◇卯辰山公園花菖蒲園2018‐8(完)

金沢市街を一望する卯辰山公園内にある花菖蒲園は金沢400年を記念して昭和57年(1982)に造園された。
花菖蒲は、日本古来の植物で古くから梅雨に咲く花として親しまれているもので年々品種改良が進められてきました。その系統には江戸時代中期から江戸を中心に改良されてきた品種群を江戸系、伊勢松坂地方で発達した品種を伊勢系、幕末のころ江戸の花菖蒲が熊本に運ばれて改良されたものを肥後系と呼んでいますが、今日各派系統間の交配を行い多種多様な花菖蒲が見られます。(園内看板より)

41)スプリルグレーク



42)エンチャングティングメロディ



分類:アメリカ系。くすんだやや小豆色を帯びるピンクの平咲き中輪。

43)玉堂



44)昇仙峡



分類:肥後系。平咲きもしくはやや垂れた平咲きで、六英の肥後系品種。

45)児化粧(ちごけしょう)



分類:肥後系。垂れ咲き六英花です。

46)伊勢舞子



分類:伊勢系。紫に白筋の入る花径14cmほどの三英中輪。前田七郎氏作。

47)爪紅(つまべに)



分類:長井系。少し垂れ気味の平咲き三英花。

昨年は満開を過ぎてしまったので、今年は早めに2日間撮影した。咲く時期の違いで、47品種の花菖蒲を撮影できた。来年は撮影日を3~4日行い更なる品種撮影に挑戦したい。



□花菖蒲図鑑のホームページ(参考)

□加茂花菖蒲園のホームページ(参考)

撮影:2018.6.16

(卯辰山公園花菖蒲園2018 完))