「憲法改正の政治術」田中良紹 / 憲法96条改正が動き出した 民主党は分裂、朝日新聞は迷走する

2013-04-15 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

憲法改正の政治術
田中良紹の「国会探検」2013年4月9日 0時37分
 スティーブン・スピルバーグ監督のハリウッド映画「リンカーン」を観た。スピルバーグが作る映画と言えば娯楽性の強い作品を想像するが、これは奴隷制を廃止する憲法改正が成立するまでの28日間の議会審議に焦点を当てた政治映画である。政治のリアリズムに関心がある方には面白いだろうが、政治を理想化して考えるタイプの人間には退屈かもしれない。
 映画ではリンカーンを理想化するために語られてきた幼少時代の丸太小屋生活も、リンカーンが大統領に就任した事で始まった南北戦争も、南軍が支配する地域の奴隷解放を命じた奴隷解放宣言も、「人民の人民による人民のための政治」で有名なゲティスバーグの演説もほとんど出てこない。
 描かれるのは奴隷制を廃止する憲法修正第13条を成立させるため議会で駆け引きを繰り返すリンカーンの政治術と、政治に没頭するリンカーンへの不満からヒステリーを起こす妻や父親に反抗する息子などとの苦悩に満ちた家庭生活である。
 南北戦争は、奴隷労働に支えられた農業中心の南部諸州が綿花を輸出するため自由貿易を主張したのに対し、工業化を推進するため奴隷ではない流動的な労働力を必要とした北部が自国の工業製品を保護貿易で守ろうとして始められた。連邦議会で奴隷制存続を主張したのは民主党、奴隷制反対を主張したのが共和党である。
 リンカーンは、南北戦争に勝利しても奴隷制廃止を憲法に盛り込まなければ奴隷制はなくならないと考え、憲法改正を目指す。しかしアメリカ合衆国憲法は上院、下院とも改正に三分の二以上の賛成が必要な「硬性憲法」である。南北戦争が開始されて3年目の1864年春、修正案は連邦上院を通過するが、連邦下院では共和党が賛成、民主党が反対して三分の二を集める事は出来なかった。
 戦況は次第に北軍に有利となるが、国民は長く悲惨な戦争に嫌気を感じ始めている。リンカーンは戦争が終わってしまえば全州で奴隷制を廃止する事は難しいと考え、翌65年1月、連邦議会に再び憲法改正を促す。映画はそこからの28日間を描き出す。
 民主党と中間派の賛成を得なければ三分の二を超えることは出来ない。戦争の終結も憲法改正にはマイナスに働く。リンカーンは反対派の議員を個別に説得する作業を始める。論理で説得するだけではない。大統領には恩赦、選挙資金の配分、議員本人や親族・友人を政府の要職に就ける人事権などがある。そうした手段を使って反対派の切り崩しを進めた。政治を理想化する人間は「買収」と「供応」の政治を否定するだろうが、人類の未来のためにはありとあらゆる手段を使うと考えるのが政治家リンカーンである。
 また急進的奴隷廃止論者が、白人と黒人の完全な人種平等を唱える事にリンカーンは反対する。それが正論であっても、中間派の議員たちを反対派に追いやる危険性があり、憲法改正にはマイナスに働く。実際、反対派は賛成派に急進的な発言をさせて反対票を増やそうと画策していた。そこで急進派には年来の主張を抑えさせ、「法の下での平等」だけを言わせて中間派の取り込みを図る。
 こうして憲法改正の投票当日を迎えるが、連邦議会には南部の和平交渉団がワシントンに到着したとの噂が流れる。それが事実であり南北戦争が終結する事になれば、憲法改正作業など吹き飛んでしまう。和平交渉団の到着を問われたリンカーンは断固として否定する。しかし実際には和平交渉団がワシントン近くに到着していた。到着を事前に知ったリンカーンが市内ではない場所に誘導していたのである。奴隷解放の大義のための嘘であった。
 反対から賛成に回った議員が選挙民から批判されないよう、議会では十分な弁明の機会が与えられ、5名の民主党議員が賛成して憲法修正第13条は三分の二を超える賛成で成立する。リンカーンの巧みな政治術でアメリカ政治は世界史に残る決断を下したのである。
 戦後アメリカによって作られた日本国憲法はアメリカと同様に衆参両院の三分の二の賛成を必要とする「硬性憲法である。国家の最大規範である憲法は通常の法律より厳格な手続きで行うべきだと考えるからである。ところが安倍政権が誕生するや、それを変えようとする動きが活発化している。 「硬性憲法」を規定している憲法96条を改正しようというのである
 次の参議院選挙の争点にしようとする発言も相次ぐが、そうした動きの政治家たちは本当に政治の本質を理解しているのかと疑いたくなる。通常の法律と同様の手続きで憲法を変えられる事になれば、政権交代のたびに国家の最大規範を変更する事が可能となる。それで国家の安定は保たれるのであろうか。それとも日本を再び政権交代のない国に戻そうとでもするのだろうか。
 私は現行憲法を変えるべきだと考える憲法改正論者である。しかし政治家が政治の努力を放棄する96条改正には反対である。私が変えるべきだと考えるのは、衆参の「ねじれ」を生み出す憲法の規定である。通常の法律を成立させるのに参議院が否決すれば再議決に衆議院の三分の二の賛成が必要とされる。普通の法律なのに憲法並みの厳格な手続きが求められているのである。
 一方で総理大臣は衆議院の過半数の賛成で選出される。間接的ながら国民の過半数の支持で就任した国家のリーダーが、成立させたいと願う政策を参議院で否決されると国家の最大規範を変えるのと同じ努力を求められるのは合理的でない。法案は三分の二ではなく過半数で再議決できるようにすべきである。それが日本政治の停滞を招かない方法でもある。
 しかし憲法改正を三分の二ではなく過半数で可能にするのは話が違う。世界のどの国でも憲法改正は厳格な手続きの下に行われる。ただし日本にはかつて特殊な事情があった。55年体制時代の社会党は決して過半数の候補者を選挙に擁立せず、従って初めから政権交代を放棄して、代りに憲法改正を阻止できる三分の一を獲得する事を選挙の目標とした。結果、与野党が政権を巡ってしのぎを削るのではなく、憲法改正を巡ってしのぎを削るという他の民主主義国とは異質な構造が作り出された。
 しかしそうした時代は冷戦と共に終わり、今や日本にも政権交代の政治が到来した。まだ始まったばかりなので初めて権力を握った民主党は官僚操縦に失敗したが、しかしだからと言って日本が55年体制の構造に戻ることはありえない。「三分の一の反対で憲法改正が出来ない」などと嘆くのは、55年体制の過去のトラウマに取りつかれ、自らの政治術で政治を動かす自信のない情けない政治家の泣き言なのである。
 映画の原作はD.K.グッドウィンの『チーム・オブ・ライバルズ』で、リンカーンが自分の政敵(ライバル)を遠ざけるのではなく、自由に意見を述べ合い、また政権に招き入れて国家分裂の危機を乗り切った政治手腕を主題にしている。本には「政治の天才リンカーン」という副題もついているが、安倍政権の未熟な対米交渉を見せつけられ、また憲法改正のための政治技術を放棄する話を選挙争点にするなどと言われると、つくづく日本の政治は以前に比べて幼稚化していくように思われる。
田中良紹|ジャーナリスト
----------------------
憲法96条改正が動き出した そして民主党は分裂、朝日新聞は迷走する
産経新聞2013.4.14 18:00 [高橋昌之のとっておき]
 日本維新の会が3月30日の党大会で策定した綱領に、憲法改正を盛り込んだことをきっかけに、憲法改正論議、とくに第一弾としての96条改正が一気に現実味を帯びてきました。
 憲法改正は衆参各院の3分の2以上の賛成で発議されます。現在の参院の勢力では発議は不可能な状況ですが、参院選後は日本維新の会が勢力を大幅に拡大することが予想され、他党議員も含めると96条改正に賛成する議員が3分の2以上になる可能性が高まったためです。
 自民、維新両党などは96条の改正について、発議要件を「3分の2」から「2分の1」以上の賛成に緩和することを打ち出しています。憲法改正をめぐっては、9条など他の条文も含めると、憲法改正賛成派の間でもさまざまな意見が出てまとまらない可能性がありますが、96条の改正一点に絞ればまとまることができます。
 これを受けて、各党の動きも本格化しました。自民党は参院選前、つまり今国会に96条改正案を提出することを検討し始めました。野党でも民主、維新、みんなの3党有志議員による「96条研究会」が勉強会を重ねていますし、与野党を超えた超党派の「憲法96条改正を目指す議員連盟」も活動を再開します。
 「護憲」を掲げる社民、共産両党は当然、反対ですが、党内がもめて醜態をさらしているのが民主党です。民主党は10日、憲法調査会を開き、96条改正が議論になりましたが、枝野幸男元官房長官は「憲法を変える以上はこの程度(衆参各院の3分の2以上)のコンセンサスが必要だ」と改正反対を表明、これに対し、長島昭久前防衛副大臣は「改憲政党を前面に出し、96条は改正すべきだ」と主張するなど、党内の意見は真っ二つに割れています。
 この状況では、民主党が憲法改正について明確な見解を示すことはできないでしょう。現に2月の党大会で結党以来ようやく策定した綱領でも、憲法については「国民とともに未来志向の憲法を構想していく」としただけで、改正するのかしないのかは明確にしませんでした。
 この民主党の体たらくがあらわになったのが、6日に放送された「ウェークアップ!ぷらす」でした。番組には自民党から高市早苗政調会長、民主党から細野豪志幹事長、維新から橋下徹共同代表が出演し、憲法改正がテーマになり、高市、橋下両氏は憲法改正に本格的に取り組むことで一致しました。痛快だったのは橋下氏の細野氏に対する突っ込みでした。
 橋下氏「民主党さんは結局、(憲法を)改正するんですか、どうなんですか」
 細野氏「私どもは憲法提言をまとめている」
 橋下氏「じゃあ改正するんですね」
 細野氏「前向きにそうしたことについて議論して方向性を出すことについては、基本的に方向を出しています」
 橋下氏「民主党は改正するかどうか絶対に言わないんですよ。改正のための議論ですか、議論のための議論ですか」
 細野氏「もちろん改正のための議論です」
 橋下氏「じゃあ改正するんですね」
 細野氏「改正するかどうかっていうのは中身なんです」
 橋下氏「これはね、(民主党は)絶対(憲法改正を)言いません(笑)。国民の皆さん、ここを見ていただきたいんです。僕らは改正。中身は国民の皆さんと議論しますけど、改正はやらなきゃいけない。しかし、民主党さんはそれを絶対に言い切りません」
 私だけでなく、この番組を見たほとんどの方には、橋下氏の「圧勝」と映ったことでしょう。普段は能弁な細野氏が口ごもってしまうのは、民主党内の意見がまとまっていないからに他なりません。
 しかし、参院選で憲法改正とくに96条を改正するかどうかが大きな争点になるのは必至で、民主党が憲法改正について見解をまとめられないまま参院選に臨んだら、大敗北を喫するのは明らかです。選挙戦で先ほどのような議論になれば、「民主党はいまだに何を目指す政党なのか分からない」となって、さらに支持を失うでしょうから。
 また、民主党には「党が見解をまとめられなくても、自分は憲法改正賛成を主張する」という候補者も多くいますから、民主党は参院選で憲法改正に「賛成」か「反対」かをめぐり「分裂選挙」になると予想されます。
 そして、参院選後は憲法96条改正案が本格的に審議されますから、それをめぐって民主党は分裂すると見ています。私はこのコラムで「党の理念や基本政策で一致できない民主党は分裂すべきだ」と何度も書いてきましたが、いよいよ憲法という政治の根幹をめぐって民主党が分裂し、憲法改正の「賛成派」と「反対派」に割れてそれぞれの道をゆくなら、分かりやすくなって大いに結構なことです。もう上辺だけの「結束」はやめてほしいと思います。
 ここまで原稿を書いていたところで、朝日新聞11日付朝刊の天声人語を呼んで呆れました。私には到底理解不能な摩訶不思議な論理展開、内容だったからです。以下、要点を抜粋します。
 「常識的な見解である。日本維新の会の橋下共同代表が9日、自らの憲法観を語った。『憲法というのは権力の乱用を防ぐもの、国家権力を縛るもの、国民の権利を権力から守るものだ。こういう国を作りたいとか、特定の価値を宣言するとか、そういう思想書的なものではない』『きちんとした憲法論を踏まえなければいけない。国会での議論を聞いていると大丈夫かなと思う』。その通りだと思いつつ新たな疑問が湧く。憲法改正を進める点では同じ自民党の憲法観と橋下氏のそれは相いれないのではないか」
 と疑問を提起し、「自民党は憲法で何かと国民を縛りたがる。家族は互いに助け合えなどと個人の領域に手を突っ込みたがる。こうしたそもそも論の違いを残したまま双方が改憲で手を組むというなら、質(たち)の悪い冗談というほかない」と断じました。
 要は「護憲」の朝日新聞としては、憲法改正の発議を容易にする憲法96条改正には反対だから、同条改正で維新は自民党と協力すべきではないと言いたかったのだと思います。それならそれで、なぜそうはっきり書かないのでしょうか。それにこの天声人語の筆者には3つの大きな認識の誤りがあります。
 第一に、橋下氏の憲法改正に対する主張の認識に対する誤りです。橋下氏は「まず衆参各院の3分の2以上の賛成という高いハードルを規定し、憲法改正の議論を『改正するための議論』ではなく『議論のための議論』に封じ込めてきた96条を改正して、2分の1以上の賛成に変えよう。そのうえで各党がそれぞれの憲法改正案を示し、国民とともに真剣に憲法改正を議論しよう」という考え方です。
 維新はまだ憲法全体の改正案をとりまとめていませんが、まずは憲法96条を改正して発議要件を緩和し、「改正のための議論」に踏みだそうというのが、橋下氏の主張です。そこをこの天声人語は理解していません。
 第二に、自民党の憲法改正案に対する認識の誤り、表現の不適切さです。「自民党は憲法で何かと国民を縛りたがる」としていますが、自民党案をきちんと読んだのでしょうか。確かに自民党案は「国民の義務」をいくつか盛り込んでいますが、私はおおむね妥当な内容だと思いますし、義務規定が少ない現行憲法の方が問題で、それが現在の日本社会の秩序の乱れにつながっていると考えます。
 一方、自民党案は現行憲法の基本的人権の尊重や思想、信教、表現などの自由は保障しており、「何かと国民を縛り付ける」という表現は不適切で正確さを欠いています。
 第3に、「憲法のそもそも論の違いを残したまま手を組むというなら、質の悪い冗談というほかない」としていますが、これは自民党と維新の憲法改正に対する考え方に認識の誤りがあるうえ、96条改正の意義が全くわかっていない見解です。
 維新はこれから憲法全体の改正案を検討していくことになりますが、私が取材している限り、改正内容の方向性は自民党とかなり近いものがあります。「そもそも論の違い」はありません。
 また、仮に「そもそも論」の違いがあったとしても、96条の改正で一致することは「質の悪い冗談」などではありません。現行憲法が96条で改正の発議要件について「衆参各院の3分の2以上の賛成」という政治的に極めて高いハードルを課してきたために、これまで一度も改正が発議されてこなかったのです。
 そのため、いくら国会で憲法論議が行われても「机上の空論」にしかならず、結果として国民も憲法に関心がなかったわけです。その発議要件を「衆参各院の2分の1以上の賛成」に緩和すれば、日常的に憲法改正が発議されることになります。発議された後は国民投票が行われ、国民が決めるのですから、憲法がやっと「国民のもの」になるのです。96条改正はそれほど意義のあるものなのです。
 このように憲法96条改正の動きを「質の悪い冗談」とちゃかした言葉で批判したこの日の天声人語こそ、「質の悪い冗談」だと思います。現在の憲法を一言一句変えるべきではないという立場の朝日新聞は、憲法改正がいよいよ現実味を帯びてきたため、慌てふためているのでしょう。
 それが天声人語に表れたのでしょうが、この朝日新聞の姿勢は「見苦しい」の一言に尽きます。「護憲」なら「護憲」で堂々と論調を張るべきです。それを表面上は隠しながら、茶化した表現で現在の憲法改正の動きを牽制(けんせい)しようとするのは読者を欺く行為であり、潔くありません。
 読者の方にも憲法改正に「賛成」「反対」両方の意見があるでしょう。しかし、憲法は国家、国民にとって根幹のテーマです。正々堂々と議論しようではありませんか。
----------------------
「森永卓郎の戦争と平和講座」 / 古森義久著『憲法が日本を亡ぼす』 2012-12-21 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉 
 室井祐月が片山さつきに「弱者のことは頭にないんだな」と憤る〈週刊朝日〉
 dot. 12月18日(火)22時4分配信
 自民党の憲法改正草案を読んだ室井佑月氏。ある程度予想はしていたが、その予想をはるかに飛び越えた恐ろしい内容が存在するという……。
*  *  *
 よくよく草案を読んでみると、憲法の第12条と、第13条と、第29条は、もともと使われていた「公共の福祉」という言葉が、「公益及び公の秩序」に変わっているのだった。ちなみに、第12条は人権保障についてで、第13条は人間の尊重について、第29条は財産権について。
「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」では、どう違うのか? あたしの解釈だけど、「公共の福祉」とは、集団で生きている中の道徳みたいなことじゃない? でも、「公益」とは国の利益のことだし、「秩序」とは道徳より厳しい、罰則もあり得る決まりのような気がする。
 自民党は国の権限を大きくし、そこに生きる人々のことは軽少にしていきたいってことなのね。そうそう、憲法第18条の、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」も削除したみたいだし。
 とんでもねぇな、と怒っていたら、片山さつき参院議員のツイッターに、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」と書かれていた。国のためになる人間じゃないと、生きていく価値ないってか? この人、弱者のことはまるで頭にないんだな。国ってそういうもんじゃないと思う。
 じゃあ、結構、税金を払っている者として言わせてもらうね(片山氏の考えだとそれはありじゃん)。
 片山さんよ、あんたとあたしでは、あたしの価値が上ってことでいいんだな。だって、一国民として国の施設等はまぁおなじくらい利用していると考えて、あたしは税金払っている側で、あんたはもらっている側だもん。この国が良くなるために働いているとは、とても思えないしな。
※週刊朝日 2012年12月28日号
-------------------
マガジン9 森永卓郎の戦争と平和講座 第53回
自民党憲法改正案の本質
  自民党の憲法改正草案が発表された。日の丸を国旗、君が代を国歌と定め、自衛隊を国防軍と位置づけるなど、従来からの主張を鮮明に打ち出している。それはそれで大きな問題なのだが、私が一番気になったのは、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることだ。
 例えば第21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」との現行規定に「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文を追加したのだ。
 これだと権力者が「公益及び公の秩序を害する」と判断したら、表現の自由が許されなくなってしまうことになる。ファシズムもはなはだしいのだ。
 第12条にも「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と書かれている。
 結局、秩序優先、公益優先で、権力者の意向次第で、国民の基本的人権は制約されるというファシズム、極右の世界観が、この憲法草案の基本理念なのだ。
 いま欧州では中道右派政権が行ってきた財政引き締め、新自由主義路線への批判が大きく高まっている。2000年頃に欧州では中道左派政権が崩壊し、中道右派政権が次々に誕生した。しかし、10年間に及ぶ新自由主義が創り出した弱肉強食社会では、経済が上手く回らないということを欧州の人たちは学習したのだ。
 その結果が、フランス大統領選挙であり、ギリシャの議会選挙なのだ。しかし、社会党のオランド党首が大統領選挙を制したとは言え、見逃してはならないことがある。それは、フランスの大統領選挙の第一回投票で、極右のマリーヌ・ルペンが、オランド、サルコジに続いて、第三位、18.0%もの得票を集めたという事実だ。
 中道右派から中道左派への政権回帰が進む陰で、極右勢力が急速に支持を拡大しているのだ。
 日本も、この動きと無縁ではない。国民の圧倒的支持を得ている橋下徹大阪市長は、「君が代斉唱の際の口元チェックは行き過ぎではないか」との記者の質問に対して、「君が代は公務員の社歌だ」と開き直った。また、市職員の入れ墨をアンケート調査し、調査に応じなかった職員は、在任期間中は昇進させない方針を明らかにした。
 ただ、さすがに入れ墨問題では、人目に触れる箇所に入れ墨をしている職員を市民の目に触れない部署に配置転換させる方針を打ち出した。これまでの勢いだったら、入れ墨をしている職員は、分限免職だと言い出しかねなかったのだ。
 法令遵守の心が橋下市長の心にも芽生えたらしい。しかし、橋下市長の言動は、細かい法律を守ったとしても、やはり法律違反だと私は思う。憲法に違反しているからだ。
 もし、この自民党憲法改正草案が原案通り成立したら、橋下市長のハシズムは、何ら法律違反ではないことになってしまう。
 そうやって、日本は基本的な人権を失っていくのだ。戦争で人命が失われることは、悲惨なことだ、しかし、それ以前に、集会、結社、言論、出版などの自由が失われることは、事実上命を失うに等しい苦痛を国民に与える。
 ファシズムの時代に戻るのか否か、日本人はいま大きな分岐点に立たされているのだ。
 (2012-05-23up)
--------------------------------
『憲法が日本を亡ぼす』古森義久著 海竜社 2012年11月15日 第1刷発行
--------------------


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。