福島第一原発1号機「メルトダウン」

2011-05-12 | 政治

燃料が完全露出、格納容器からも水漏れ 福島原発1号機
中日新聞2011年5月12日 22時42分
 福島第1原発の事故で、東京電力は12日、1号機の原子炉圧力容器内で、長さ3・7メートルの燃料全体が水から露出し圧力容器も底部が複数箇所損傷し、合わせて直径数センチ相当の穴があいている可能性があると発表した。容器の温度は100~120度と低温だが、格納容器から汚染水がタービン建屋などに流出している可能性があることも判明。安定冷却に向けて順調とみられていた1号機だが、作業方針の見直しは必至で、事故収束に向けた全体の工程表に影響しそうだ。
 これまでの水位計のデータでは、燃料は上端から約1・7メートルが水から露出した状態とされていた。地震で水位計が壊れている可能性があったため、東電は原子炉建屋内に作業員を入れ、水位計を調整して再測定。高さ20メートルある圧力容器内の水位は最大でも深さ4メートルで、燃料の下にあることが分かった。
 東電は、燃料を入れた金属製ラックが地震で下方にずれるか、露出して熱で溶けた燃料が容器の底にたまり、結果的に水で冷やされているため、圧力容器の温度が低温になっているとの見方を示した。
 1号機では、格納容器を水で満たし、効率的に冷却する「水棺」作業が続く。
 格納容器の容積は7400立方メートルだが、既に1万立方メートル余りの水を入れても、水位が上がらない。建屋の1階では水漏れが確認できていないことから、東電は地下にある圧力抑制室の周辺で漏れていると推測している。
 東電が4月17日に公表した工程表では、1、3号機は3カ月程度で格納容器内を燃料上端まで水で満たすとされている。しかし、格納容器の水漏れにより、このままでは水棺は非常に難しく、漏れをふさぐか、新たな冷却方法を探さざるを得ない。日程、作業内容ともに工程に大きな影響を与えそうだ。
 水棺作業について、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は12日の記者会見で「やり方の再検討が必要」と説明。一方、経済産業省の西山英彦大臣官房審議官は同日の会見で、「冷却系(の装置)を取り付けるまで格納容器に水を入れる基本方針は変わらない」としている。
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〈来栖の独白〉
 一体、どうなるのだろう。暗澹たる思いに閉ざされる。容易に人が入れるものでもない。
 写真に映し出される福島第1原発の全容が、私には泣いているように見えて仕方がない。人類の留まることを知らぬ欲望に応え続けさせられて、ボロボロになった。
 原子炉も建屋も哀れなら、餌がやれないからと本日殺人処分が決まった家畜たちも哀れだ。牛舎ではなく、屋外を走る牛たちの姿。その光景の異様が、私の胸を打つ。
 人類は、何ということをしたのだろう。夏も冬も快適な生活を満喫したことの、他動物に強いる犠牲は余りに大きい。
 中日新聞2011年5月11日の「夕歩道」に次のようなコラムが載っていた。
〔夕歩道〕
 日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士の詩。「原子はいつできたのか/どこでどうしてできたのか/誰も知らない/兎に角そこには原子があった」。題は「原子と人間」。一九四八年の作。
 晩年、博士は自分の仕事を「とても小さなものを探すこと」と話していた。行き着いたところは「混沌」だった。この世には割り切れないものがある。事実の前にこうべを垂れる勇気を見せた。
 博士の詩は、こう続く。「原子はもっと危険なものだ/原子を征服できたと安心してはならない/人間同志の和解が大切だ/人間自身の向上が必要だ」。賢者の言葉は時代を超えて色あせない。
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高レベル放射性廃棄物、危険性が消えるまでには十万年/文明転換へ覚悟と気概2011-05-09 | 地震/原発
 文明転換へ覚悟と気概 週のはじめに考える
中日新聞【社説】2011年5月8日
 東日本の巨大地震からまもなく二カ月。連日の余震となお遠い復興への道のり。私たちが問われているのは、文明転換への覚悟と気概のようです。
 なかば義務感にかられて、北欧フィンランドに建設中の放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」を題材にしたドキュメンタリー映画「100、000年後の安全」を見に出かけました。
 多くの国際賞受賞のこの記録映画の配給元は「アップリンク」。今秋公開の予定でしたが、四月、東京・渋谷の自社劇場で上映したところ連日の行列と満席、全国各地の五十館以上での上映へと広がっていったそうです。前例のない反響、福島第一原発事故で国民が原発問題に真正面から向き合うようになったことがわかります。
 高レベル放射性廃棄物は世界に二十五万トン、危険性が消えるまでには十万年。「オンカロ」はフィンランド語で隠し場所を意味します。廃棄物を凍土奥深くの岩盤に埋め込む世界初の試みです。管理可能か、明快な回答を持ち合わせる専門家はいませんでした。
*人間支配が及ばない
 日本列島が現在の形になったのは一万年前、人類が文明をもったのはたかだか五、六千年前です。十万年は人間のリアルな思考や言葉が及ぶ時空域ではありません。人間が制御できないという絶望感。静かな画面は、人類が手にしてしまった原発の恐怖と不気味さを伝えていました。
 続いて、菅直人首相が浜岡原発の全炉停止を要請しました。法的手続きではない政治判断でした。
 東京から百八十キロ、名古屋から百三十キロ。東海地震想定域の真上の浜岡原発は「世界で最も危険な原発」と呼ばれてきました。事故の場合の被害は福島原発の比ではなく、首都圏の一千万人の避難や首都喪失も想定されました。
*やむをえぬ浜岡の停止
 マグニチュード9・0の巨大地震は、日本列島を東西に数メートル引き伸ばし、首都直下型や東海、東南海・南海地震誘発が憂慮されます。浜岡原発停止はやむをえぬ判断でしょう。全原発に及ぼすべきかどうか、そこが問題です。
 浜岡を含め日本の原発は五十四基、電力の30%を占めるようになっています。すでに原油枯渇の兆候があり、太陽光や風力のクリーンエネルギーへ転換させるにしろ、先行きはなお不透明です。電力の安定供給のためには原発は不可欠という状況です。
 原発停止による生活レベルの一九七〇年代への後退は許容できるにしても、グローバル競争の落後者になる恐怖に打ち勝てるかどうか。私たちは無限の成長を前提にした近代世界の住人。文明転換の勇気をもてるかどうかです。
 地質学の石橋克彦神戸大名誉教授は、地震と原発が複合する破局的災害・「原発震災」の概念や言葉を提唱、浜岡原発の廃炉を訴えるなど警告を発してきました。
 「世界」や「中央公論」の誌上には「日本列島全域が今世紀半ばごろまで大地震活動期」「原発は完成された技術ではない」「人間の地震に関する理解は不十分」「地震列島に五十基以上の大型原子炉を林立させることは暴挙」とも書いています。警告通り、福島原発の大損傷が発生してしまいました。
 「原発震災」は人間存在への問いかけだったのでしょう。教授が提言したように原発総点検、リスクが高い順の段階的閉鎖・縮小が現実路線のように映ります。世界観を変えるには覚悟と決意、気概がいります。
 日本を代表する東北の農漁業。その被害も甚大でした。食料問題も原発に劣らない不安で重大な問題。世界の食料品価格が高騰、二〇〇八年のリーマン・ショック時を上回っているからです。
 食料価格高騰は投機と「将来の供給不足懸念」が要因とされるだけに深刻です。コメと野菜こそ90%台と80%台の自給率を保っているものの、小麦は10%台、大豆やトウモロコシはほとんど輸入しています。命にかかわる問題です。農業の復興と立て直し、食料の自給は急務です。
*新しい幸せと充実が
 失われたコミュニティーの復元や修復も大切なテーマ。震災は、私たちがそれぞれが独立しながらも、結局は支え合い、助け合って生きていくものだ、ということをあらためて気づかせてくれました。それは、ボランティアに向かう若者の行動にも表れました。
 極限状況にあっても、人間はなお優しさや思いやり、勇気や忍耐を示す存在でした。献身や自己犠牲も。それは私たちの未来へ向けての大きな希望でした。
 経済的繁栄や快適な生活とは別次元の幸せと充実。それが追い求める内容かもしれません。私たちは歴史の転換点に立っているのかもしれません。 *背景色着色は来栖
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使用済み燃料 大量に
中日新聞2011/5/7Sat.夕刊
 政府の要請を受けて浜岡原発が全面停止しても、建屋内には使用済み燃料が大量に残る。このため、想定外の地震や津波が起きた際の危険性はすぐには去らない。
 核燃料は、燃料棒を束ねた燃料集合体を一体とし、使用後も原子炉建屋内のプールで貯蔵される。冷却のために最低でも2年弱は保管され、青森県六ヶ所村の再処理工場や海外などに運ばれる。
 中電によると、3月末時点で浜岡原発1~5号機に保管されている使用済み核燃料は計6625体。福島原発の事故を受け、中電は緊急対策として冷却機能を保つための非常用ディーゼル発電機を建屋屋上に設置した。(略)
 榎田洋一名大院教授(原子力工学)は「原発を全面停止しても、使用済み燃料は発熱が続く。外部に移すにも、安全性が整った施設に限られており、簡単に運び出せない。国内の原発からは、六ヶ所村だけで処理しきれない量の使用済み燃料が出ており、長期的に手だてを考えなければならない」と話している。


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