永田町に跋扈する妖怪 / 「小沢氏も『石原首相で構わない』と言っている」

2012-11-01 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

永田町に流れる「石原首相」へのシナリオ 第3極でキャスチングボート
ZAKZAK(夕刊フジ 2012年10月31日17時12分
 新党結成を表明した東京都の石原慎太郎知事(80)が、第3極の結集に本腰を入れている。大阪市の橋下徹市長率いる「日本維新の会(維新)」との連携話を進める一方、みんなの党の渡辺喜美代表とも近く会談する予定だ。石原氏は首相ポストへの野望を否定するが、こうした怒涛の動きに、石原氏に近い自民党議員は「頭にあるのは首相ポストだけだ」と断言した。
 「暴走老人の石原です」
 石原氏は30日、たちあがれ日本の全国拡大支部長会議の冒頭、田中真紀子文科相に皮肉られた言葉を引用して笑いを誘った。
 しかし、その後は「小異を捨てて大同につかなかったら、大きなヤマは張れない」「途中で死ぬかもしれないが、みんな一緒にやろう」と力強く語った。同党は、第3極の核となる石原新党への合流を機関決定した。
 石原氏は25日の辞任会見で「中央集権制度の打破」を掲げ、「首相になるつもりはない」と述べたが、永田町で額面通りに受け取る向きは少ない。
 自民党中堅議員は「日本で1番偉いのが首相で、2番目が都知事。都知事を辞めたのだから、石原氏はきっと首相しか狙っていない」といい、その根拠を挙げた。
 「連携する橋下氏は国政出馬を否定しており、第3極で首相候補に担ぐ適任者がいない。経歴や実績から、石原氏は即首相候補になる。憲法改正や脱官僚、国の会計制度の変換という大きな仕事は首相でなくては無理。また、石原氏の政治経歴をみると、常に首相にベクトルが向いていた」
 大学時代に芥川賞を受賞し、人気作家だった石原氏は1968年、自民党の参院議員として国政進出する。ベトナム戦争取材から戻る飛行機の中で、「祖国日本もまたいつの日か、自由主義体制が侵食されて崩壊する日が来るのではないか」という危機感からだった。
 その後、衆院議員に転身し、渡辺美智雄氏や中川一郎氏らと政策集団「青嵐会」を結成。89年には、事実上の首相を選ぶ自民党総裁選に出馬して、落選している。99年に東京都知事に挑戦したときは、「東京から日本を変える」と打ち上げた。その視線はいつも国政中枢を向いていた。
 ただ、小選挙区制のなか、第3極で首相の座を狙うのは簡単ではない。
 永田町に流れる「石原首相」有力シナリオは、(1)次期衆院選で、自民、公明両党では過半数に届かず、石原新党と維新、みんなの第3極がキャスチングボートを握る(2)次期衆院選後は比較第1党の自民党の安倍晋三総裁に首相を譲り、政界再編後を狙う-だ。
 こうしたなか、石原氏の天敵である「国民の生活が第一」の小沢一郎代表周辺から、93年に非自民の細川連立政権を立ち上げた例を出して、「中央集権打破という大義名分で、非自公の第3極政権を作る。小沢氏も『石原首相で構わない』と言っている」という話が広まっている。
 政治評論家の浅川博忠氏は「石原氏は常に『自分がトップだ』と思っている人だ。首相狙いで間違いない。ただ、そうした人だから、人に頭を下げられずお金も集められないし、根回しもできない。衆院選が先送りになれば鮮度が落ちて獲得議席も減りそうだ。前途は多難だ」と話している。
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〈来栖の独白 2012/11/01 Thu. 〉
 真偽入り乱れて風聞、憶測が跋扈する状況ではある。が、
>『石原首相で構わない』
 は、幾らなんでも酷過ぎる。消費税・原発など、小沢氏と石原氏は真逆にある。「愚直に、ひたむきに、一生懸命頑張る」小沢氏が、オリーブの木とはいえ、政策の根幹、立党の意味を引っ込めるはずがない。小沢氏の人間性を無視している。石原氏の人間性も。
 永田町の妖怪(噂の捏造、垂れ流し)が、これまでになく肥大する醜悪な政局だ。
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[国民の生活が第一]衆議院議員 大谷啓 結党記念パーティー10月25日【小沢代表挨拶 動画UP】 2012-10-28 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
  http://www.youtube.com/watch?v=CZblQ_D59To
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新しい日本人たちへの決起を促した石原慎太郎氏の都知事辞任と国政復帰宣言 『週刊 上杉隆』 2012-10-26 | 後藤昌弘弁護士/石原慎太郎 
 新しい日本人たちへの決起を促した石原慎太郎氏の都知事辞任と国政復帰宣言
 Diamond online 週刊 上杉隆【第19回】2012年10月26日
 相変わらず見事なタイミングだった。
 きのう、石原慎太郎都知事は知事辞任を表明、国政復帰と新党結成を宣言した。
 確かに、15:00から都庁で開かれた緊急記者会見は80歳とは思えない力強さに満ちていた。
 ただ、その姿をMXテレビの画面で見て私が最初に感じたことは、「大変だな、石原さんも」というのが率直なところだった。
 今任期中の電撃的な辞任はすでに知っていた。
 昨年の3.11の震災直後、予定外の知事選不出馬を取り消した時に話した時も、同じ3月、自由報道協会で記者会見をした際も、またその夜、赤坂の料理屋で二人で食事をした時にも、石原さんは電撃辞任をほとんど断言していたからだ。
 問題は時期だった。今回、石原さんは一週間前に辞表を書いたという。だが、決意は4選決定の際、いや、本当は2回目のオリンピック東京招致立候補を決めた後、心に決めていたのだ。
 3年前、2009年のデンマークでのIOC総会直後、私はコペンハーゲン空港の特別室で石原さんと話していた。
「おい。もっと優しくしてくれよ」
 こう言いながら、石原さんはあの独特の人懐っこい笑顔を見せた。
 直前のIOC総会の記者会見(日本以外の国際会議ではフリーランスも会見に普通に参加できる)で、私が辞任を迫る質問をしたことに対する返答だった。
 それは5年前の2007年、3選当選を決めた直後の記者会見冒頭、私が次のように質問したことに遡る。
「知事は今回、オリンピック招致を公約に掲げて立候補しましたが、それに失敗した際はどうするのですか?」
 それに対して、石原さんが答えたのは「そりゃ、男らしく責任は取りますよ」というものだった。
■既得権益を手放さない世代を毛嫌いしてきた石原氏
 石原語を翻訳するのには長年の経験を必要とする。
 多くのメディアが陥りがちな、彼の表層的な言葉尻だけを捉えてしまうと完全に本質を見失ってしまう。それはある意味、文学的でもあり、政治的でもあり、なによりいつも通りに、硬直した日本社会への挑戦的な価値紊乱のビーンボールでもあるのだ。
 石原さんがコペンハーゲンの空港でその後に続けて発したのは次のような言葉だった。
「おい、上杉君。責任を取るっていうのは辞めることだけではなくて、やり続けることもまたそうなんだよ。なんで老兵の俺がやらなきゃならないんだよ。だいたい君たちの世代がやればいいんだよ。本当にしっかりしてくれよ。日本ももっと老人をいたわってくれよ」
 日本の不甲斐なさ。とくに団塊世代の意思決定の弱さに対して、石原さんはずっとイラつきを隠してこなかった。
 1995年、国会議員だった石原さんは永年勤続25年の本会議スピーチの最中、突如、議員辞職を表明した。その際、野次の中で述べたワンフレーズがいまだに私の頭に残っている。
「日本は去勢された宦官のような国家に成り果てた――」
 それは石原さんなりの警句であった。
 その直後に出版した『国家なる幻影』では、その心中を、中央官僚システムの打破という具体的なアプローチとして明示しているし、またその4年後の1999年には、「東京から日本を変える」として都知事選に出馬、外形標準課税(銀行税)、ディーゼル車規制、都債券市場構想など矢継ぎ早に新政策を打ち出し、自らその活動の旗手として、政治の舞台に返り咲いたのだ。
 中央官僚という具体的な言葉を使いながらも、石原さんが指摘していたのは新しい日本人たちへの決起を促すことに他ならなかったのではないか。
 現在の硬直した日本の中央官僚システムは、同じく停滞したその経済システム(とくに会計方式など)とメディアシステム(記者クラブシステム)と相まって、日本を衰退させる最大の根源だと石原さんは言い続けてきた。
 よって、そのシステムを既得権益化することで、自己利益ばかりを追求してきた団塊、およびその前後の世代を、石原さんは毛嫌いしてきた。
■それぞれに「国家革命」を希求した文壇の2大スター
 拙著「石原慎太郎『5人の参謀』」(小学館)を世に出してからもう10年以上が経つ。
 あの当時から石原さんの語っていることは少しも変わっていない。
 尖閣問題も、憲法破棄も、中央官僚システム、記者クラブシステムへの批判も――。
 なにより不甲斐ない世代へ決起を促し続ける姿勢も変わっていない。
 きのうの石原知事辞任会見の最中、一緒にいた出口晴三元東京都議会議員はぽつりと私にこう語った。
「石原さん、三島由紀夫のあの市ヶ谷での最期の演説みたいな思い詰めている雰囲気になっているな。三島とは、時代も型も違うけど、ターゲットは同じ国家官僚、『憂国の情』だね」
 憂国の情――。なるほど、同じく「国家革命」を希求した二人だが、かたや文学と武力、片や文学と政治の道に分かれて進んだ当時のスター。膨大な石原さんの過去の著作を漁っても、不思議なことに三島への記述は少ない。
 それは石原さんと話していても気づく。おそらく、当時の文壇の2大スターだった二人は常に比較され続けてきたのだろう。
「川端(康成)さんは見ちゃたんだよ。三島さんの(断首された)頭を。でも、僕は(上の階に上がらず)見なかったんだよね。それが生き方の違いに繋がったかね」
 いつの頃だったか、石原さんに三島由紀夫の話を振った時、珍しくこう答えたのだった。
 江藤淳に「無意識過剰」と評された石原慎太郎――。
 今年「憂国忌」は42年目を迎える。80歳の石原さんは、無意識のうちに、当時距離を置いたあの三島由紀夫の「憂国の情」に重なっているのかもしれない。
 昨日の緊急辞任会見を観ながら、私はそう観想したのであった。
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〈来栖の独白2012/10/26 Fri. 〉
 「同じように感じている人がいる」、そう思いながら上杉氏の稿を読んだ。
 石原慎太郎氏の言説に触れるとき、私は必ず三島由紀夫の気配をその背後に感じる。理由は、上に書かれている。
 それにしても、醜悪なのはメディアである。ワンフレーズで、石原氏の思想も理念も、片づける。これは小沢一郎氏に対しても使い古された手法だ。
 小沢一郎氏を理解し、たびたび取材して我々に小沢氏の真実を伝えてくれた上杉氏が、石原氏のことも温かく真っ当な眼差しで書いていることが、私は嬉しい。
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石原慎太郎著『新・堕落論』 新潮選書2011/7/20発行
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