大相撲7月場所 元大関 照ノ富士が5年ぶりの復活優勝 2020.8.2 技能賞と殊勲賞も

2020-08-02 | 相撲・野球・・・など

大相撲7月場所 元大関 照ノ富士が5年ぶりの復活優勝 
 NHK 2020年8月2日 19時45分大相撲
 大相撲の大関経験者で今場所幕内に復帰した照ノ富士が、7月場所千秋楽の2日、関脇 御嶽海に勝って13勝2敗とし2回目の優勝を果たしました。照ノ富士の優勝は、平成27年夏場所以来、およそ5年ぶりです。
 大相撲7月場所は、8月1日の14日目を終えて、前頭17枚目の照ノ富士が2敗で単独トップに立ち、新大関 朝乃山と正代、御嶽海の両関脇の3人が、星の差1つで追う展開でした。
 千秋楽の8月2日、照ノ富士は御嶽海に勝って13勝2敗とし、平成27年夏場所以来となる2回目の優勝を果たしました。
 大関経験者の照ノ富士は、ひざのけがや糖尿病などのため平成29年の名古屋場所からの10場所中、9場所を休場し、一時は大関から序二段にまで番付を下げていました。
 それでも、けがや病気の回復に伴い、少しずつ稽古を再開して番付を戻し、今場所はおよそ2年半ぶりに幕内に復帰して力強く前に出る相撲で白星を重ねていきました。
 特に13日目、1敗で並んでいた朝乃山に対して、得意の左上手を取って堂々と寄り切った相撲には、培ってきた四つ相撲の技術と大関時代を思わせる力強さが感じられました。
 大関経験者が関脇以下に番付を下げて優勝するのは、昭和51年秋場所の魁傑以来、44年ぶりです。

■“横綱候補”が序二段まで… “復活”優勝の軌跡
  照ノ富士は、モンゴル出身の28歳。
 モンゴルから来日して強豪の鳥取城北高校に入学し、その後、間垣部屋に入門しました。
 平成23年5月の技量審査場所で若三勝のしこ名で初土俵を踏み、間垣部屋の閉鎖に伴って伊勢ヶ濱部屋に移籍したあと、しこ名を今の照ノ富士に改めました。
 体重およそ180キロの恵まれた体格を生かした力強い四つ相撲でぐんぐん番付を上げ、平成26年の春場所に新入幕を果たし、関脇だった平成27年の夏場所には12勝3敗で初めて優勝しました。
 初土俵から25場所目での優勝は、年6場所制となった昭和33年以降、幕下付け出しの力士を除いて歴代3位のスピード記録で、場所後に大関に昇進し横綱候補として期待されました。
 平成29年春場所では新横綱だった稀勢の里と千秋楽まで優勝を争い、優勝決定戦の末に敗れた相撲はファンに強い印象を残しました。
 しかし、ひざのケガや糖尿病などから稽古のできない状態となり、平成29年名古屋場所から4場所連続で休場して、その年の九州場所には2年間務めた大関の地位から陥落しました。
 さらに平成30年夏場所からも5場所連続で休場し、平成31年の春場所には序二段にまで番付が下がりました。
 大関経験者が幕下以下に陥落するのは、昭和以降では初めてのことで、一時は引退も考えたということです。
 それでも、師匠の伊勢ヶ濱親方に説得されて思いとどまり、けがや病気の回復に伴って少しずつ稽古を再開し、再び番付を上げて、ことしの初場所には十両に、今場所は幕内に復帰していました。
 前頭17枚目、幕尻で臨んだ今場所は、大関時代を思わせる持ち味の力強く前に出る安定した相撲で白星を重ねていき、およそ5年ぶりとなる優勝で復活を強く印象づけました。

■照ノ富士「続けてきてよかった」
 今場所から幕内に復帰し、およそ5年ぶりの復活優勝を果たした照ノ富士は「続けてきてよかったなと思う。いろいろなことがあったが、最後にこうやって笑える日が来ると信じてやってきた。一生懸命やったらいいことがあると思っていた」と心境を話しました。
 2日の御嶽海との一番については「やってきたことを信じて、前向きにやりました」と振り返りました。5年前の優勝との違いについては「前はイケイケのときに優勝した。今は慎重に1つのことを集中してやっている」と表現しました。
 今後については「今場所と同じように一日一番、自分の全力を出し切って、やれるところまでやりたい」と意気込みを話していました。

■八角理事長「戻ってすぐの優勝はすばらしい」
 日本相撲協会の八角理事長は、優勝した照ノ富士について「元大関が序二段で相撲を取るのは、なんとも言えない思いがあったと思うが、それを踏まえてよく戻ってきた。まだ力は元に戻っていない中で、こんなに早く優勝するとは本人も考えていなかったと思う。戻ってすぐの優勝はすばらしい」とたたえました。
 一方、新大関で12勝をあげた朝乃山については「新大関としては合格だ。前半は出来すぎのところもあったが、自分のことで精いっぱいの中で最後は横綱・大関が休場していろいろな重圧がのしかかった。優勝はできなかったが、大関として乗り切った」と評価しました。
 そして、およそ半年ぶりに観客を入れて開催した今場所を無事に終えたことについて「ほっとしている。お客さんも感染防止対策をやってくれたし力士も頑張ってくれた。お客さんが拍手で応援してくれて本当にありがたかった」と改めてファンに感謝していました。

■伊勢ヶ濱親方「本当によく頑張った」
 照ノ富士の師匠の伊勢ヶ濱親方は、「よく頑張ったなと言ってあげたい。ここまで来られるとは思っていなかった。場所前には勝ち越してけがなく終わればいいと思っていたくらいだ。本人は、まだ一生懸命けがと戦っている最中で、本当によく頑張った」と弟子の優勝に感慨深げでした。
 伊勢ヶ濱親方は、照ノ富士から「引退したい」と相談を受け、思いとどまるように説得したということで、「けがで負けて終わってしまわないよう、やれることをやって本人も納得できてからと思って説得した。やるだけやって頑張ることが大事だ」とそのときの心境を振り返っていました。
 
 ◎上記事は[NHK]からの転載・引用です
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大相撲7月場所 復活優勝の照ノ富士に技能賞と殊勲賞 
 NHK 2020年8月2日 19時13分大相撲
 大相撲7月場所の三賞選考委員会が開かれ、大関経験者で今場所、幕内に復帰して復活優勝を果たした照ノ富士が技能賞と殊勲賞を受賞しました。大関から陥落した力士が三賞を受賞するのは11年ぶりです。
 三賞の選考委員会は、千秋楽の2日国技館で開かれ、13勝2敗でおよそ5年ぶり2回目の優勝を果たした前頭17枚目の照ノ富士が初めての技能賞と2回目の殊勲賞に選ばれました。
照ノ富士は、けがや病気のために大関から一時序二段にまで陥落しましたが、幕内に復帰した今場所、力強さとうまさを兼ね備えた右四つの相撲で白星を重ね、優勝争いを引っ張ってきました。
 大関から陥落した力士が三賞を受賞するのは、平成21年九州場所に雅山が敢闘賞を受賞して以来、11年ぶりです。
 このほか、殊勲賞に、横綱 白鵬や新大関の朝乃山に勝って11勝をあげ、千秋楽まで優勝を争った関脇 御嶽海と、同じく白鵬に勝って11勝をあげた小結 大栄翔が選ばれました。
 御嶽海は6回目、大栄翔は2回目の受賞です。
 また敢闘賞には、1日、照ノ富士を破るなど11勝をあげて優勝争いに加わった関脇 正代が選ばれました。
 正代は5回目の受賞です。

■八角理事長「お客様のご協力のたまもの」
 ことし初場所以来の、観客を入れての開催となった大相撲7月場所。日本相撲協会の八角理事長は千秋楽の2日、土俵上からファンに向けて行う恒例の協会あいさつで、「本日千秋楽を迎えることができました。これも皆様の温かいご支援と今場所の感染防止対策にご対応いただきましたお客様のご協力のたまものと厚く御礼を申し上げます」と述べ、ファンに感謝しました。
 そのうえで、「横綱・大関の休場は大変遺憾ではございますが、全力士は皆様の心のこもった拍手をじかに感じ立派に土俵をつとめてくれました」と力士たちをねぎらいました。

 ◎上記事は[NHK]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2020.8.2 Sun〉
 本日は照ちゃん(照ノ富士関)の優勝かもしれないと思い、早めに公園散歩に行き、帰宅した。今日の照ちゃん、テレビは何度も何度も映した。それを見て想起させられたのは、運慶と快慶による東大寺南大門の金剛力士像であった。むろん、顔が似ているわけではないのだが、気迫というか、「何としても辞さないぞ」といった張り詰めた精神のようなものが、重なった。
 素晴らしい、素晴らしい照ノ富士関。魅せられて、私がファンになってから、かれこれ5年余か。よく頑張ってくれましたね。よくぞ、成し遂げてくださいましたね。


大相撲史に残る大復活優勝 照ノ富士「親方に何回も辞めさせてくださいと言いに行った」どん底からの奇跡
 2020/8/2(日) 17:30配信 ABEMA TIMES
 大相撲史上、過去に例を見ない大復活優勝だ。大関から序二段まで落ち、2018年初場所以来の入幕を果たした照ノ富士(伊勢ヶ濱)にとっては5年2カ月ぶりの栄冠。振り返ってみるとその道のりはあまりにもドラマチックだ。
 2017年春場所は横綱稀勢の里との優勝決定戦に敗れたものの13勝。翌場所も12勝をマークして続く名古屋場所は成績次第では綱取りの可能性もあった。しかし、その場所は古傷の左膝の状態が思わしくなく途中休場。横綱を目前にして照ノ富士の相撲人生はここから一気に暗転する。カド番場所でもケガの状態は快方に向かうことなく連続休場で大関からの陥落が決定した。
「休んでいても膝は治らない。付き合ってやるしかない」と照ノ富士は土俵に上がることにとことんこだわったが現実は厳しかった。関脇となった同年九州場所は初日から4連敗したところで力尽きた。
 年が明けた翌場所は番付を前頭十枚目まで落とした。得意の左上手を取っても寄ることができない。途中休場から再出場するも8敗7休とひとつも白星を挙げることができず昭和以降、史上4人目の大関経験者の十両落ちが決定した。膝のケガに加え糖尿病による体調不良も抱えていた。
 プライドをかなぐり捨てて上がった十両の土俵では5場所ぶりに15日間皆勤したが6勝どまり。悪い流れは歯止めがきかず翌夏場所は十両八枚目で9敗6休。関取の座を明け渡すことが確実となり「自分だけでは決められないので親方、おかみさんと相談して」と進退について言及。元大関が幕下に陥落なら江戸時代の看板大関の例を除けば明治以降初めてのケース。幕内優勝者が幕下に落ちることも前例がない。
 「親方に何回も辞めさせてくださいと言いに行った」。当時26歳の元大関は心身ともにどん底でもがき苦しんでいた。「辞めるにしても辞めないにしてもまずは病気を治せ」と師匠の伊勢ケ濱親方(元横綱旭富士)から説得されて現役続行を決意すると、しばらくは本場所を離れて治療に専念することになった。
 4場所連続全休で迎えた2019年春場所の番付は序二段・四十八枚目。屈辱にも耐えて上がった土俵は本来の相撲とは程遠かったが7戦全勝。優勝こそ逃したが復活ロードの第一歩を踏み出すと、その後は順調に番付を戻していった。復帰から所要5場所で関取の座を取り戻すと十両は2場所で通過。そして久々となる幕内の土俵は「今できることをやるだけ」と無心で臨むと気がつけば優勝争いの単独トップに立っていた。十三日目、朝乃山(高砂)との新旧大関対決では右四つに組み合うと全盛期を彷彿させる力強い相撲で堂々の寄り切り。地獄を見てきた男の精神的な底力も大一番を制した大きな勝因の一つだったに違いない。
 コロナ禍で人々の心がふさぎかちなご時世で相撲ファンは史上最大の復活劇に酔いしれた。しかし、復活ストーリーが完結するのはまだ先のことになりそうだ。
 最終更新:8/2(日) 19:08 ABEMA TIMES

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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やんちゃな照ノ富士はもういない 照ノ富士の復活劇に国技館が揺れた <大相撲7月場所>13日日 2020/7/31


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