神戸連続児童殺傷事件20年 <少年と罪 「A」、20年> 第2部(3)虚像 (中日新聞 2017/6/27)

2017-06-28 | 元少年A 酒鬼薔薇聖斗

<少年と罪 「A」、20年>第2部 (3)虚像
中日新聞 2017/6/27 Tue 朝刊 
   「透明な存在」捨てた
 関東地方の三十代男性は中学時代に母親を刺殺し、一九九八年に関東医療少年院(東京都府中市)へ送致された。翌年、院内で親しくなった少年から「二つのタマ(命)を取った」と聞かされた。
 男性はこの少年が、97年に14歳で神戸連続児童殺傷事件を起こし、同じ少年院へ送られた「少年Aだった」と話す。当時は16歳ぐらい。身長は175㌢ほどの男性より10㌢ほど低く、関西弁交じりだった。
 「Aは母親を罵倒し、ぜい肉たっぷりの人間を模した粘土細工を作った。日ごろは映画の面白さを熱く語り、卓球で負けると約束通り『モーニング娘。』の歌を熱唱した。ユニークで表現力が豊か。モンスターとは全然、違う印象だった」
 男性は退院後、高校を卒業して就職した。2015年夏、1冊の本に出合った。神戸事件の「元少年A」の手記「絶歌」。自分の4年後に社会復帰したAの、流転の日々がつづられていた。
 ある支援者に対するAの記述が印象的だった。「深い気持ちを、ちゃんと受け止めることができなかった。壁を作っていたのは・・・僕のほうだった」。他人の優しさを感じられるようになったが、罪を犯した後ろめたさで甘えられない。男性も同じ。手記に「彼の弱さ、人間くささ」を感じた。
 児童精神科医で「『絶歌』論」の著書がある高岡健(63)も、手記からAの「変化」を読み取った。「理解が難しかった犯行時の心理が明かされた。Aは特殊な人間ではない」
 自分が嫌な思いをした後に女児らを襲って山下彩花ちゃん=当時(10)=を殺害したのは「やられたら、やり返せ」という母親のしつけがゆがんで表れた結果。ただ1人、自分を受け入れてくれた土師淳君=同(11)=を殺したのは、忌まわしい自分の殺害であり、自殺と同義という分析だ。
 『絶歌』出版の直後、Aは一時期、ナメクジの写真や自作の絵を載せたホームページ(HP)を開いた。Aとメールを交換したノンフィクション作家の渋井哲也(47)は、HPの内容に「報道された『狂気』は感じなかった」。くだけた言葉遣いの返信には「子どもっぽさが読み取れた」と話す。
 渋井は事件当時、長野県の地方紙記者だった。地元の中高生100人を取材すると、3分の1が「Aに共感できる」と答えた。犯行声明にある「透明な存在」との言葉に、周囲から大切にされていないと感じる子どもたちが自分を重ねた。少年法で守られ、公開されない絵の姿を勝手に想像して、自分に都合がいいように妄想を膨らませていった。
 だが、Aは『絶歌』で「透明な存在」を捨てた。犯行直後はパニックに陥り、留置先の警察署で夜泣きした。社会へ戻っても過去を知られることにおびえ、不景気でリストラに遭い、職場や住居を転々とする「大人」になった。
 どこにでもいそうな30代の男性。渋井は『絶歌』を「カリスマ性の自己否定。神格化されたものが虚像だったと知らしめた」と表現する。
 『絶歌』の発行後、Aを礼賛するインターネットの掲示板に、匿名「ファン」のこんな言葉が載った。
 「みんなの求める酒鬼薔薇聖斗は死んだ」(一部敬称略)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し。なお、記事中、漢数字のところ、算用数字とした。(=来栖) 
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『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈毎年3月に入ると、被害者の方への手紙の準備に取りかかる。〉
『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈…関東医療少年院に入って2年目の夏。僕は17歳だった。〉
『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈…母親を憎んだことなんてこれまで一度もなかった。〉
『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 太田出版 (神戸連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗)

    

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