死刑と無期の境〔下〕「仮釈放がほぼ認められない現状から絶望し、自殺したのでは」

2010-02-20 | 死刑/重刑/生命犯

死刑と無期の境〔下〕 終身刑 議論これから
 昨年5月に裁判員制度がスタートする前、国会では、死刑と無期懲役との間を埋める「仮釈放のない終身刑」の導入を目指す動きがあった。
 「二つは天と地ほども違う。『無期では軽すぎるが死刑では重すぎる』と選択に迷う裁判員も多いのではないか」。議員連盟「量刑制度を考える超党派の会」の事務局長をいまも務める平沢勝栄衆院議員は、その理由を語る。
 二つの刑の差を解消したい死刑存置派の議員と、「少しでも死刑を減らしたい」と考える死刑廃止派の議員らが政党の枠を超えて集まった。鳩山由紀夫首相ら民主党の現閣僚のほか、自民党の森喜朗元首相らも名を連ねていた。
 刑法改正案をまとめる段階までいったが、2008年9月に福田康夫首相が辞任して衆院の解散風が吹き荒れた影響で、いま、活動は休止状態に入ったままだ。平沢議員は「議論になれば、すぐに議員立法に動く。成立する見込みは十分ある」と意気込む。
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 1997年5月、奈良県月ヶ瀬村(現奈良市)の道路を車で走っていた男が、帰宅中の中学2年の女子生徒(当時13)に声をかけ、返答がないことに腹を立て、車ではねて連れ去った。三重県の山中で首を絞め、石を頭部に数回投げつけて殺害した。
 捕まったのは丘崎誠人元受刑者だ。「表情の変化が乏しく、激高することもない。暗く、沈んでいるような顔つきだった」。大阪高裁での2審の裁判長を務めた弁護士の河上元康さん(72)は、法廷での印象をよく覚えている。
 1審の奈良地裁では無期懲役の求刑に対し、懲役18年の判決が出ていた。河上さんは法廷で語る反省の言葉を聞くうち、心から出てきた言葉なのか疑問に思ったという。
 00年6月に河上さんは1審判決を破棄し、無期懲役の判決を言い渡す。「罪の重さを深く自覚してほしかった。自覚するにはより時間が必要だと思い、無期懲役を選んだ。有期懲役よりズシッと重みがある」
 だが、上告を自ら取り下げて無期懲役を確定させた丘崎元受刑者は、2審判決から1年3ヵ月後、大分刑務所の窓付近にシャツをくくりつけ、首をつって自殺した。「被告の更生を願って刑を言い渡したのに・・・むなしい」。河上さんは、そう振り返る。
 「仮釈放がほぼ認められない現状から、一生、刑務所から出られないと考えて絶望したのではないか」。この自殺について調べた桐蔭横浜大の河合幹雄教授(法社会学)は、こう考える。
 そのうえで、終身刑の創設論議について「裁判員制度のなかで終身刑という選択肢が与えられれば、量刑に悩んだ市民が『社会から隔離して刑務所に閉じこめておけばいい』という安易な選択に雪崩をうつ危険があり、刑務所内の秩序維持だけでなく、犯罪者の更生にも大きな影響がある」と懸念する。
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 裁判員裁判を始めるにあたって、各地の裁判所と検察庁、弁護士会は「模擬裁判」を重ねてきた。裁判員役を一般の市民に依頼し、できるだけ現実の法廷に近い形で訓練を続けた。だが、死刑選択が争点となる事件は取り上げられなかった。「現実感を持って考えてもらうのが難しい」というのが理由だった。
 元裁判官の川上拓一・早稲田大教授(刑事訴訟法)は、テレビ局が08年末に企画した模擬裁判で裁判長役を務めた。2人が殺害された強盗殺人事件について、元裁判官3人と市民6人が一緒に判決を考える内容。法曹三者が実施しなかった、死刑選択の判断を迫る裁判だった。
 結論は多数決で死刑だった。川上教授はこの経験から、死刑を選択するかどうかの議論を尽していくなかで、裁判官も裁判員も同じ方向性になっていった経緯が重要だと考える。
 裁判官だった当時、川上教授は裁判長として、3つの事件で計4人に死刑を言い渡した経験がある。「裁判員の心理的な負担は相当大きくなる。精神面のフォローは大事だ」と指摘したうえで、裁判員に向けて「証拠によって認定できる事実に基づいて『もうこれしかない』というところまでギリギリ悩むことが大切。『何となく』で決めたら、悔いが残る」と語る。
 そして、市民が死刑と向き合うことで、終身刑をめぐる議論が再び活性化する可能性もある、とみる。

 ◎上記事は[朝日新聞]からの転載・引用です (朝日新聞2010/2/16Tue.~18)
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◇ 死刑と無期の境〔上〕私の死刑執行をビデオに撮り、死刑とはどんなものか、司法に係わる人に見てほしい
◇ 死刑と無期の境〔中〕死刑かどうかの審理に、時間を惜しんではいけない
◇ 死刑と無期の境〔下〕「仮釈放がほぼ認められない現状から絶望し、自殺したのでは」
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1 コメント

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 丘崎誠人元受刑者の自殺について (Unknown)
2011-01-10 09:07:53
丘崎誠人元受刑者の自殺は将来を悲観したものではなく刑務官のいじめです。
私も出所してかなりの期間が経過しておりますので刑務所内での隠語などは忘れてしまいましたが当時の詳細は今でもはっきりと記憶しております。
その直前も彼とは何度も会話を交わし、死の瞬間も私の房のななめ前でした。
経緯ですが私は同じ受刑者として懲役に務めておりました。職歴と学歴、身内の身上調査などから受刑者の中でも特殊な部署に配置されておりました。
新人教育や懲罰で独居房に連れてこられた受刑者の身の回りの世話をするような特殊なところです。
刑務所内では受刑者同士、会話することは禁じられておりますが、私には執務上、ある程度の融通がありました。
彼は何度か懲罰に上がってきたのですが、私も同じ関西出身ということとこの月ヶ瀬事件も存じてましたので、彼についても興味がありました。
彼は刑務所内ではごく普通でした。懲罰には上がりますが暴れることも不満を常日頃からぶちまけることもありません。事件当時の凶暴な態度は一切なかったです。それより他の受刑者よりもおとなしい・・と言った方が良いかも知れません。
ただこの自殺の数週間前に懲罰で独居房に来た際に、ある若手刑務官の嫌がらせ(私もそう感じました)を個人攻撃して憂さ晴らしされていると私に悩みを打ち明けました。
当然、同じ受刑者ですので何も出来ることはありません。そして自殺当日にまたまた懲罰に来たのですが、この若手刑務官に少々口答えしたと言うことでした。このとき彼はごく普通で悩みことを刑務官に聞いてほしかっただけです。それを聞き入れてもらえなかったため、自殺したのです。
(嫌がらせが続くと感じたのです)
私は彼が運ばれて行く姿も直視しています。世の中が知る事実とは全く違います。自殺の方法だけは真実の報道でしょうか?
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