『親鸞』世間で蔑まれている人たち=彼らこそ私の師であり、兄であり、友であった。彼らとともに生きてゆく

2009-08-30 | 仏教・・・
〈来栖の独白 2009-08-30 〉
 新聞連載小説『親鸞』353回 2009/08/30 Sun. は、本小説のエッセンスとも云える内容。
 法難に遭い、越後へ遠流となった親鸞が京を去る場面である。禁制となった念仏だが、それに抗して湧き上がるような多勢の念仏の声に送られて吉水を発つ。

『親鸞』353 愚禿親鸞の海(3)
「鴨川のほとりを通っていきたいのですが」
 と、親鸞は役人に頼んだ。
 あたりの様子を見て、役人はしぶしぶ承知をした。この場を穏便におさめたいのだろう。
 親鸞たち一行は吉水の坂をおり、鴨川の岸辺への道をたどった。露路の奥や、家々の物陰から、一行を追うように念仏の声がつづいた。
 鴨川の流れに晩春の日ざしがきらめく。
 風はそよとも吹かない。親鸞は岸辺にたって、目をほそめた。
 思えば8歳のとき、ここで河原房浄寛と知りあったのだ。法螺房弁才とも、ツブテの弥七とも親しくなった。この河原は自分の学び舎のようなものだった、と親鸞は思う。
 きらめく流れに、19歳のときに出会った傀儡女の顔がうかんで消えた。それと重なって、安楽房遵西の首が血をふいて落ち、その首を抱いて河原を駆ける鹿野のすがたが、幻のように目の前を通りすぎた。
 親鸞は顔をあげて、東の峰々をながめた。
 どっしりとそびえる比叡山は、かすみのなかに青黒く山裾をひいている。
 幼いころ、ひたすら憧れた山だった。そしてその山中ですごした20年の歳月。
 慈円、音覚、良禅、そして荒々しい山法師たちの姿がうかぶ。そこで学び、身につけたものは限りなく大きい。だが、そのすべてを捨てて、自分はいま愚に還るのだ。すでに僧ではなく、烏帽子さえもつけない禿頭の流刑の凡夫として。
 感慨にふける親鸞の頬の横を、不意にピュッと風をきって飛ぶものがあった。
 思わず顔をあげると、対岸の河原にたっている数十人の男たちが見えた。先頭の赤い衣をきているのは、弥七だ。左右にしたがう男たちは、たぶん、かつての印地の党の仲間たちだろう。
 親鸞は胸の奥にはげしくこみあげる熱いものを感じた。瓦のかけら、ツブテ、小石のようなわれら。彼らこそ、わたしの師であり、兄であり、友であった、と親鸞は思う。
 自分は終生、彼らとともに生きていくのだ。闇のなかに、さえぎるものなき光を求めて。
 親鸞は足もとの石を一つひろって、力まかせに投げた。石は対岸にはとどかず、流れのなかに白い飛沫があがった。
 彼らはいっせいに笑った。そして、それぞれが手中のツブテを、春の空高くほうりあげた。高い円弧を描いた石が流れに音を立ててつぎつぎに落下した。その輝く水しぶきは、親鸞を送る印地の党の別れの盛大な挨拶だった。 *強調(太字・着色)、リンクは来栖

〈来栖の独白〉続き
 私の胸も熱くなってしかたがない。
“この河原は自分の学び舎のようなものだった、と親鸞は思う。” “瓦のかけら、ツブテ、小石のようなわれら。彼らこそ、わたしの師であり、兄であり、友であった、と親鸞は思う。”
 私に教えてくれたのも、彼らのような人たちだった。人生を踏み外し(罪を犯し)囚われている人たちであり、野宿の人たちであった。かけら、ツブテ、小石のような、取るに足りない見下されている人たちだった。彼らによって、私は、人となった。人の涙の意味を知った。彼らは、私の師であり、友であった。 そういえば、隆慶一郎著『捨て童子 松平忠輝』に次のような文脈がある。

 「様々な人と逢いました。大名にも、商人にも、お百姓にも、職人さんにも、生涯流浪する人、他人に恵みを受ける人、人殺し、盗人にも。皆、私の師でした。私は皆に教えられました。神の御業の確かさを、私はこの江戸に来てはじめて知りました」
 飢えるということがどんなことか、帰るべき家がないというのがどんなことか、いくら秀頼に話して聞かせても理解できまい。まして揚げ餅をくい、一銭の茶を喫する子供たちが、恐らくはその金を危険を冒してかっ払って来たことなど、想像の外にあるだろう。(中略)
 この頃の忠輝には、漸く人間というものが見えるようになって来た。過大化もせず過少化もせず、ありのままの人間の姿が見えて来た。浅草の診療所のお陰である。そこには種々雑多な人々が集まって来る。こんな奴がいるんだなァ、と思うことも度々だった。そしてその揚句見えて来た人間の姿は、例外なく、そこはかとなく悲しみの色に染められていた。どんなに愚かで、どんなに暴力的で、どんなに貪欲でも、奇妙なことにどこか悲しみの翳がある。しかも例外なく面白いのだ。
 忠輝は囚人として乗馬を許されていない。駕籠だった。旧暦七月中旬は炎暑のさかりである。駕籠の中の暑さは言語に絶した。それをまぎらすために忠輝は笛を吹いた。野風の笛である。家康の遺言のように野に鎧武者が満ちることはなかったが、傀儡師一族とキリシタンたちが人しれずずっとついて来ていることを忠輝は知らなかった。

〈来栖の独白〉続き
 繰り返しになるけれど、いま一度、『親鸞』の以下の箇所。遵西の処刑のあと、河原に集まった人々の中から念仏の声がわきあがる。

“「なも、あみ、だん、ぶ」
「なも、あみ、だん、ぶ」
 と、念仏の声は地軸をゆるがすように、ますます大きくなっていく。(略)
 雑兵たちが長刀をふりかざしながら駆け寄ってくると、人びとは雪崩るように善信をとりかこんだ。その圧倒的な人びとの垣根に、雑兵たちは気圧されたように、じりじりと押されて後退する。
「なも、あみ、だん、ぶ」
「なも、あみ、だん、ぶ」
 善信は、ふだん口にしている念仏とちがう、異様な念仏の合掌のなかにいた。(略)
 善信の体は火のように熱い。
 いま、ここに集っているのは、世間からは河原の小石、ツブテ、瓦の破片のように見くだされている人びとだ。
 生きるために殺生する者もいる。暮らすために人をだます男もいる。家族のために身を売る女たちもいる。下人として市場で売り買いされる者たちもいる。僧兵としてやとわれている男たちもいる。人殺しを仕事にする武者(むさ)もいる。
 法然上人は、この人びとのためにこそ易業念仏の道をひらかれたのだ。自分もまた、この人びとと共に生きるのだ。
 あたりに夜の気配が漂いはじめても、念仏の大合唱はさらに高まっていく。”

“ 忠範はけげんそうに渡された小石をながめた。
「これは、石ころではないか」
「そうです」
 犬丸はうなずいて、忠範の耳もとでささやくようにいった。
「弥七は、こうわたしめに言づけたのです。忠範さまは、われら悪人ばらのためにお山で修行なさるのだ。だから忠範さまに伝えてほしい。もし、運よく物事がはこんで、自分がなにか偉い者ででもあるかのように驕りたかぶった気持になったときは、この石を見て思いだすことだ。自分は割れた瓦、河原の小石、ツブテのごとき者たちの一人に過ぎないではないか、と。そしてまた、苦労がつづいて自分はひとりぼっちだと感じたときは、この小石のようにたくさんの仲間が世間に生きていることを考えてほしい、と。弥七はそのように申して、これを忠範さまに渡すようにと頼んで消えました。そうそう、もう一つ。なにか本当に困ったときには、どこかにいる名もなき者たちにこの小石を見せて、弥七の友達だといえばいい、と」
 忠範はその小石を手のなかににぎりしめた。犬丸の懐のなかにあったせいか、かすかなぬくもりが感じられた。”

“「善信は師の法然の示した道を、さらに一歩ふみだすことで、もっとも忠実な弟子となろうとしているのではないでしょうか」
「さらに一歩とは?」
「悪人、善人の区別さえつけないという考えのように思えます」
「なるほど」
「善人、悪人の区別をつけないということは、この世に生きるすべてのものは、だれもみな心に深い闇をいだいて生きている、ということでしょう。それを悪とよんでもよい。(略)われらはすべて悪人である、と、彼は人びとに説いております。その考えをそのまま受けとれば、高貴なかたがたも、立派な僧たちも、貴族も、みな悪人ということになりましょう」(略)
「彼は辻説法はいたしませぬ。寺や、市場で人をあつめることもしない。ただ、ひたすら歩きまわって、さまざまな顔見知りの男女と話をかわすだけです。最初は餌取(えとり)小路のあやしげな店の女主人と親しくなって、そこから話をききたいという者たちが家にまねいたり、庭先でしゃべったりして、たちまち何十人、何百人と話をきく者たちが増えてきたようです。そのほとんどが、世間でさげすまれている者たちで、いわば都の闇にうごめく影のような男や女たちだという。牛飼いもいる、車借(しゃしゃく)、馬借(ばしゃく)もいる、辻芸人たちや、傀儡(くぐつ)も、行商人、遊び女、神人(じにん)、博亦(ばくえき)の徒、そして盗人や、流れ者たちや、主のない武者(むさ)たちなど、さまざまな者たちが善信を仲間あつかいしているとききました。善信自身も、汚れた黒衣(こくえ)に、のばし放題の頭という、まさに野の聖(ひじり)そのものの格好で、ただぼそぼそと相手の問いに答えているだけだそうです。ときには殴られたり、追い払われたりもするようですが、それでもすでに何千人もの人びとが善信のことを頼りにしているそうです」”

〈来栖の独白〉続き
 私が拘置所へ行ったのも炊き出しに参加したのも、慰問やボランティア、支援ではなかった。私のほうが彼らに心惹かれ、教えられ、そして友となった。彼らの鋭い感性は、もし私の中に見下げたり虚偽を弄する心を見いだしたなら、決して受け入れはしなかったろう。人にとって大事なことは、必ずしも肉のいのちを長らえること、ではない。尊重と信頼の中に生きることではないか、そう思えてならない。そうなったとき、「あなたを友と呼ぶ」とイエスは言う。
 繰り返したい。隆慶一郎著『捨て童子 松平忠輝』

 「様々な人と逢いました。大名にも、商人にも、お百姓にも、職人さんにも、生涯流浪する人、他人に恵みを受ける人、人殺し、盗人にも。皆、私の師でした。私は皆に教えられました。神の御業の確かさを、私はこの江戸に来てはじめて知りました」
 涙を宿したまま、眼がいきいきと輝いていた。美しい顔だった。鼻ばかり高く、痩せこけて、どちらかといえば貧相なブルギーリョスの顔が、今、至福の輝きに満ち溢れ、どんな美女も遠く及ばぬ美しさに映えている。 〈人の世は素晴らしい〉
 忠輝は心の奥深くで感動していた。ブルギーリョスの感慨は、一木一草にも仏を観るといわれた仏法の悟りと全く変わりなかった。神といい仏という、信ずるものは異なっても、高所に達した者の眼は同じものを観るのではないか。忠輝にはそう思えて仕方がない。そして、その高みに登った人を見るたびに、人の世はなんと素晴らしいことか、と思うのだった。

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 隆慶一郎著『捨て童子 松平忠輝』講談社文庫 
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