国の原発再稼働要請⇒合格と決まっているストレステスト⇒玄海原発:町長が再稼働了承を撤回

2011-07-07 | 政治

玄海原発:町長が再稼働了承を撤回
 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働問題で、今月4日に運転再開を了承した同町の岸本英雄町長は7日午前、町役場で臨時会見を開き、了承撤回を表明した。6日に国が全原発を対象にストレステスト(耐性試験)を実施すると発表し、玄海原発の運転再開先送りが確実になったことと、九電の「やらせメール」問題が発覚したためで、岸本町長は「作業をやり直したい」と語った。
 6月26日にケーブルテレビなどで放送された国の説明番組で、再開を支持するメールを子会社などに送るよう九電が依頼した「やらせメール」問題。岸本町長は「原発事故を起こさないようヒューマンエラー防止を求めていたが、正にそこに触れる問題」などと述べ、了承撤回理由の一つになったことを強調した。
 また、ストレステストについては「菅直人首相からストレステストを再開の前提とするとの発表があったから」と語った。
 午前11時から開く町議会で撤回について同意を求め、午後にも九電に伝える。
 岸本町長は今月4日、九電の眞部(まなべ)利應(としお)社長に運転再開了承を伝え、同原発2、3号機が福島原発事故後、全国初の再稼働となる可能性が高まっていた。【原田哲郎】毎日新聞 2011年7月7日 11時36分(最終更新 7月7日 12時06分)
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〈来栖の独白〉
 国も町も、なんといい加減な安全認識であることだろう。「メール」程度で原発稼働の成否が左右される。お話にならない。海江田氏は「国が責任を持つ」と云ったが、原発(放射性)は人類が責任をとれることがらではない。発生した高レベル放射性廃棄物の処理にしても、人類の支配可能な「時間」を遥かに超えている。責任をとれる事態など、一つもないのだ。ましてや臨終に至っている政権ではないか。どうやって責任をとるというのか。実に実に無責任政権だ。
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未来図を国民に示せ 国の原発再稼働要請
中日新聞【社説】2011年6月21日
 現在停止中の原発について、菅直人首相が「安全対策が適切に整ったので、再稼働すべし」という方針を明らかにした。脱原発は、本気でしょうか。
 「ありえない」。福島から、原発周辺の住民から、そして多くの自治体の長からも、驚きの声が相次いだ。
 福島第一原発の建屋は無残に吹き飛び、骨組みもあらわな惨状をさらしている。
 被災直後に炉心溶融を起こした原子炉は高熱と放射性物質を出し続け、冷却のための放水は果てしなく続いている。大量に出る高濃度汚染水の捨て場はない。
 福島は遠くかすんで
 何よりまだ現場では、幾多の現場作業員が、劣悪な条件や健康不安と闘いながら、事態収拾に努めている最中だ。避難区域の住民が、わが家へ帰るすべもない。
 現状打開の期待がかかる米国製の高濃度汚染水浄化装置は、大量の油や汚泥を受け止めきれず、わずか五時間でダウンした。東京電力の説明は、相変わらずの「想定外」だ。
 国中が福島の惨状に心を痛め、当局の言葉や技術に不信を感じつつ、不安の中で推移を見守っているといっていい。そのさなかの唐突な安全・再稼働宣言である。
 国内五十四基の商業原発中三十五基が、定期検査などのため運転を休んでいる。再開への扉は、原子力安全・保安院が電力事業者に指示したわずか五項目の指示と立ち入り検査で開かれた。非常用電源の確保など、当面の津波対策がなされるめどがついたという程度のことだ。中長期的な安全対策には目をつむり、電力不足を懸念する一部産業界の求めに応じ、原子力安全委員会による安全、耐震指針見直しの議論も待たず、夏前の再開を急いだ感は否めない。
 “政争の具”にするな
 これまでにも保安院は、安全検査の時間短縮を容認したり、老朽化した原発の耐用年数を大幅に延ばしたり、安全軽視の姿勢が目についた。このような態度が、次の過酷事故(シビアアクシデント)につながらないかと、国民は不安を覚えている。
 そもそも、原発推進機関の経済産業省と、原発を監視する立場にある原子力安全・保安院を分離するという方針は、どこへ行ってしまったのだろうか。
 本社加盟の世論調査では、原発について「電力需給に応じて廃炉を進める」など、廃炉推進の声が八割以上を占めている。
 物理学者でもあるドイツのメルケル首相は「福島の光景が目について離れない」と、政府として脱原発に踏み切った。永田町から原発がある地方への距離は欧州からよりも遠く、国民との間に横たわる溝はあまりに深い。 関係する道府県の知事たちが、「再開のさの字も出る状況ではない」(川勝平太・静岡県知事)などと、驚き、あきれ、詳しい説明を求めるのは当然だ。
 さらなる驚きは、菅首相が経産相の発言を早々と支持したことだ。これで脱原発に取り組む首相の決意が見えなくなった。
 首相は五月上旬、自ら記者会見し、中部電力浜岡原発について、近い将来極めて高い確率で発生が予想される東海大地震への備えが不十分として、全面停止を要請した。その後も原発重視をうたう現行のエネルギー基本計画を「白紙に戻して議論する必要がある」と語った。
 二〇二〇年代の早い時期に自然エネルギーの占める割合を20%に引き上げると国際社会に表明するなど、脱原発に大きくかじを切ったかに見えた。
 しかし、形ばかりの検査で原発再稼働を認めるようでは、首相の“本気”を疑わざるをえない。
 それどころか、首相は消費税増税や脱小沢のように、脱原発を政権延命の道具にしようとしているのではないか。浜岡停止後の世論調査で首相の評価は上がり、退陣を求める意見は減った。
 自民党内には、首相が脱原発を争点に衆院解散・総選挙に打って出るのではないかとの臆測も広がっている。だが、国民が求めているのは、日本の未来を支える具体的なエネルギー像だ。それがないと国民的議論はなしえない。このような大事なことを政争の具にすることは許されない。
 電力不足はどれほど
 菅政権がいつまで続くにしても、今政府がなすべきは、この夏、原発を再稼働させないと、どの地域でどれだけ電力が不足して、産業や生活が具体的にどのような影響を受けるのか、可能な限り詳しく国民に説明することだ。そして、目前で進行する福島の危機から目をそらさずに、脱原発への道筋を示しつつ、再生可能エネルギー中心の街と暮らしの未来図を描いて見せるべきである。
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ストレステスト 「再稼働」優先が過ぎる
中日新聞【社説】2011年7月7日
 テストします、結果は合格と決まっています。海江田万里経済産業相が打ち出した原発のストレステストとは、そんな話ではないか。付け焼き刃の政策続きでは、不安を膨らませかねない。
 ストレステスト(耐性試験)では、全原発を対象に、最悪の災害などにも耐えられるかどうかを考査する。
 欧州連合(EU)は福島第一原発被災直後にその必要性を表明し、域内すべての原発を対象に、六月から始めた。地震や津波、航空機事故などに対し、核燃料の格納容器や冷却機能がどれだけ持ちこたえられるかを確かめる。中間報告までに約三カ月かけるという。EUは閣僚級会合で、ストレステストは安全性確保の「第一歩」と位置付けた。
 ところがである。当の日本政府は、定期検査で停止中の九州電力玄海原発運転再開への動きに合わせたように、それを持ち出した。
 その上、経産省は、検査の結果は再稼働の条件にはならないとの見解を示している。菅直人首相も、きのう国会で再稼働との関連を追及されると、あいまいな答弁に終始してしまった。これでは何のためのテストか分からない。合格を決めた受験生に、形ばかりの入試を受けさせるようなものではないか。まさに本末転倒だ。
 テストの方法や項目などは、その経産省の機関である原子力安全・保安院などが決めるという。原発の安全性を高めるためには、経産省から切り離すべきだと指摘されている機関である。こんな試験をだれが信用できよう。
 震災後に各電力会社に必要とされた緊急対策も、計画段階にあるものや、完了までに数年かかるものも少なくない。テストをするというのなら、たとえば第三者の専門家集団が一から見直したテスト基準をつくり、“合格”したものから再稼働を審査するというのが、正しい順序でないか。
 玄海原発の地元、玄海町や佐賀県は再開容認へ動きだしていた。しかし、隣県の長崎や周辺自治体の首長、住民には、拙速な再稼働を不安視する声が強まっている。ストレステストは、こうした不安や疑問を真摯(しんし)に受け止め、それらを解消するために実施されるべきである。
 そもそも方針のあいまいさが問題だ。国民の不安と疑問の根底には、政府が、自然エネルギーの普及や発送電の分離といったエネルギー政策の未来図を、いつまでたっても示せないことがある。
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高レベル放射性廃棄物、危険性が消えるまでには十万年/文明転換へ覚悟と気概2011-05-09 | 地震/原発
文明転換へ覚悟と気概 週のはじめに考える
中日新聞【社説】2011年5月8日
 東日本の巨大地震からまもなく二カ月。連日の余震となお遠い復興への道のり。私たちが問われているのは、文明転換への覚悟と気概のようです。
 なかば義務感にかられて、北欧フィンランドに建設中の放射性廃棄物最終処分場「オンカロ」を題材にしたドキュメンタリー映画「100、000年後の安全」を見に出かけました。
 多くの国際賞受賞のこの記録映画の配給元は「アップリンク」。今秋公開の予定でしたが、四月、東京・渋谷の自社劇場で上映したところ連日の行列と満席、全国各地の五十館以上での上映へと広がっていったそうです。前例のない反響、福島第一原発事故で国民が原発問題に真正面から向き合うようになったことがわかります。
 高レベル放射性廃棄物は世界に二十五万トン、危険性が消えるまでには十万年。「オンカロ」はフィンランド語で隠し場所を意味します。廃棄物を凍土奥深くの岩盤に埋め込む世界初の試みです。管理可能か、明快な回答を持ち合わせる専門家はいませんでした。
*人間支配が及ばない
 日本列島が現在の形になったのは一万年前、人類が文明をもったのはたかだか五、六千年前です。十万年は人間のリアルな思考や言葉が及ぶ時空域ではありません。人間が制御できないという絶望感。静かな画面は、人類が手にしてしまった原発の恐怖と不気味さを伝えていました。
 続いて、菅直人首相が浜岡原発の全炉停止を要請しました。法的手続きではない政治判断でした。
 東京から百八十キロ、名古屋から百三十キロ。東海地震想定域の真上の浜岡原発は「世界で最も危険な原発」と呼ばれてきました。事故の場合の被害は福島原発の比ではなく、首都圏の一千万人の避難や首都喪失も想定されました。
*やむをえぬ浜岡の停止
 マグニチュード9・0の巨大地震は、日本列島を東西に数メートル引き伸ばし、首都直下型や東海、東南海・南海地震誘発が憂慮されます。浜岡原発停止はやむをえぬ判断でしょう。全原発に及ぼすべきかどうか、そこが問題です。
 浜岡を含め日本の原発は五十四基、電力の30%を占めるようになっています。すでに原油枯渇の兆候があり、太陽光や風力のクリーンエネルギーへ転換させるにしろ、先行きはなお不透明です。電力の安定供給のためには原発は不可欠という状況です。
 原発停止による生活レベルの一九七〇年代への後退は許容できるにしても、グローバル競争の落後者になる恐怖に打ち勝てるかどうか。私たちは無限の成長を前提にした近代世界の住人。文明転換の勇気をもてるかどうかです。
 地質学の石橋克彦神戸大名誉教授は、地震と原発が複合する破局的災害・「原発震災」の概念や言葉を提唱、浜岡原発の廃炉を訴えるなど警告を発してきました。
 「世界」や「中央公論」の誌上には「日本列島全域が今世紀半ばごろまで大地震活動期」「原発は完成された技術ではない」「人間の地震に関する理解は不十分」「地震列島に五十基以上の大型原子炉を林立させることは暴挙」とも書いています。警告通り、福島原発の大損傷が発生してしまいました。
 「原発震災」は人間存在への問いかけだったのでしょう。教授が提言したように原発総点検、リスクが高い順の段階的閉鎖・縮小が現実路線のように映ります。世界観を変えるには覚悟と決意、気概がいります。
 日本を代表する東北の農漁業。その被害も甚大でした。食料問題も原発に劣らない不安で重大な問題。世界の食料品価格が高騰、二〇〇八年のリーマン・ショック時を上回っているからです。
 食料価格高騰は投機と「将来の供給不足懸念」が要因とされるだけに深刻です。コメと野菜こそ90%台と80%台の自給率を保っているものの、小麦は10%台、大豆やトウモロコシはほとんど輸入しています。命にかかわる問題です。農業の復興と立て直し、食料の自給は急務です。
*新しい幸せと充実が
 失われたコミュニティーの復元や修復も大切なテーマ。震災は、私たちがそれぞれが独立しながらも、結局は支え合い、助け合って生きていくものだ、ということをあらためて気づかせてくれました。それは、ボランティアに向かう若者の行動にも表れました。
 極限状況にあっても、人間はなお優しさや思いやり、勇気や忍耐を示す存在でした。献身や自己犠牲も。それは私たちの未来へ向けての大きな希望でした。
 経済的繁栄や快適な生活とは別次元の幸せと充実。それが追い求める内容かもしれません。私たちは歴史の転換点に立っているのかもしれません。 *背景色着色は来栖
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「オンカロ」地下500㍍ 核のごみ隠す/原発から出た放射性廃棄物を、無害になるとされる10万年後まで保管2011-06-01 | 地震/原発

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