そこは〝死の灰〟が降る戦場だった/もたれ合い原発ムラの科学者たちはテレビに出るのではなく、現場へ行け

2011-04-16 | 政治

「そこは〝死の灰〟が降る戦場だった」作業員が語る福島第一原発の内部!
現代ビジネス 2011年04月16日(土)フライデー 経済の死角
 手前が、最も損傷の激しい3号機。鉄筋がぐにゃぐにゃに曲がっている。後方の4号機も、3月15日と16日に大きな火災を起こしている 
「作業中は、白煙が絶え間なく出ていた2号機が爆発するのではと不安だった」「お前ら、死ね」と言い放った元請け会社社員、10人に1人しか渡されない放射線測量計、そして通常の1万倍の被曝量!
「原発内部で私が目の当たりにしたのは、想像を絶する凄まじい現実です」
 福島第一原発で働き始めて7年になるという30代の男性A氏は、同所で受けた衝撃を抑えられない様子で語った。
「『何だこれは・・・』と、言葉を失いました。テレビでも福島第一原発の映像を流していますが、ひどさはあんなものではありません。水素爆発を起こした1号機や3、4号機の鉄筋はぐにゃりと曲がり、まるで爆撃を受けたようです。鉄筋の直径は20cm近くもあります。
 そんな太い鉄の棒が何十本も飴細工のように曲がってしまうほど、爆発の威力が凄まじかったのでしょう。地上もひどい状況です。1号機近くには原発内の移動用のバス停があるのですが、その前には高さ10mはあると思われる重油タンクが吹き飛ばされ、黒焦げになって道を塞いでいました。
 地面を覆っていたのは、瓦礫ばかりではありません。津波で押し流されてきた魚の無数の死骸が、散乱しているのです」
 A氏は福島第一原発で電気設備関係の仕事に従事する、東京電力(以下、東電)の協力会社の中堅作業員だ。3月11日に起きた東日本大震災の影響で一時福島県外に避難したが、上司の要請で再び福島第一原発に戻って来たという。
 東電や政府が限定的な発表しかしないため、福島第一原発内部の詳しい状況はいまだに不明のままである。一体、原発では何が起きているのか。A氏の証言から、その驚愕の事実を明らかにしよう。
「私が福島第一原発に戻ったのは、3月25日の午前中でした。数日前に上司から電話で『また作業をしてくれないか』と言われ、それを受けたのです。放射性物質の濃度が高く、とても危険な状況にあることは報道で知っていました。でも私たち作業員が行かなければ、原発の状況は悪化するばかりです。私には、妻も子供もいます。家族に相談すれば反対されるのは明らかだったので、妻には『今度は福島県広野町の火力発電所に行くよ』と嘘をついて安心させました」
 A氏は3月25日の朝、まず避難先の埼玉県から自分の車で福島県へ向かった。指定された集合場所に行くと、20人ほどの作業員が集まっている。バス2台に分乗してA氏らが次に向かったのは、原発事故対応の前線基地となっている日本最大のサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県双葉郡楢葉(ならは)町)だ。だが、そこでA氏は思いもよらない扱いを受ける。
「Jヴィレッジで作業員は元請けの企業ごとにバスを乗り換えるのですが、私の親会社である大手電機メーカーの社員の態度はひどく高圧的でした。私たちが到着するなり、『今来た人たちは東電? 東芝? 日立?』と乱暴な口調で詰問するのです。啞然としていると、彼は『さっさと防護服に着替えて!』とまくし立ててきます。
 さすがに腹が立って、私は彼に詰め寄りました。『これから危険な場所に行く人間に対し、その態度はないんじゃないですか。どのバスに乗ればいいのか知りたいのは俺たちなんだから、もっと言い方があるでしょう』と。すると彼は謝るどころか無言で歩いて数mほど離れたかと思うと、こう言い放ったんです。 『悪かったな。お前ら、死ね!』
 被曝覚悟で仕事にあたる作業員に対し、この暴言は許せません。私たちは『こんな屈辱を受けてまで危険にさらされたくない』と、そのまま乗ってきたバスで帰ろうとしました。すると暴言を吐いた社員の上司が飛んできて、『帰られては、今後の作業員の動員に支障をきたす。何とか残ってください』と何度も謝ります。
 暴言社員も上司に『来てくれた人に対して何を考えているんだ、慎め!』と激しく叱責され謝罪したので、私たちは帰ることを思いとどまり、元請け会社の用意したバスに乗り込んだんです」
「すぐに首を拭いて!」
 バスが福島第一原発から20km圏内にある富岡町に入った時点で、A氏たちはフィルター付きマスクを着用。福島第一原発に到着すると、さっそく機材を用意して、元請け会社の指示通りに1号機へ向かった。そこで見たあまりの惨状に、A氏は我が目を疑ったという。
「見慣れた福島第一原発の様相は、半月ぶりに訪れると一変していました・・・。敷地内の重油タンクは津波のために大きく凹み、4号機近くにあった重量200tのクレーン車も踏み潰されたようにぐしゃぐしゃに壊れていたんです。戦場のような光景です。周囲には消防車が不規則に停まり、散在したホースが行く手を遮っています。1号機へ向かうにも、大きく迂回せざるを得ませんでした」
 ようやく作業に取り掛かったA氏だが、妙なことに気づく。パラパラと、白い小さな物体が降り注いでいるのだ。
「最初は雪かなと思いましたが、よく見ると灰なんです。2号機からは絶えず白煙が上がっていたので、中で何かが燃え続けていたのでしょう。雪と勘違いしたのは、放射線量の強烈に高い2号機からの粉塵だったのかもしれません。まさに 〝死の灰〟です。もしマスクをしないで作業をしていたら・・・。考えただけで、背筋が寒くなります」
 高濃度の放射線の中では、長時間の作業はできない。A氏たちは20~30分ほどで仕事を切り上げ、「免震棟(めんしんとう)」と呼ばれる、耐震機能が強化され放射線を遮る特別な素材で覆われた敷地内の建物へ、昼前に引き上げた。建物の中に入り防護服を脱ぐと、一人ひとりの作業中の被曝量を計測するのだが、A氏はそこで自分が大量の放射線を浴びていたことを知る。
「私の防護服は、首回りの部分が完全には閉まらない状態でした。他の作業員はテープを巻いていましたが、私はそうした補強もしなかったんです。それがいけなかったのでしょう。免震棟に戻り放射線量をチェックした保護官が、計測器に表示された数値を見て慌てて叫ぶんです。『アルコールで湿らせたタオルで、すぐに首を拭いてください!』
 私は『被曝してしまったのか』とパニック状態になり、言われるがままに、その特別なタオルでごしごしと首を拭きました。直後に保護官が計測し直すと、どうやら問題なかったようで『数値は下がりました』とホッとしていましたが、私は安心できるはずがありません。身体が汚染されてしまったのではないかと、今でも不安でならないのです」
 A氏の知り合いの作業員の中には、3号機のタービン建屋近くのマンホールを開けるために、4ミリシーベルトの放射線を浴びた人がいる。わずか4分ほどの作業だったという。A氏が昨年1年間で浴びた放射線量は、約0・03ミリシーベルト。この作業員の4ミリシーベルトという被曝量は、昨年150日ほど働いたA氏の1日あたりの被曝量、いわば通常の被曝量の1万倍以上になるのだ。
日当40万円はありえない
 それほど危険な状況での作業にもかかわらず、東電の対応は、かなりズサンなものだった。
「普段は、『APD』と呼ばれる警報付き放射線測量計の携帯が全員に義務づけられているのですが、今回は違いました。何と、10人に1人しかAPDを渡されないんです。担当者は『数が足りない』の一点張り。1m離れていれば、放射線量がまったく違うような現場です。自分たちがどれほどの放射線を浴びているのか分からず、私たちは不安にかられながら作業を続けていました。しかもAPDは設定された放射線量を超えると警報が鳴る仕組みになっているのですが、その設定値が通常なら0・03ミリシーベルトなのに、今回は2.5ミリシーベルトだったんです。明らかにおかしい。
 1日目の作業を終え、私たちは免震棟で支給された弁当を食べましたが、気が気ではありません。『東電は、俺たちの被曝量をごまかしているんじゃないか』『本当は測定できないほど大量の放射線が出ているのかもしれない』。作業員はみな不安を口にし、表情は曇っていました」
 作業を終えたA氏らは、夕方、バスでJヴィレッジに戻る。そして周囲の温泉旅館などに分かれ、大部屋で数人ごとに宿泊。翌日は早朝5時に出発し、前日同様午前中に20~30分ほど作業に当たった。
「仕事は2日間の予定でしたが、機材などの調達が遅れ元請け会社の所長に『もう1日だけお願いします』と頼まれたため、結局3月27日まで福島第一原発にいました。東電の社員も現場にいましたが、作業員任せで特に指示はありません。私たちは淡々と仕事をこなしていました。
 私たち作業員の詰め所になっていた免震棟にはテレビがあり、枝野幸男官房長官が『原発は安全だ』と繰り返しているのを聞きましたが、『何を言っているんだ』という気分でしたね。原発内の凄まじい現状を知らないのに、よく安易に『安全だ』なんて言えるものだと。
 免震棟には500人ほどの作業員がいましたが、過酷な労働環境と被曝への不安から、みんな疲弊していました。廊下にも人が溢れ、作業を終えるとJヴィレッジへのバスを待つ数時間、疲れた顔をして無言で座っているんです。一部では『震災後の作業員は日当40万円で雇われている』という報道がありましたが、私の知る限りそんな契約で来た人はいません。私の日当は1万5000円ほどですが、元請け先からは『いつもと変わらないように請求してください』と言われています」
 東京の「安全な」会見場で福島第一原発の状況を発表している政府や東電幹部は、A氏の明かす「原発内部の惨状」をどう受け止めるのだろうか。これほど危険な状況で作業に従事しながら、A氏は「要請されれば、また福島第一原発に戻ります。私たちの他に誰もやる人はいませんから」と力強く語った。
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災害派遣の自衛隊員死亡=宿営テントで倒れる―陸自 
時事通信社 4月15日(金)17時47分配信    陸上自衛隊は15日、東日本大震災で災害派遣中だった八戸駐屯地(青森県八戸市)第9施設大隊に所属する40代の男性1曹が岩手県遠野市の宿営地で倒れ、同日未明に搬送先の病院で死亡したと発表した。今回、災害派遣された自衛隊員の死亡は2人目。防衛省は同日付で、1曹を曹長に特別昇任させた。
 陸自によると、1曹は地震が発生した3月11日から遠野市に派遣され、重機や車両の配備調整任務に当たっていたが、4月10日午後11時半ごろ、宿営テント内で倒れているのを同僚が発見。盛岡市の救命救急センターに運ばれた後、脳出血で死亡した。
 1曹は派遣期間中、休日を9日取っており、6日の健康診断では公務継続に支障はないと診断されていたという。
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災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声/戦争ではないが、この国は間違いなく長期戦の最中にある2011-04-14
福島第一原発:報道をはるかに超える放射能 死を覚悟する自衛官2011-03-18
福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」2011-04-08 | 地震/原発 
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そんなに「安全」と言うのなら、テレビに出るのではなく原発ムラの科学者たちは現場へ行け! 君たちにも責任があるだろ
2011年04月15日(金) 週刊現代 経済の死角
 自分たちでさんざん安全だと言って作っておいて、いざ壊れたら今度は「それでもたいしたことないから大丈夫です」って、どういう神経なのか。御託はもういいからあの「化け物」を止めて来てくれ。
東電から東大に5億円の寄付
「原子力安全・保安院」に「原子力安全委員会」と「原子力委員会」、さらに連日のようにテレビに登場する科学者たち。
 しかし、会見やテレビでの彼らの解説を聞くと、どうしても違和感が拭えない。「ただちに健康に影響はない」と連呼しているのに、日々伝わってくる原発の状況は、好転の兆しが一向に見えないからだ。現にチェルノブイリ原発事故の影響について調査しているロシアの科学者アレクセイ・ヤブロコフ博士は、ワシントンで会見して、こう語っている。
「日本政府は、国民に対して放射能被害を過小評価している」
 こんな発言と、我々がテレビで聞く話には雲泥の差がある。たとえば、NHKに出ずっぱり状態の関村直人東京大学大学院工学系研究科教授。
「燃料のごく一部が溶けて漏れ出たと思われるが、原子炉はすでに停止しているうえ、冷やされている状況だ。冷静な対応を」
「炉心溶融(メルトダウン)はありえない」
「冷却水が漏れている可能性は低い」
 最近、メディアへの登場回数が増えている中島健京大原子炉実験所教授は、何を聞かれても「まず、大丈夫でしょう」と繰り返し、プルトニウムの漏出についても「プルトニウムは重いので、遠くまで飛ばないから安全」と語っていた。
 ところが、その後の原発の状況は、彼らの発言のほとんどが楽観的な願望に過ぎなかったことを証明した。なぜ、そんなことが起きるのか。それは、彼らが原子力政策を支持・推進する「原発ムラ」の住人だからである。
 関村教授は、経産省の原子炉安全小委員会の委員を務めるなど、経産省との関わりも深い。同時に関村教授が所属する東大大学院工学系研究科には、東電から「寄付講座」名目で約10年にわたり合計5億円ほどのカネが流れている。東大にとって、東電は大スポンサーなのだ。中島教授も関村教授とともに核燃料サイクル安全小委員会の委員を務めたり、文科省の原子力安全技術アドバイザーをしていた。
「原子力分野では、東大工学部と東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の科学者たちが3大勢力です。京大には原発の危険性を訴えている研究者グループもいますが、彼らは昇進やポスト配分などで冷遇されていて、テレビ局なども敬遠しています。原発推進派の研究者でないと研究費も付かないし、電力会社からの寄付ももらえない。彼らが『安心です』と繰り返すのは当然のことでしょう」(全国紙科学部記者)
 原発ムラは、かねてから産・官・学一体となった共同体だと言われてきた。その詳細は後述するが、テレビで解説しているような教授たちは、いわば「ムラの新人」に過ぎない。その背後には強固なネットワークが築かれている。
 経産省OBが語る。
「原発ムラの中心メンバーは東大大学院工学系研究科で原子力を専攻した人たちです。そのなかにもヒエラルキーがあって、もっとも成績が良く、教授からの受けがいい人間が大学に残る。次は日本原子力研究開発機構(旧・動燃)のような政府系研究機関に行く。3番目が日立、東芝、三菱といった原子力プラントメーカー。4番目が電力会社で、最後が経産省や文科省の役人になる。
 彼らに共通するのは、『日本は核兵器を作る能力を持っている』という自負で、自分たちこそが技術系の最先端だと信じています。大学時代から先輩が後輩を指導する形で、同じような考えを持った人々を脈々と原発ムラに送り込んできた」
 この発言を裏付けるように、原発推進側の原子力委員会委員長・近藤駿介氏(68歳)は東大大学院工学系研究科修了の東大名誉教授。規制側の原子力安全委員会委員長の班目春樹氏(63歳)も同じ大学院を修了、東大教授を経て、現在のポストに就いている。
 原発ムラの一員として純粋培養された人々は、推進側も規制側もまったくの同根で、原発の安全性を声高に叫び、危険性を過小評価する。こうして、原発行政の関係者は、揃いも揃って推進派という現在の状況が生まれたのである。
 '01年に経産省の外局として作られた原子力安全・保安院も、こうした状況を打開するどころか、発足当初から実効性には疑問符が付いていた。
「経産省はもともと原発を推進する立場で、年に一度くらい全国の電力各社幹部を集めて懇親会を開き、『原子力の開発をお願いしますよ』と要請する。電力各社幹部たちは自社の推進計画について説明します。そんな経産省の傘下に保安院のようなチェック機関があること自体がおかしい。アメリカの場合は、原発を推進するのはエネルギー省(DOE)、規制するのは連邦原子力規制委員会(NRC)と、それぞれ独立した組織が担っています。推進と規制が同じ省の管轄になっている日本の体制が不自然なのです」(原発に詳しい『エンジニアリング・ビジネス』編集長の宗敦司氏)
立ち入り検査も馴れ合い
 また、保安院は経産官僚たちの人事異動でメンバーが替わる。
 たとえば、保安院のスポークスマンとして連日会見に出ている西山英彦審議官にしても、原子力は専門外。今回の事故が起きるまではTPP(環太平洋パートナーシップ協定)担当だった。西山氏は20年間で20人以上の死者を出したパロマ瞬間湯沸かし器の一酸化炭素中毒事故の事後処理を担当したことがあり、「省内きってのトラブルシューター」(経産官僚)として会見を任されただけのことである。
 これは西山氏に限ったことではなく、保安院発足に備えて検査官の約半数に当たる52名を、原発のプラントメーカーなどから中途採用したのも、急場を凌ぐためだった。国会でも問題になったこの中途採用だが、彼らの専門知識は原発の安全性を高めるために使われるどころか、現実には「仲間意識」から互いにかばいあうばかりで、まともな検査すらできない状態だという。
 前出の経産省OBが明かす。
「保安院の検査官は、原発で問題が起きたときに立ち入り検査をします。その際の検査マニュアルはプラントメーカー出身者らが作ったもの。彼らは自分たちが原子炉を設計しているわけで、どこを調べられるのが電力会社にとって嫌か、よく分かっています。だから、安全と分かっている部分ばかりを意図的に検査項目に挙げたりする。それで実際の検査はノンキャリアの技術系官僚が、電力会社の社員から『ご指摘の部分はこのように安全です』と説明されて、別室で高級弁当を振る舞われて終わり。電力会社にとって、保安院の検査は恐るるに足りません」
 もう一つの規制機関、原子力安全委員会も、5人のメンバー中、前出の班目委員長を筆頭に、久木田豊氏(63歳)、小山田修氏(64歳)の3名が東大大学院工学系研究科出身。久木田氏は日本原子力研究所、小山田氏は原発プラントメーカーの日立製作所などを経て、現在に至っている。
 なかでも、班目氏の危機意識の低さは驚かされる。'07年2月の中部電力浜岡原発を巡る訴訟に、現役東大教授だった班目氏は、中電側証人として出廷。今回、福島原発で起きたように、地震などで非常用電源がすべて使えなくなる可能性を問われ、「すべての電源が喪失するようなことを想定していては、原発はつくれない」などと証言した。こんな人物が原発の安全性を監視する原子力安全委員会のトップなのである。
「班目氏は地震発生直後に菅直人総理に呼ばれ、『原発が爆発するような危険性はないのか』と問いただされた。それに対して『大丈夫です。水素はありますが爆発するようなことはありません』と答え、菅総理が『水素があるんなら、爆発するだろ!』と激怒。菅総理に引っ張られて3月12日に現地視察しましたが、その日のうちに水素爆発が起きたのは周知の通り。記者たちの間では『班目ではなく、デタラメ』と言われている」(全国紙政治部記者)
原発事故でムラは崩壊寸前
 原発ムラには他に、経産省や文科省が所管する各種団体がある。これらの団体のトップたちは、経産大臣の諮問機関である「総合資源エネルギー調査会」の原子力部会(会長は東大大学院工学系研究科の田中知教授・60歳)に所属し、原子力行政を牛耳っている。
 たとえば、前原子力安全委員会委員長で、班目氏の東大の先輩に当たる鈴木篤之東大名誉教授(68歳)は、昨年8月、日本原子力研究開発機構の理事長に就任した。同機構は'95年にナトリウム漏出事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」を管理している。言ってみれば、規制側のトップがそのまま推進側のトップに横滑りしているのである。
 上の相関図(略=来栖)にあるように、各団体のトップには官僚の天下りや、電力会社、原発プラントメーカーのOBが多い。これを見れば、東電など電力メーカーも、学者や官僚たちと関係を強化しようとしてきたのは明らかだ。
「東電の関係会社は258社ありますが、あらゆるところに官僚OBを受け入れてきた。原子力行政はすべて役所の許認可がなければならないからです。今年1月には4カ月前に資源エネルギー庁長官を辞めたばかりの石田徹氏を顧問に迎え、国会で批判された。今回の事故がなければ、石田氏は6月には副社長になる予定でしたが・・・」(東電幹部)
 役所、企業、科学者までがズブズブの運命共同体となって生きてきた原発ムラも、福島原発事故をきっかけに、いまや崩壊寸前だ。別の東電幹部が語る。
「ウチの対応も悪いが、役所の対応はもっとお粗末です。我々は彼らの許認可を受けてやってきたのに、保安院の会見は、ウチが全部悪いような言い方です」
 一方、3月30日に行われた東電・勝俣恒久会長の会見後、記者会見した原子力安全委員会の面々は、勝俣会長が原子炉の状態について「一定の安定を見ることができた」と発言したことについて、「何が起こるか予断を許さない、そういう状況がまだ続いているというように思うのが普通だと思います」などと批判した。
 ちなみに班目委員長は、福島第一原発2号機から、放射線により高濃度に汚染された水が漏れていることが判明した3月28日、解決法を問われ、専門家とは思えない発言をしている。
「どのような形で処理できるか知識を持ち合わせていない。原子力安全・保安院で指導していただきたい」
 だが、保安院がアテにならないのは前述の通り。なんのことはない。事故発生直後こそ、「素人には何もわからないだろう」と言わんばかりに「安全」を繰り返してきた原発ムラの科学者たちだが、彼らが言う「想定外」の事態を前に、責任のなすりつけ合いをしているに過ぎない。
 電力マネーという甘い汁に浸りきったムラを守るため、暴走する原発の実態を隠し続けた罪は重い。「安全」「健康に影響がない」なら、まず自らが今すぐ現地に行くべきだろう。それが、科学者としての最低限のモラルではないか。
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