陸山会・西松建設事件判決に見る危うさ 調書主義を転換、裁判官の印象・推認で黒白を決するようになった

2011-09-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

〈来栖の独白2011/09/28Tue.〉
 司法は、危ういところに差し掛かっている。換言するなら、われわれ市民が、危うい領域に踏み込んだ。
 昨日の判決文を読んでみて感じたことは、裁判所は従来の調書主義・証拠主義を転換し、裁判官の「印象」「推認」で黒白を決するようになったな、ということだ。
 6月、地裁は被告らの供述調書の検察側証拠請求を大幅に斥けた。大阪地裁特捜部の証拠改竄事件で、供述調書の信用性が揺らぎ、取り調べのあり方に問題が投げかけられたからだ。
 取り調べに誘導や脅しは、勿論あってはならない。「全面」可視化は必要だ。
 しかし、こうなってみると---検察官の挙証責任(推定無罪)を放棄されてみると---、被疑者の声(事件発覚直後)を聞く貴重な場も失われたことに、私は気づく。
 勝田事件の場合だが、彼は人間味ある山崎刑事ら捜査官に心を許し、事件は無論のこと、自己の生い立ちから身辺のこと、心の機微まですべてを聞いてもらおうと望んだ。「僕は、ほかにも人を殺しています」と取り乱して叫ぶ勝田の心を、最初は思いもかけない告白に驚きながらも優しく慰撫してくれたのは刑事たちだった。
 ほかの事件においても、そういった、刑事と被疑者の、(こういってはへんに聞こえるかもしれないが)人間的な交わりの場があったのではないか。そういうところから、被疑者は自己の罪に気づいてもゆくのだろう。
 そのような捜査当局なら、昨日の東京地裁判決を読めば、「やってられない」と感じるのではないだろうか。
 裁判所は、調書主義を捨てた。裁判員裁判とも相まって、これからは法廷が益々「印象(感情)」「憶測」の支配する場となっていくだろう。私たちは、まず身だしなみにも気をつけなくてはいけない♪ 「怪しい」と思われて身柄を引っ張られたら最後、言い訳は通用しない。すべて「感情」が支配するのだから。そして、裁判所のポチであるメディアは、裁判所の言うとおりに書く。
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6割で重要証拠発見=「信頼関係で自白」7割2011-10-20 | 社会
6割で重要証拠発見=「信頼関係で自白」7割-取り調べ実態調査・警察庁

 殺人などの凶悪事件で、容疑者の取り調べの結果、死体や凶器などの重要な証拠を発見したのは6割に上ることが20日、警察庁のまとめで分かった。事件捜査で、取り調べが重要な役割を果たしている実態が浮き彫りになった。
 取り調べをめぐっては、民主党の議員連盟や日弁連が、全過程の録音・録画(可視化)を主張。これに対し同庁は、容疑者との信頼関係が築けず、自白が得にくくなるなどとして慎重な姿勢を示している。
 同庁は、殺人や強盗事件を調べる全国の捜査本部が昨年中に解決した56事件、容疑者86人の取り調べ状況などを取調官を対象に調査した。
 調査では、32事件(57.1%)で取り調べが重要証拠の発見につながったと回答。内訳(複数回答)は、凶器が26件、被害品が10件、死体が5件などで、いずれも取り調べをしなければ発見されなかったとみられる。
 容疑者のうち自白した57人について、そのきっかけも複数回答で調査。「取調官との信頼関係」が最多の68.4%で、次いで説得や追及など「取り調べの技術」が50.9%、「罪の意識」が47.4%だった。(時事通信2011/10/20-10:11)
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陸山会事件:元秘書3人に有罪 知事、小沢元代表擁護 批判強める県議会野党 /岩手
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、東京地裁が26日、元秘書3人に政治資金規正法違反(虚偽記載)で有罪判決を下したことを受け、県内では関係者から擁護と批判の声が上がった。
 民主党籍を持つ達増拓也知事は県庁で記者団の取材に応じ、今回の判決について「無罪になると思っていたので驚いた。客観的事実に基づいて(審理されれば)有罪にはならないケースと思っている」と述べた。民主党県連の佐々木順一幹事長も「(元秘書の)控訴審での無罪を信じて県連としての活動を行っていきたい」と話した。
 小沢元代表は、元秘書と同じ事件で強制起訴され、10月6日に初公判を迎える。達増知事は「政治の中で非常に重要な役割を果たしてきた人を巡る裁判で、司法関係者はしっかりした根拠に基づいて事実関係を認定してほしい」と擁護した。
 一方、県議会の野党会派は批判を強める。自民党県連の千葉伝幹事長は「県民の小沢元代表に向ける目は厳しくなった」と話し、地域政党いわての飯沢匡代表も「国民の政治不信を強める結果になった」と批判した。
 小沢元代表の地元後援会は、平静を装いながらも動揺の様子は隠せなかった。ある後援会関係者は「裁判所が(共謀を認めていた)被告の供述調書を却下したので、(無罪を)期待したのだが。厳しい判決だ」と戸惑いの表情を浮かべた。そのうえで、「我々は小沢先生を信じている。(小沢元代表の)公判に影響が出るかもしれないが、ずっと支えていくつもりだ」と話した。【宮崎隆、湯浅聖一】毎日新聞 2011年9月27日 地方版
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【佐藤優の眼光紙背】石川知裕衆議院議員に対する第一審有罪判決について
2011年09月27日08時30分
佐藤優の眼光紙背:第117回
 9月26日、東京地方裁判所は、小沢一郎・元民主党代表の政治資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記入)容疑で起訴された元秘書・石川知裕氏(衆議院議員)ら3人に執行猶予つきの有罪判決を言い渡した。土地取引事件で起訴された石川氏が禁錮2年執行猶予3年(求刑・禁錮2年)、後任の元事務担当秘書・池田光智氏(34)が禁錮1年執行猶予3年(求刑・禁錮1年)。会計責任者として、西松建設の違法献金事件でも起訴された元秘書・大久保隆規氏(50)に関しては、土地取引事件の一部は無罪としたうえで、禁錮3年執行猶予5年(求刑・禁錮3年6カ月)という判決が言い渡された。
 今回の判決は、検察の完全な勝利だ。筆者は、この裁判を「誰が日本国家を支配するか」という問題を巡る政治エリート内部の権力闘争と見ている。もっともこの権力闘争に加わっている個々のプレイヤーは自らが果たしている社会的、歴史的役割を自覚していない。検察庁は「国家は資格試験で合格した偏差値エリートが支配するべきである」と考える官僚階級の集合的無意識を体現している。これに対して、「小沢一郎」という記号が、民意によって代表された政治家を代表している。ここで、実際に小沢一郎氏が民意を体現しているかどうかは重要でない。官僚から見れば、国民は無知蒙昧な有象無象だ。この有象無象から選ばれた国会議員は無知蒙昧のエキスのようなものだ。資本主義社会において、カネと権力は代替可能な関係にある。カネの力で無知蒙昧な有象無象の支持を取り付け、国家を支配しようとする「小沢一郎的なるもの」を排除しないと、日本が崩壊するという官僚階級の危機意識から、この権力闘争は始まった。
 2009年11月、石川氏から筆者に電話がかかってきた。司法記者が石川氏の秘書に「検察が『石川は階段だ』と言っています」と伝えてきたので、その読み解きに関する相談だった。筆者は、「要するに石川さんという階段を通じて、小沢幹事長にからむ事件をつくっていくという思惑なのでしょう。これは僕にとってとても懐かしいメロディです。2002年6月に鈴木宗男衆議院議員が逮捕される過程において、『外務省のラスプーチン』こと私が『階段』として位置づけられていたからです」と答えた(2009年11月24日付眼光紙背「特捜検察と小沢一郎」参照)。
 今回の地裁判決は、あれから約2年かけて、官僚階級の利益代表である検察が、きちんと仕事をしたということの証左だ。今回の事件における政治的争点は、政治資金収支報告書不正記入の問題ではなく、石川氏を経由して、5000万円、大久保氏を経由して5000万円の計1億円という巨額の裏金が小沢氏に渡っているか否かという事実の有無だ。この点について、朝日新聞はこう記す。
 登石郁朗裁判長は判決理由の中で、小沢事務所がゼネコンと癒着して政治資金を集めていた実態を指摘し、裏金受領の事実まで明確に認めた。
 そのうえで判決は、「政治活動や政治資金の流れに対する国民の不信感を増大させた」と述べた。10月6日に初公判がある小沢氏本人も、政治的・道義的な責任を問われそうだ。(9月27日asahi.com)

 それならば、検察庁はなぜ1億円の裏金について石川氏、大久保氏、そして小沢氏を起訴して、刑事責任を追及しないのだろうか? どの新聞記事を読んでも合理的説明がない。事実ならば、これこそまさに巨悪ではないか? 巨悪を追いつめることができないほど検察庁の捜査能力は低いのだろうか? それとも裏金で起訴しても公判を維持できる自信がなかったのだろうか?
 石川氏は、水谷建設からの5千万円の授受を取り調べ段階から一貫して否認している。筆者には石川氏が嘘をついているとは思えない。本件について、石川氏は著書『悪党 小沢一郎に仕えて』(朝日新聞出版、2011年)で、説明責任を果たしている。検察側主張、裁判所の判断と石川氏の著書を読み比べて、問題を虚心坦懐に評価しなくてはならない。
 マスメディアは、本件を政局に発展させたいようだ。読売新聞の記事を引用しておく。
小沢氏の求心力低下避けられず…元秘書有罪判決
 民主党の小沢一郎元代表の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反事件で、石川知裕衆院議員ら元秘書3人が有罪判決を受けたことで、同党内で最大の120人の勢力を誇る小沢グループに動揺が走った。
 8月の代表選を機に影響力を強めたと指摘された元代表の求心力低下は避けられない情勢で、復権への道はさらに険しくなったといえそうだ。
 小沢グループは当初、東京地裁が違法な取り調べを理由に3人の供述調書の一部を却下したことで、「元秘書3人は無罪になる。小沢氏も無罪を勝ち取り、来年9月の党代表選に小沢氏が出馬する」とのシナリオを描いていたが、こうした楽観論は消えうせた。
 同グループの一川防衛相は26日、石川議員らの判決を受け、防衛省内で記者団に「(裁判の行方を)注視していくことに尽きる。特に感想はない」と言葉少なに語った。東京地裁が政治資金収支報告書の虚偽記載だけではなく、西松建設からの違法政治献金を認定したことに関しても、グループからは「元代表の公判に影響する可能性がある。心配だ」と懸念する声も出た。(9月27日読売新聞電子版)

 筆者は、司法の判断と政治家に対する評価は、原理的に区別すべきであると考える。国家と社会は、そもそも出自を異にする。司法は国家に属する機能だ。これに対して、社会を代表する国会議員は、国家権力を監視し、抑制することが任務だからだ。
 それに無罪推定の原則が、近代国家、近代市民社会の基本的なゲームのルールだ。石川氏は第一審判決を受け入れず、争う意思を表明している。野党が、司法判断を理由に、民主党攻撃の道具に、無罪推定の原則を踏みにじるゲームをすると、そう遠くない将来にブーメランが野党にかえってくる危険がある。
 筆者自身の小沢一郎氏に対する評価は二面的だ。政治とカネを巡る検察庁による小沢攻撃は、官僚による国家統制の強化を志向しているので、日本の民主主義に危機をもたらすと考えている。さらに石川氏にかけられた5千万円の裏金疑惑は事実でないと考えている。また特捜検察の石川氏に対する取り調べは、厚生労働官僚の村木厚子氏に対する冤罪事件に通底する無理があると考える。それだから、本件に対し、筆者は小沢氏を擁護する論陣を張っている。
 他方、筆者は、民主主義原則の観点から、小沢氏の政治行動に対して強い批判がある。6月2日、野党が提出した内閣不信任案に賛成して、菅直人首相(当時)を打倒しようとしたのは、議会制民主主義の原則を根本から踏みにじる行為だ。民主政治において超えてはいけない線を小沢氏と同氏に同調した民主党議員は踏み越えたと認識している。
 さらに民主党代表選挙で、当初、西岡武夫参議院議長を、その後、海江田万里経産相(当時)を擁立した小沢氏の政治手法は、1人1人の国会議員を単なる駒としてしか見なさずに、政治市場で勝利すれば、成果を総取りするという政治的新自由主義だ。こういう政治手法に筆者は強い忌避観を覚える。小沢グループに所属する若手国会議員がよく口にする「親方(小沢氏)が白と言えば、黒い物でも白」というのは、任侠団体の論理であり、冗談でも健全な政治家が口にすべき言葉ではない。自立した政治家を養成することできないような派閥がいくら肥大しても、日本の社会と国家の生き残りに貢献しない。
 現下日本の閉塞状況を打破するために、「政治家はダメだ」と国民が諦念をもってはならない。政治家の水準が、国民の平均から著しく乖離することはない。今の政治のだらしなさは、筆者を含む国民1人1人の実態を反映しているのである。われわれ国民も変わり、政治家を変えていく努力をしなくては、われわれの愛する日本が、帝国主義的傾向を強める国際環境の中で生き残ることができなくなる。
 小沢問題のような国内政争に割くエネルギーはほどほどにして、日本の国家体制の強化のために政治エリート、特に与党国会議員の力を結集してほしい。(2011年9月27日脱稿)


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陸山会・西松建設事件 判決要旨/石川知裕議員、控訴の方針/小沢氏に「政治とカネ」の問題は存在しない 2011-09-26
 どこを探しても出てこない虚偽記載の事実 . . . 本文を読む
この国を誤らせる最悪の誤判/陸山会事件:小沢元代表の元秘書 衆院議員石川知裕被告らに有罪判決2011-09-26
 誤判でも、原判決は重い。メディアも、確定的に報道する . . . 本文を読む
陸山会事件:午後判決/勝栄二郎 法務官僚と裁判官を使って小沢一郎を抑えつけ、財務省は好き放題やった2011-09-26 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

「チャーチル/復権・・・」裁判闘争を終えた時、小沢一郎はどんな言葉を国民に語りかけるか。2011-09-24
  『悪党 小沢一郎に仕えて』②
小沢一郎が語った「原発/国家のリーダー(衆愚の中からは衆愚しか)/マスコミは日本人の悪いところの典型」2011-09-19 
  『悪党 小沢一郎に仕えて』 ① 
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【佐藤優の眼光紙背】特捜検察と小沢一郎
2009年11月24日11時00分
佐藤優の眼光紙背:第63回
 特捜検察と小沢一郎民主党幹事長の間で、面白いゲームが展開されている。テーマは、「誰が日本国家を支配するか」ということだ。
 特捜検察は、資格試験(国家公務員試験、司法試験)などの資格試験に合格した官僚が国家を支配すべきと考えている。明治憲法下の「天皇の官吏」という発想の延長線上の権力観を検察官僚は(恐らく無自覚的に)もっている。
 これに対して、小沢氏は、国民の選挙によって選ばれた政治家が国家を支配すべきと考えている。その意味で、小沢氏は、現行憲法の民主主義をより徹底することを考えている。民主主義は最終的に数の多い者の意思が採択される。そうなると8月30日の衆議院議員選挙(総選挙)で圧勝した民主党に権力の実体があるいうことになる。
 特捜検察は「きれいな社会」をつくることが自らの使命と考えている。特捜検察から見るならば、元公設第一秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕、起訴されている小沢氏に権力が集中することが、職業的良心として許せない。国家の主人は官僚だと考える検察官僚にとって、民主主義的手続きによって選ばれた政治家であっても、官僚が定めたゲームのルールに反する者はすべて権力の簒奪者である。簒奪者から、権力を取り返すことは正義の闘いだ。こういう発想は昔からある。1936年に二・二六事件を起こした陸軍青年将校たちも、財閥、政党政治家たちが簒奪している権力を取り戻そうと、真面目に考え、命がけで行動した。筆者は、特捜検察を21世紀の青年将校と見ている。検察官僚は、主観的には実に真面目に日本の将来を考えている(そこに少しだけ、出世への野心が含まれている)。
 筆者の見立てでは、現在、検察は2つの突破口を考えている。一つは鳩山由紀夫総理の「故人献金」問題だ。もう一つは、小沢氏に関する事件だ。小沢氏に関する事件は、是非とも「サンズイ」(贈収賄などの汚職事件)を考えているのだと思う。
 ここに大きな川がある。疑惑情報を流すことで、世論を刺激し、川の水量が上がってくる。いずれ、両岸のどちらかの堤が決壊する。堤が決壊した側の村は洪水で全滅する。現在、「鳩山堤」と「小沢堤」がある。「故人献金」問題で、「鳩山堤」が決壊するかと思ったが、思ったよりも頑強で壊れない。そこで、今度は「小沢堤」の決壊を狙う。そこで、石川知裕衆議院議員(民主党、北海道11区)絡みの疑惑報道が最近たくさん出ているのだと思う。石川氏は、小沢氏の秘書をつとめていた。8月の総選挙では、自民党の中川昭一元財務省(故人)を破って当選した民主党の星である。この人物を叩き潰すことができれば、民主党に与える打撃も大きい。
 司法記者は、「検察が『石川は階段だ』と言っています」と筆者に伝えてくる。要するに石川氏という階段を通じて、小沢幹事長にからむ事件をつくっていくという思惑なのだろう。これは筆者にとってとても懐かしいメロディだ。もう7年半前のことだが、2002年6月に鈴木宗男衆議院議員が逮捕される過程において、「外務省のラスプーチン」こと筆者が「階段」として位置づけられていたからだ。
 マルクスは、「歴史は繰り返される。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」(『ルイ・ボナパルトの18日』)と述べている。当面は、石川知裕氏を巡る状況が、今後も政局の流れを決めるポイントになると思う。(2009年11月23日脱稿) 
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拡大する検察権力
安田 戦後の歴史を見ると、ロッキード事件、そしてこれに続く金丸事件で、政府あるいは国会が検察に全く刃向かうことができなくなってしまった。その結果、日本の国家権力で一番強いのが検察になってしまったと思います。そして、その内実は、徹底した保守主義なんですね。
 僕なんかは、検察官に将来なっていく人たちと司法研修所で一緒だったわけですけど、そういう人たちの多くは政治的なんですね。検察官という職業に対して、政治的な意味づけをしている。腐敗した政治や行きすぎた経済を正さなければならない。それができるのは自分たちだけだという感覚を持っている人がわりあい多くて、もっと言ってしまえば、実に小児的であったんです。
 たとえば、ある特捜部長は、就任の際、検察は額に汗をかく人たちのために働かなければならないという趣旨の発言をするんですね。青年将校なのか、風紀委員なのか、実に幼いんです。こういう青年将校的な発想しか持ち合わせない寄せ集めが、今の検察の実態ではないかと思うんです。
 しかもそれがすごく大きな権力を持っているものですから、これは警察と一体となって行っているのですが、対処療法的に次々と治安立法を作り上げていく、たとえばオウム以降、破防法がだめだったら即、団体規制法を作る。あるいはサリン防止法を作る。あるいはその後に少年法を変えていく、内閣に犯罪防止閣僚会議というようなものを作って、刑罰を1、5倍に重刑化して、刑法全体の底上げをやるわけですね。
 彼らは、社会の実態をほとんど知らない、犯罪の原因も知らない、あるいは相対的な価値観や複眼的な視点もない、というのが正しいんでしょうけど、どんどん風紀委員的に対応するんですね。その最たるものが、1997年の死刑事件に関係する連続五件の上告だったと思うんです。あのときに最高検の幹部が談話を発表して、裁判所は腰抜けだということを言うわけです。つまりこのままでいけば、死刑判決を出せる勇気のある裁判官はいなくなると。彼らを鍛え直すために上告をしたというわけです。ところが死刑判決があの時期に減ってきたというのは、社会全体のマインドだったんですね。しかし、そういうものを理解する能力がなくて、彼らには腰抜けと映ったわけです。
 他方、検察は、被害者感情を利用し、それに乗っかって、重罰化を進めてきたんですね。例えば、光事件ですと、検察は少年を死刑にすることを被害者遺族に誓い、そのために共同戦線を張り、1、2審とも無期であったのに、死刑を求めて異例の上告をしたわけでして、検察官そのものが公的な立場から私的なものに転換してしまった。私的というのは個人的という意味よりも、公の大きなことを忘れてしまって些末な価値観の中にしか存在しなくなった、という意味で申し上げているのですが。
 もう一つは、検察は社会的な批判に弱い、言い換えると、社会に迎合して非難をかわすわけです。これは、厳罰化のもう一つの側面だと思います。


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